2010年10月29日金曜日

苗字のルーツを調べる

現在、ロシアはサンクトペテルブルク滞在中。

さて、ふと

「自分の苗字のルーツはなんだろうか?」

と思った次第である。私の苗字である勝俣(かつまた)は、富士山の周りに多い、というのは以前から噂に聞いてきたことだが、インターネットを駆使してもう少し調べられないものかと奮起してみた。

そうするといくつかのキーワードが見えてきた。

・御殿場
・勝間田一族
・勝間田城
・勝股、勝俣、勝又、勝亦、勝間田

疑いようのない事実として、静岡県御殿場市に行くと、”かつまた”さんが、確かに無数にいるらしい。が、ここより100Kmほど離れた榛原町の勝間田というところに勝間田城とよばれる勝間田一族が支配するお城があったらしい。ところがこれが戦国時代に今川氏の攻撃により落城し、勝間田一族が逃げ延びる形で富士山麓に移り住んだのではないか、とのことだ。うぅむ。敗残したわけね。

これを裏付ける話として、更に「名字の話」(静岡新聞社発行)という本で、

「静岡県榛原の勝間田氏が1476年に滅び勝間田四兄弟が山梨県平野に逃れ、長男が「勝俣」、二男、三男が印野に移住「勝間田」、四男は仙石原で「勝俣」と名乗った。」

と紹介されている。ここまでは正しい史実と思って間違いなさそうだ。


さて・・・・信憑性という点では定かではないが、一応、インターネット上で見つけた興味深い文章があったので、それをそのまま引用(勝手に引用してごめんなさい)しておくと

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勝間田一族は静岡県の牧の原辺りの横地一族の支族なのですが、この横地一族の始まりは源義家の庶子なのです。つまり清和源氏であり元をただせば天皇家に繋がるのです。この一族は徳川の家臣が最初ではなく源頼朝の挙兵に戸塚・西郷・海老江・二俣などの横地氏族と共に従い、源義経と共に壇ノ浦で戦うものもあれば室町幕府の成立に尽力し足利将軍の御家人になるものもいて、武勲、戦功のあったものは何人もいます。

元寇のときに禁裏の警護をしたものもいました。諏訪神社神事には二人が射手をしており、毎年の年初めの弓射ちの役目もあったそうです。

応仁の乱あたりで今川義忠に当主の勝間田修理亮は討ち取られてしまいますが、残った一族・残党が即座に敵討ちをしてまいます。その後一族はばらばらになりますが、武田の家臣になった者もいれば北条の家臣になった者もおり、帰農した者もいたそうです。

その後に家康の側室に西郷局が入ります。この西郷と言う名は九州菊池氏の一氏族の名です。西郷氏は三河国に移り住んだ後に岡崎城を創建しましたが松平に迫られ家康の祖父の清康を養子に迎え、変わりに城を譲りました。ちなみに九州に残った菊地一族に幕末の下級武士の西郷隆盛、別名・菊地武雄がいます。

そして三河国西郷氏に勝間田五郎大夫忠春の娘が養女にはいり、この養女が後の西郷局です。そして家康と西郷局の子が二代目将軍秀忠です。西郷局の先々代の勝間田正重戸塚七郎の兄弟・勝間田兵庫頭の九代後に喜世がいます。この喜世が六代将軍家宣の側室に入り子供をもうけ、この子が七代将軍家継になり喜世は月光院になります。
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なにやら話は色々と膨らむようだが、残念ながらタイムマシンでも発明されない限り、これを確かめる術はない。そして、何はともあれ、結局は今の自分が全てである。

過去に浸るのはほどほどにしておいたほうがよさそうだ。


2010年10月22日金曜日

息子のいたずら

やられた・・・。

昨晩、夜11時頃に自宅に帰宅した。家族はもちろん就寝中。物音を立てないように静かに部屋に向かう。暗い部屋の電気をつけようと足を進めると、なにやら左手に黒い影が複数あらわれる・・・。

