2016年8月25日木曜日

書評: 新編 日本の面影 - Glimpses of Unfamiliar Japan -

時は1890年。自分が生まれる以前の世界がどうだったか知りたい。そう思う人は少なくないはずだ。

だが、当時のことを知ろうにも、今のように便利なビデオがない。かろうじて写真があるが、シロクロだし、数も多くはない。当時の風景を描いた絵画からでも当時の雰囲気を読み取ろうか?

いや、待てよ。当時の日本がどうだったかを克明に描いた情景描写...これがあればそこから読み取れるものも多いのではなかろうか。でも、そんな本あるのか? いや、それがあったのだ。

⚫️昔の日本を語るのにこれ以上ないふさわしい人物とは
その本を知ったキッカケはNHK番組「100分 de 名著」だった。当時の日本を愛し、当時の日本の特徴や文化を知り尽くし、当時の情景を克明に描いた人がいる。知る人ぞ知る、小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンだ。ラフカディオ・ハーン(1850-1904)は、ギリシャ生まれのアイルランド育ち、アメリカで作家として活躍した後、来日。そのまま日本に帰化した人物だ。

当時の日本について... 彼のような文章を書くことに長けた人物が...彼のように外の世界を知っている人物が、日本を愛してやまなかった人物が、日本を描く...。当時の日本を描くのに、これ以上ふさわしい人物はいないのではないか。

⚫️1890年の日本を美しく詳しく描いた本
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、アメリカの新聞記者として1890年に来日。来日後に新聞記者としての契約を破棄し、日本で英語教師として教鞭をとるようになった。翌年結婚。松江・熊本・神戸・東京と居を移したが、本書はその初めの頃である1890年・・・島根県松江市に住み始めた頃からその地を去ることになる時期までの日本を描いている。

そこには期待どおり、私の全く知らない世界が描かれていた。100年以上前のこととは言え、見聞きして知っているはずの日本。だが、今の日本とまるで違うと心の底から思った。

中でも、びっくりしたのは、いわゆる「日本人の微笑」。「日本人は何かあると曖昧な微笑を返すことが多い」とは良く聞く話。確かに日本人はなんとなく曖昧な笑顔で反応することが多いよなと思っていたが、私にしてみれば「言葉の分からない外国人に話しかけられて、反応の返しようがないときに、とりあえず笑ってみる・・・」そんな感じ・・・そう思っていた。だが、本当の「日本人の微笑」とはそういう次元の物ではないらしい。その場でどんなに理不尽な扱いを受けようとも微笑を返す...ハーンが描く、幾つかの実例を読んで、「まじか!?」と唸らざるを得なかった。

『ある日のこと、私が馬を駆って横浜の山の手から降りてくると、空の人力車が一台、曲がり角の左右間違った側を登ってくるのに気がついた。手綱を引いたところで間に合わなかったし、手綱を引こうともしなかった。特に危険だとも思わなかったからね。ただ私は、日本語で、“道の反対側に寄れ!”と怒鳴ったんです。・・・(中略)・・・あのときの馬の速度では、衝突をさける余裕などなかったからね。そして次の瞬間には、車の一方の梶棒が私の馬の方にぶつかった。・・・(中略)・・・馬の方から血が流れているのを見て、私はかっとなってしまい、手にしていた鞭の柄で、車夫の頭をごつんと殴ってしまった。すると彼は私をじっと見つめ、微笑を浮かべ、そしてお辞儀をしたんです。今でも、あの“微笑“を思い浮かべることができますよ。』(引用:日本の面影 「日本人の微笑」より)

⚫️驚きと悲しさと切なさと...
『日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命のような気がする。』

ハーンは本書の中でこう語った。事実、ハーンが描く1890年の世界は、とても今の日本とは思えなかった。

たった100年ちょっとの間に起きた変化の大きさに対する驚きと... そしてそれをはっきりと直感したハーンの先見の明に対する畏怖の念と... 日本が豊かさを得た代わりに何かとてつもなく大切なものを失ってしまったのではないかという焦燥感・・・いや、刹那さと、複雑な感情が交錯した。

『外国人たちはどうして、ニコリともしないのでしょう。あなた(ラフカディオ・ハーン)はお話なさりながらも、(日本人のように)微笑を以って接し、挨拶のお辞儀もなさるというのに、(ほかの)外国人の方が決して笑顔を見せないのは、どういうわけなのでしょう』(引用:日本の面影 「日本人の微笑」より)

