2015年3月17日火曜日

書評: 世界のエリートの「失敗力」

学生・社会人問わず、本書を読むと自らが成長する糧を得られるだろう。「自らが成長する糧」が何かって!?・・・それは、本書を読んでのお楽しみだ。

世界のエリートの「失敗力」 ~彼らが<最悪の経験>から得たものとは~
著者: 佐藤 知恵
出版社: PHPビジネス新書



■失敗から大きな学びを得る力
世界で活躍するいわゆる”エリート”の失敗力について語る本だ。失敗力とは、失敗から大きな学びを得る力のことだ。エリートたちの失敗談を軸に、「失敗することが、いかに人の成長の糧になっているか」、「どういう失敗が役に立つのか」「失敗を、有効に活用するためにはどうしたらいいのか」といったことを深掘りしている。なお、「世界で活躍するエリート」とは、ハーバードなどアメリカの超有名大学に通う人たち、マッキンゼーなど名実ともに名高い外資系企業や、トヨタや三井物産などの大手日系企業で、それなりの地位に上り詰めた人たちのことを指している。

■エリートたちが語る生の話
最大の特徴は、彼ら・彼女ら”エリート”たち・・・に、著者自身が直接インタビューを行い、生の声を反映していることだろう。その数、約十数人。失敗談の数は、優に30を超える。冒頭に触れたようなビッグ組織に在籍する人達に「具体的にどんな失敗をしたのか」といった質問や、「失敗をどうとらえているか」、「そこから何を学んだか」といった質問を投げかけ、得られた結果がまとめられているわけだ。

単に「失敗話集」で終えていないところも、本書の付加価値と言えるだろう。失敗談だけでなく、その失敗が、その人のその後にどう役に立ったのかについて、具体的な成功事例も交えながら、紹介してくれている。また、失敗について、あるいは、失敗から学ぶことの大事なポイントについても、ところどころで著名人や著者自身の考えを披露してくれているのが有り難い。たとえば、次のような感じで・・・だ。

『(失敗したときに)最もいけないのは、”市場が悪かった”というようにコントロールできないものに責任転嫁するような説明方法です』(第二章スタンフォードが教える失敗力より抜粋)

こうした失敗に対する考えを読むと、改めて「自分もそうなっていないか」「自分の身の回りにそういうヤツがいないだろうか」とドキっとさせられる。

■対象者にもっとバラエティーがあったら
良い面ばかり挙げても面白くない。あえて本書のマイナス要素を挙げるとすれば、著者のインタビュー対象者にやや偏りがあることだろう。確かに、海外の大学に始まり、外資系、そして日系大手と、押さえるべきところは押さえているように見える。ただ、私に言わせれば、なんとなくMBA色(要するにMBAホルダーが勤める企業である傾向)が強い。もっと、ベンチャー企業や中小企業なども、あっても面白かったかもしれない。

私自身がMBAのOBだが、先日、MBAフェアに参加してきたら、MBAにこれから通いたいと希望する方達の多くが、本書に載っているような企業の方ばかりだった・・・(ので、余計にそう感じたのかもしれない)。

■失敗力を身につけたい人に
それはさておき、面白い本であることは間違いない。人の失敗談なんて、実はそう簡単に聞けないし、追体験をすることで自分の身になる。ふと、ヤフーの宮坂社長の言葉を思い出す。

『(日本電産社長の)永守さんは、経営者には2つの要素しかないと言うのです。1つは、いかに多くの意思決定をするかと言うこと。もう1つは、いかに早く挫折を経験するかということです。』

振り返れば、私自身の人生も・・・大きく成長したと実感できたときは、多くが、大きな失敗や苦労をした後だ。部下を成長させたい一心で、色々な仕事を、わざと無茶ぶりしたことがあった。無茶ぶりするのは悪いことじゃないと思うが、いかんせん、私のフォローの頻度やタイミングが悪かった。結果、その人は会社を失ってしまった。失ったものも大きかったが、それがったからこそ、今があると言っても過言ではない。

本書を手に取った人には、失敗がいかにエリートたちの成功のカギになっているかを学ぶいいきっかけになる。また、既に「失敗がいかに大切か」を知っている人には、エリートたちの失敗談そのものが、役に立つはずだ。