ふつう・・・の感じではないと察知。

びくっとしながら、左手をみる。

そこにはたくさんのカブトムシとクワガタがはりついている。

情けないことに、おもいっきり後ずさってしまった。

朝、息子に話を聞いてみると、まさに脅かすために自分のアイデアではりつけたのだそうだ。


うーん、やられた。ドキドキだったよ、パパは。

2010年10月5日火曜日

書評: 食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない

今年に入り、右目を患い(飛蚊症)、右肘を痛め、これまで以上に”健康”という言葉に敏感になった。たまに会う健康オタクな(・・・いやあえて専門家と言っておこうか)父からは「人間が口から体内に摂取するもの、すなわち”食”に気をつけることが、健康への一番の近道なんだ」と言われた。

そして先日のラジオで、食に関わる迷信や勘違いについて客観的な事実に基づいた解説をしている本が出版された、ということを耳にした。それが、以下の本を買った背景である。

松永和紀著「食の安全と環境」(気分のエコにはだまされない)

221ページからなり1,600円もした(最近、自分が興味を持つ本は高いものばかりで、ちょっと嫌になる)。

さて、食に関わる迷信って何だろうか? たとえば、こんなことである。

・輸入品より国産品の方が安全である
・有機農業で作った作物のほうが体にいい
・日本で遺伝子組み換えの食品はほとんど消費されていない
・化学肥料は毒である、など

すぐにおわかりいただけるだろうが、例として挙げた上記項目に対する回答は全て”否”である。いや、ケースバイケースといったほうが正確だろうか。

あまり偉そうに書くとまるで私自身「前からそんなことは知っていたよ」と主張しているように聞こえるが、実は(基本的に無知なので)ほとんど知らないことばかりだった、ということをあえてここで付け加えておく。

たとえば「遺伝子組み換え」について。”食の安全に敏感”なので、”遺伝子組み換え”なんて得たいの知れないものは、私を含め日本国民にはまだまだ受け入れられていないものだろうと思っていた。事実、消費者意識としてはそうなのだが、実際は知らず知らずのうちに大量に消費されている、というのだ。

組み換えトウモロコシ・・・この作物の海外からの総輸入量年間1600万トン、自給率はゼロである。スーパーで「組み換え・・・」なんて表示を見かけないのに、なぜこんな大量に輸入されているのだろうか?

答えは簡単。輸入された組み換えトウモロコシは、飼料、でんぷん、シロップ、食用油などに加工されて消費者の前に現れているからだ。飼料として組み換え品種を使っても、肉に表示する必要はない。食用油もそう。みんな知らず知らずのうちに組み換え遺伝子の作物が生活に浸透している、というわけだ。

この本では、このような解説がずらっとされている。

ところで、迷信ってなぜ起こるのだろうか?メディア操作?消費者の偏見?

私は、その理由の1つには「何事も自然であることが一番」という感覚が無意識のうちに働いているせいではないか、と思う。

・遺伝子組み換えはNOだ!
・有機栽培はYESだ!
・化学肥料はNOだ!
・添加物はNOだ!

でも著者は言う。

そもそも”農業”自体が不自然な産業なのに何を言っているのか、と。

木を切り倒し、雑草を抜いて農地にし、単一の植物だけを選んで植え、日の光がよくあたるようにして養分をやって育てるというきわめて不自然な行為こそが農業なのだと。

「うーん」と、うならされる一冊である。

個人的には、この本の隠れたメッセージは

「あれは良いことである」「これは悪いことである」「私が書いた本を信じなさい」

という短絡的なことではなく、

「何事も疑ってかかることが大事だよ」

ということではないか、と思っている。「食品の裏側」を書いた阿部司氏も、彼の本の中で「添加物を悪」だとは一言も言っていない。「何も考えずに言われたもの、与えられたものを受け止めるのは危ないことだ」と語っている。

これは、今の日本国民に何よりも欠けているものではないだろうか。



書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

  「文章がうまくなりたけりゃ、常套句を使うのをやめろ」 どこかで聞いたようなフレーズ。自分のメモ帳をパラパラとめくる。あったあった。約一年前にニューズ・ウィークで読んだ「元CIAスパイに学ぶ最高のライティング技法※1」。そこに掲載されていた「うまい文章のシンプルな原則」という記...