本書のこのような語りを読んで、ニコニコ動画で有名な川上量生氏が、先日、次のように話していたことを思い出さずにはいられなかった。

『最近の子って、会話の中で冗談を投げかけても反応が薄いので、喜んでいるかどうかわからないんですよ。ところが、よく見ると手はしきりに動いていて、携帯に“www(笑)“と打ち込んでいる。感情表現の仕方が変わってきてるんです。顔に一切表情を出さないが、ネット空間の中で、文字を使って感情表現している。これからますますそうなっていく(顔からは一切の感情が消えていく)かもしれませんね。』(川上 量生氏)

時代は変わる。変わっていく。でも変わらない・・・いや、変えてはいけない本質も絶対にあるはず。それは何なのか。100年以上も前に書かれた本書の中に、そのヒントがきっとあるはずだ。


【日本人の特徴を描くという観点での類書】
なぜ「日本人がブランド価値」なのか ~世界の人々が日本に憧れる本当の理由~(著者:呉 善華)

2016年8月16日火曜日

書評: マチネの終わりに

美しい言葉で描かれた恋愛小説・・・

マチネの終わりに
著者: 平井啓一郎


蒔野聡史(まきのさとし)と小峰洋子・・・二人が主人公の物語。プロギターリストであり天才的才能を持つ蒔野聡史。彼には、蒔野聡史の音楽を愛し、彼の才能を愛し、陰で彼を懸命に支え続ける三谷早苗が側にいた。清楚で才能豊かなジャーナリスト小峰洋子。彼女には、経済学者のフィアンセがいた。そんな二人が運命的な出会いをする。強力な磁場に引きこまれたかのようにお互いの関係は急接近する。偶然と必然に翻弄される二人。果たして二人の恋の物語の行く末は...。

本書を知ったきっかけはニュースアプリNewsPicksで、作家平野啓一郎氏とエッセイスト小島慶子氏との対談記事を読んだのがきっかけだった。対談記事を読んでいて、この人の書いた本を読んでみたい・・・なんとなく興味が湧いたのだ。

何も前知識なしに手を出したが、とても読み心地の良い小説だと思った。読んで本当に良かったと思っている。事実、本書を読み終えたあと、「平井啓一郎氏のほかの小説も読んでみたい」という気になり、早速、買ってしまったほどだ。その本の感想は後日上げるが・・・。

この読み心地の良さはいったいどこから来るのか? 考えてみたが、彼がおりなす言葉の表現がとても丁寧で絶妙なのだ。いちいち情景がストンと心に落ちてくる。

『見たい夢を自由に見られないだけでなく、人間は、見たくない夢を見ない自由も与えられてはいないのだった。』(マチネの終わりに 第六章 消失点より)

『洋子は、自分が、バランスを崩しつつあることを自覚した。支えきれないほど大きなトレイを持たされて、そこに載せられた幾つもの玉を安定させようと腐心しているかのようだった。一つを気に掛ければ他方が走りだし、落とさぬように慌てた動作のために、今度は一斉に反対に玉が転がりだしてしまう・・・(略)・・・』(マチネの終わりに 第六章 消失点より)

また、この恋愛という1つのテーマを、音楽と宗教と戦争という観念を通じて、非常に美しく描いている。一見バラバラなこれらの要素を見事に融和させ、読者をその物語に引き込むと同時に、問いかけている。あなたは聖母マリアなのか、その姉マルタなのか、そして、どちらが正しいと思うのか、と。

そして、主人公二人に過酷な試練を強いながら、何かポジティブなメッセージも伝わってくる。少なくとも、私には「人にはそれぞれに役割がありそれを否定していはいけない」「過去につらいことがあっても、これからの生き方次第で変えられる」というメッセージをもらった気がしている。

フィクション小説は「結局、なんだったんだろう?」と疑問を持つだけで終わることが多く、「あまり好きじゃないな」と思う本が多い中にあって、本書は・・・私はとても好きだ。既に述べたように、描写が美しいし、ストーリーも本当によく練られている。私に、マッチする作家さんだと思う。平野啓一郎氏も40代だし、本書の主人公たちも40代・・・、私も40代。もしかしたら、そのせいもあるかもしれない。40代の方はぜひ・・・。