【失敗から学ぶという観点での類書】
失敗の本質(著:野中郁次郎ほか)
不格好経営~チームDeNAの挑戦~(著:南場知子)
一勝九敗(著:柳井正)
ハーバードビジネスレビュー2011年4月号記事(失敗)


=====似鳥昭雄社長の失敗力(2015/04/16追記)=======
ここ最近、日経新聞朝刊の掲載されている「私の履歴書」で、似鳥昭雄ニトリホールディングス社長の話に魅了されている。何が惹きつけるって、今の氏からは信じられないくらい破天荒な人生がだ。私も相当、苦労・堕落した時期があったが、氏と比べたら、天と地の差がある。今日は、まだ資金が乏しいときに、日本初のエアドーム店を開設したときの話だったが、「そこまで失敗するか!?」と・・・あきれるほどの失敗ぶり。と、ともにそうした失敗を常に乗り切ろうとする姿勢・工夫には、頭が下がった。正直、笑ってしまった。私なりに確信した。これだけの失敗力を持つ社長。社長が健在な間は、まだ、ニトリホールディングスは業績を伸ばしそうだ・・・(笑)。

2015年3月3日火曜日

言論の自由

月刊VOICE2015年3月号の記事の宇野重規の記事・・・は、普段、考え切れていない事柄に気づかせてくれる良い記事だった。そのタイトルは、「言論の自由」、その痛みと覚悟

『十八世紀の哲学者ヴォルテールは、自身がはげしいカトリック教会批判で一度は国外生活を余儀なくされた自分であるが、”あなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る”という言葉を残している

・・・(中略)・・・

ポイントは、自分にとって不快な意見であっても、あるいは自分にとって不快な意見こそ、それを主張する権利を認めなければならないということである。

・・・(中略)・・・

宗教戦争の過去をもつ欧州においては、多数派の宗教も少数派の宗教も等しく批判の対象となる。例外的に批判を免れるものをつくりだせば、やがてそれが暴走する可能性を否定できない。自らが信じるもの、権威とするものを批判されれば誰でも腹が立つが、それを認めてこそ自由で民主的な社会は保持される。このような信念に支えられた欧州の”言論の自由”とは、血塗られた過去の経験に基づく原則であって、単なる理想論ではない』

宇野さんが示す歴史から気づかされるのは、「言論の自由」と言っても、ヨーロッパの人が信じるそれと、日本人が信じるそれとは別物ではないか、ということだ。その違いに気づかされる顕著な事例として、昨年末のテレビ番組における人気歌手のふるまい(権威・権力を揶揄していたのでは?と騒がれた)事件を取り上げている。この事件の是非はともかく、著者がいいたいのは、つまり、今の日本はヨーロッパに比べて、”反対”に対する許容度がだいぶ低いのではないか・・・ということだ。

そういえば、以前、「飛行機に泣きわめく赤ちゃんを乗せないで欲しい」と書いた女性が、社会的に袋たたきにあった。確か、それも月刊VOICEだったと思うが、結局、その寄稿がもとで、その雑誌から下ろされていた。子を持つ親として個人的にどうかと思う意見だが、その是非はともかく、”こうした発言をした人を社会的に袋たたき”にして、”たたきつぶす”のには、違和感がある。「あれもこれも発言することすら許容しない」を繰り返していくと、それがいきつく世の中は、発言許容度最小公倍数の世の中だ。すなわち、反対意見を出すこと・・・つまり、マイノリティーの意見を持つことがほとんど許されない世の中になっていってしまうんじゃないかと不安になる。それってある意味、カルト教信者になるようなものじゃない?

もちろんヘイトスピーチには絶対反対だが、基本的には不快な意見でも、反対意見を出す人をたたきつぶす世の中にしないほうが、社会にとってメリットのあること・・・そんな世の中の方が健全な気がする。日本には意見を戦わせる文化がないから、そもそも、仕方がないことなんだ・・・と言われれば元も子もないが、やはり、少しくらいは欧米のディベート文化を取り込んでみてもいいんじゃないだろうか・・・。

宇野さんの記事を読んで、そんなことを感じた。

書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

  「文章がうまくなりたけりゃ、常套句を使うのをやめろ」 どこかで聞いたようなフレーズ。自分のメモ帳をパラパラとめくる。あったあった。約一年前にニューズ・ウィークで読んだ「元CIAスパイに学ぶ最高のライティング技法※1」。そこに掲載されていた「うまい文章のシンプルな原則」という記...