斜陽
著者:太宰治
イギリスの貴族が凋落していく・・・そんな姿を描いたドラマ「ダウントン・アビー」が今、流行っているが、本書を読んでそれを思い浮かべた。戦争を皮切りに、裕福だった家庭が、凋落していく・・・その中に起こるドラマを描いた物語だ。主人公は、かず子。齢三十。父を病気で、弟を戦争にとられて、男手をなくし、戦争に負け、落ちぶれて、母と2人で田舎(伊豆)に移住することになる。希望が見えない人生の中で、暗闇の中を手さぐりで進んでいく女性の物語だ。
戦争を境に、人生が一変した人たちはたくさんいたんだろうと思う。それが裕福な家庭なら、そのビフォーアフターは、より鮮明だったのではなかろうか。変化についていけない・・・変化に絶望を感じる・・・今の時代もそういう人がいるが、戦争がもたらす当時の変化は今の時代の比ではなかっただろう。そうした中でもたくましく生きようとした人もいただろうし、逆に絶望を感じて、自暴自棄になった人も少なくなかったに違いない。
暗い雰囲気が漂う本だが、なんとなくの救いは、本書の視点が主人公の視点であり、かず子がこの本を書いているといった示唆のある点だ。
「戦争の事は、語るのも聞くのもいや、などと言いながら、つい自分の『貴重なる経験談』など語ってしまったが、しかし、私の戦争の追憶の中で、少しでも語りたいと思うのは、ざっとこれくらいの事で、あとはもう、いつかのあの詩のように、昨年は、何も無かった。一昨年は、何も無かった。その前のとしも、何も無かった。とでも言いたいくらいで、ただ、ばかばかしく、我が身に残っているものは、この地下足袋いっそく、というはかなさである」(本書より)
つまり、穿った見方をすれば、暗い雰囲気が漂うが、そうしたこともひっくるめて、俯瞰的な視点で、本書を書いている・・・ということは、結果的には本人はたくましく生きているのではないかと期待できるからだ。
一方で、どの文学作品にも言えることだが、人間は成長してないなと改めて感じさせられた。なぜって・・・物語から垣間見える、離婚、薬中、酒浸り、自殺、、、戦争と縁遠い今の時代でも日常茶飯事だからだ。きっと人間はどんな時代でも、絶望を感じるという人はなくならないのだ。太宰治が今の時代に生きていたら、彼はやはり同じような絶望感を感じたのだろうか・・・。
ちなみに私は、ダメ元で、最後までもがき続けて生きていきたいかな。