2016年8月7日日曜日

書評: アドラー心理学入門

見方を変えるだけで、こんなにも心がすっきりすることがあるもんなんだ...と。

アドラー心理学入門
著者: 岸見一郎

■アルフレッド・アドラーの考えを解説してくれる本
オーストリア生まれのユダヤ人精神科医&心理学者アルフレッド・アドラーの考えの解説書。主として、次のようなテーマをカバーした本である。
  • アドラーはどういう人で何をした人なのか?
  • なぜ、そういう考えを持つにいたったのか?
  • 彼の代表的な考えは、つまり現代の日常に当てはめるとどう捉えられるのか?
では、「彼の代表的な考え」とは何か? それは育児と教育に関するものだ。力で子供たちを抑えるつけることなく全幅の信頼をもって子どもたちに接することを教えとしている。

■私が本書に手を出した理由
まず、なぜ、私がこのタイミングでアドラーに手を出したのか?理由は2つある。1つは、NHK番組の「100分 de 名著」で、アドラーのことを知る機会があり、興味を持ったからだ。心理学というと小難しいイメージがあるが、同番組では、モノゴトの捉え方について、どこか当たり前のようでいて我々が日々実践できていないアドラーのアプローチを紹介してくれていた。その際に、アドラー心理学には、学ぶべき点が大いにあると感じたのだ。もっと知りたいと思った。

本書に手を出したもう1つの理由は、「教養」になりそうな本であると感じたからだ。個人的な理由だが、最近、小手先のテクニック本ばかりに手を出してきたので、ここいらで路線を、より「中長期的に役立ちそうな本」に戻したいと思ったからだ。

■自分がいま持っている課題解決に役立つヒントを得ることができた
改めて、なるほどなと腑に落ちた部分があると同時に、子供に対する接し方はもちろん、社会における対人関係のあり方について、考えさせられる部分が多々あった。

具体的にはたとえば、「原因論ではなく、目的論でものごとを捉えなおするアプローチ」。私自身にも、周囲にも子供がたくさんいるが、彼らが大人から見て不可解または理不尽な行動をとったときの我々の対応方法についてだ。そういうときは、「何が原因で彼らがそういう行動をとるようになってしまったのか?」ではなく、「どんな目的を達成するためにそういう行動をとっているのか?」を、大人は自らに問いかけるべき、という考え方は「目からうろこ」だった。

その他にも、「幸福な精神であるためには、誰とでも対等の立場・・・縦の関係ではなく、横の関係を重視してつきあうべし」とか、「自分が、他人より優れていなきゃいけない・・・と思うのではなく、今の自分で十分良い・・・と思うようにすること」などなど、間違いなく、私の記憶に刷り込まれたものがいくつかある。

■「読みやすさ」「学び」という2つの観点で本書はどう評価できるか?
さて、本書の評価を2つの観点から述べておきたい。

1つは「読みやすさ」という観点。この点に関しては、全体的に読みやすい本であったと評価したい。抽象論に留めずに著者自身の経験談などが多数述べられており、「結局、読者自身の身に置き換えるとどういうことなのか?」のイメージを持ちやすかった。ただし、全5章のうち、後半2章(4章「アドラー心理学の基礎理論」と5章「人生の意味を込めて」)については他の章に比べ難しく、あまり頭に入らなかったことを付け加えておく。

「学び」という観点ではどうか? これは既に述べたように、目からうろこのポイントもあったし、その他いくつかの学びを得ることができたので、読んで良かったと素直に評価できる。「我々の人生の大半は人と接していくこと」だが、アドラーは「人間の悩みは全て対人関係に関するものである」と言っている。まさにその対人関係において、我々がぶつかるであろう課題解決のヒントを提示してくれる本書の意義は大きい。

■すべての人に役立つ本
アドラーの代表的な考えは育児と教育に関するものだ、と冒頭で述べた。出発点は確かに育児と教育だが、そこで述べられている内容は、企業生活における対人関係にもそのまま当てはまる。その意味では、本書の対象読者に垣根はない。入門書であるのでもちろんアドラー心理学の玄人は読む必要はないだろうが、それ以外は本書の漢字を読めるすべての人が読者対象だ。

ちなみに、一点だけ付け加えておくと、実は、アドラー心理学の入門書は他にも何冊か出版されている。私も、それらすべての本を読んだわけではないので、どの本がベストか?を論じることは私にはできない。間違いなく言えるのは、本書を読んで損をしたと思う可能性は少ないということだ。


2016年8月4日木曜日

書評: 超・箇条書き

先日の「世界のトップを10秒で納得させる資料の法則」を読んだのと同じ理由で手を出した。資料作りは社会人にとって避けては通れないタスクの1つだ。加えて、❝箇条書き❞というシンプルでありながら、とても狭いテーマに特化している本書の姿勢に惹かれた。






企画でも、プレゼンでも、議事録でも、なにかを誰かに伝える際に、いかに明瞭完結かつ魅力的にそれを箇条書きを使って実現するか・・・そのテクニックについて、とことん掘り下げた本である。具体的には、次のような論点を抑えた本だ。

・なぜ、箇条書きが大切か?
・どうすれば、素晴らしい箇条書きが作れるか?
・箇条書き能力を更に他の作業に応用させるには?

結論から言えば、2つの観点でタメになる本だ。

1つ目は、本書がそもそもの狙いにおいているとおり・・・純粋に普段作成している資料の有効性向上を図ることができる。普段、無意識のうちにやっていること・やれてないことを、自覚し、明日以降の資料作りに早速反映できる。

2つ目は、上手に箇条書きを使う方法をわかりやすく教える方法を取得することができる。箇条書きのような至極あたりまえでシンプル極まりないものについて、人に必要なテクニックを伝えるのはなかなか難しい。そこにいくと、本書の著者が優れているのが、こうしたアナログ的な技術を、巧みに言語化している点だ。たとえば、タイトルからしてそう。「超・箇条書き」。その他にも、MECE(ミッシー)崩し、隠れ重言・・・など、ユニークな用語を使って解説しているので、印象に残りやすい。

ちなみに、私にとって「なるほどな」と思えたのは、❝自動詞と他動詞の整合を考えろ❞と❝箇条書きに体言止めは使わない方が良い❞と❝隠れ重言NG集❞・・・かな。この3点については、私自身もう少し改善の余地があると感じた。

さて、対象読者は誰であるべきか? これまた冒頭で述べた「世界のトップを10秒で納得させる資料の法則」同様、あくまでも、対象者は、ビジネスマン、それも入社3年目以降の社員であろう。なぜ、3年目以降かと言えば、無駄な資料作りを何回か経験し、失敗してからの方が本質をより理解できると思うからだ。


 

【資料作りをパワーアップさせるという観点での類書】
世界のトップを10秒で納得させる資料の法則(杉野幹人)
マッキンゼー流 図解の技術ワークブック(ジーン・ゼラズニー)

書評: ジブリの仲間たち

きっかけはいつも単純だ。何か面白いラジオ番組(ポドキャスト)はないかなぁと探していたところ、たまたま見つけたのがスタジオジブリの名プロデューサー「鈴木敏夫のジブリの汗まみれ」だった。何気なしに聞いたのだが、これがもんのすごく面白かった。いったい、なぜ、面白いのか? 

単なる裏話以上のものが聴けるのだ。具体的には、次のような面白さがある。
  • あまり表には出ていない映画作成時の舞台裏の話が聴ける
  • セブン-イレブンの鈴木敏文氏を彷彿とさせるような”逆風をひっくり返し続けた話”が聴ける
  • 述べ観客動員数が日本の総人口に匹敵するほどのスケールのでかい市場の話が聴ける
  • 市場環境の劇的な変化に合わせた千変万化のマーケティング手法が聴ける
  • 著名な人と対談(化学反応)が聴ける(川上量生、押井守、上野千鶴子、園子温、秋元康...等)
そんな鈴木敏夫氏が本を出した、と言うではないか。即買である。


■ラジオで聞いた話同様、単なる裏話以上の話が満載
ナウシカにはじまって、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、火垂るの墓、魔女の宅急便、おもひでぽろぽろ、紅の豚、平成狸合戦ぽんぽこ、耳をすませば、もののけ姫、ホーホケキョとなりの山田くん、千と千尋の神隠し、猫の恩返し、ハウルの動く城、崖の上のポニョ、借りぐらしのアリエッテイ、コクリコ坂から、風立ちぬ、かぐや姫の物語、思い出のマーニー...をヒットさせるためにどのような苦労や失敗、成功を積み重ねてきたか、舞台の裏側について語ってくれている。

これが冒頭に触れたラジオ番組同様に面白いのだ。最初、数十ページだけ手を出して、あとは次の日に読もうかなと思っていたのだが、気がつくと止まらなくなってその日のうちに一気に読破してしまったくらいだ。いったい、何がそんなに面白いのか? 基本的には、鈴木敏夫氏のラジオ番組「鈴木敏夫のジブリの汗まみれ」がなぜ面白いのか?の疑問に対する答えと一緒である。そうした面白さに加えて、良いスパイスになっているのが、鈴木敏夫氏をよく知る関係者・・・たとえば取引先の東宝宣伝プロデューサーなどの彼に対するコメントである。鈴木敏夫という人物は、客観的にはどう捉えられているのか、を知るのにとても良い材料になった。

■鈴木敏夫の凄さが肌感覚で伝わってくる
それにしてもつくづく、映画は、宮崎駿や高畑勲監督のような天才と、作った作品を宣伝する広告会社、劇場を持っている映画会社、コピーライターなど様々な人たちのパワーが合わさって出来上がる結晶なんだな、と思った。そして、こうした関係者個々の力を最大限に引き出し、どこまでパワーを融合させ、核融合を起こさせるか・・・ここの出来具合で映画の興行収入が決まるのだろうが、まさに、この役割を担うのが、プロデューサーである鈴木敏夫氏なのである。

スタジオジブリと言えば宮崎駿や高畑勲監督と言われるし、そのとおりだと思うが、同時に、鈴木敏夫氏の存在なくしてジブリの成功はなかったことが本書を読むと、よく分かる。宮﨑駿にとっての鈴木敏夫氏とは、ホンダの創業者、本田宗一郎氏にとっての藤沢武夫氏のような存在といったところだろうか。

■鈴木敏夫の凄さの源泉は一体、どこにあるのか?
鈴木敏夫氏の・・・次々と課題を乗り越える発想力や、人を巻きこみ、それぞれの力を引き出し、1+1を3にも4にもする能力の源泉は、一体なんであるのか?・・・後半は、それがただただ知りたくて貪るように読んだ。

一つ思ったのは、彼の教養の高さ。どのような手段で、彼がそうした教養を得たかは別にしても、たとえば映像や音楽を語るセンスは、彼のバラエティ豊かな知識が素になっていると感じる場面が何度かあった。あとは、好奇心の強さと興味を持ったものには、ステレオタイプにとらわれず食べて見ようとする柔軟性。ドワンゴの代表取締役会長、川上量生氏と接点を持ったときの話などは秀逸だ。どんなに途方も無く大きい話でも、そこに論理性・戦略性を持ち込む冷静さ・賢さ。人と異なる逆転の発想力。働かない宣伝マン博報堂の藤巻さんをポニョの主題歌の歌い手に抜擢する話は、間違いなく誰も思いつかなかった話だろう。

■楽しみながらリラックスして読めるビジネス書
だから、本書はマーケターにとってみればマーケティングの勉強になる。プロジェクトマネージャーにとっては、どうやって人を巻き込むか、そのパワーを引き出すか・・・プロジェクトマネジメントの勉強になる。もちろん、映画好きには裏話がたまらない。そして、普通の社会人にとっても、次々と市場や技術環境が変化する中で、自分の立ち位置を客観的に見つめ、どういう戦略を立てるべきか、その際に自分はどうあるべきか・・・勉強になる。出した本人はそんなつもりは全くなかっただろうが、楽しみながらリラックスして読めるビジネス書なんて最高じゃないか。


2016年8月3日水曜日

書評: 最高のリーダーは何もしない

遅すぎるかもしれないが、44歳になった今、リーダーシップとはどうあるべきかに思考を割く時間が増えてきた。特に自分は「リーダーである前に、プロフェッショナルでありたい」と思い続け、邁進してきたので、きっとリーダーシップ論には疎いほうである。まだまだ改善すべき点があるはずだ。

最高のリーダーは何もしない
〜内向型人間が最強のチームを作る〜
著者: 藤沢久美
出版社: ダイヤモンド社


■リーダーシップの指南書
本書はリーダーシップ論を説いた本である。著者自身の社長としてのリーダー経験に加え、これまで何百人と会ってきた著名な企業トップとの対談内容を基に、「昨今の“できるリーダーに共通する秘訣”」に著者なりの答えを提示している本である。

■リーダーシップ論の重要性は、ハウツーよりもハウトゥドゥー?
読んでみての個人的な結論は次のようなものだ。

「リーダーシップ論は“ふわふわ”しているようで、実はもう答えが出ている分野なのではないか。ただ、そのワザをどうやって実践するか、実践し続けるか・・・そこだけの問題なのではないか」

なぜ、そういう結論にいたったのかというと、どこぞで聞いた話、どこぞで体験した話が多かったからである。本書を擁護するために付け加えておけば、私は対象読者層ではなかったためでもあるだろう。実際、本書を読んだ時に「やっぱり、そうよね。そういう結論になるよね。あとは、それを信じて実行し続けることができるか。できる経営者とできない経営者の違いは、それに尽きるよね」と思った。

たとえば本書の中で「社長はビジョンを作り自ら共有し続けること」、「周りに対する気遣いを欠かさないこと」、「女性の登用を軽視しないこと」、「メンバーに対する感謝をまず忘れないこと」、「寝食共にする合宿などを経験すること」などといった主張(あくまでも一部である)がなされているが、自分自身がそれを実践しようと日々心がけていることと全く同じなのだ。

■本書の意義は、読みやすさ・・・これに尽きる
本書を読むことで、私自身が経営者として、あるいはチームのリーダーとして自らが、やってきたこ・これからやろうとしていることが間違っていないことを再確認できたという点において役立ったという見方もできる。

だが、別の見方をすれば、特にビジネス書を良く読む人にとっては「え、新たな学びはないの?」と、否定的な結論も出せる。実際、リーダーシップ論は、かのピータードラッカーを始め、数多くの著名人が執筆してきているテーマだ。表現の仕方は違っても、結論はほぼ似ていると言って間違いないからだ。

そう考えると、本書の意義はいったいどこにあるのだろうか? テレビ番組のキャスターやラジオのパーソナリティーとしてこれまでに著名な社長に会いいろいろな話を聞いてきた著者の経験が本書の基になっていることか? だが、出ている結論は他書と似ている。果たして本書の意義は? うーん・・・と真剣に考えたのだが、私の出した結論は、以下の点に尽きる。

「読みやすい」ということ。

本を「あっというまに読める本」と「読むのに時間がかかる本」と2つに大別するとすれば、本書は前者にあたる。1時間足らずで読める・・・いわゆる“今風の読みやすい本“なのだ。

■リーダー初心者向けの入門書
リーダーといっても会社の社長とは限らない。組織のおけるあらゆる階層でリーダー的存在が求められる。そう考えるとリーダーシップ論は組織で働く全ての人が対象になるが、本書の“読みやすい”という特徴・・・それを加味すると、リーダー的立場を今から目指す人、もしくはそういった立場になったばかりの人などが、最適な対象読者といえる。まさにリーダーシップ論の入門書的な本なのだから・・・。


2016年8月1日月曜日

書評: 天才

最近、本屋に足を運ぶと田中角栄という名前をタイトルに含んだ書籍が山積みになっている。田中角栄ブームが起きている印象もあり、気にはなっていた。そして本書については、ラジオ番組か何かで耳にしたのが知ったきっかけだった。

思えば、田中角栄が登場し、日本列島改造論を唱え・・・なんてときは、自分は生まれたか生まれてないかの頃だし、現代史はあまり習った記憶もないので、ちょうど自分の知識にぽっかりと穴があいた部分なのだ。そこに加えて、田中角栄とぶつかったという石原慎太郎氏が筆をとったというものだから、なおさら、興味が湧いたのである。さて、田中角栄とは、どんな人物なのか。

著者: 石原慎太郎
出版社: 幻冬舎

本書は、田中角栄がこの世に生を受けてから、天に召されるまでの生涯を描いたものである。父親の博打好きに翻弄された少年時代。貧しいながらも上京し必死に働いた時代。期せずして政治家の世界に足を踏み入れた時代。政治家として総理まで登りつめた時代。ロッキード事件に巻き込まれ失墜し、そこから再起を図ろうとする時代。そして1993年12月16日75歳でその生涯に幕を閉じるまで・・・。

本書がユニークなのは、田中角栄....全盛期時代の金権政治に、牙を剥いた石原慎太郎氏自身が筆をとっているという点だ。「敵対視していたはずの人のことをなぜ?」と思うが、「嫌い嫌いも好きのうち」という言葉が、石原氏にはぴったり当てはまるようだ。氏自身が、ある人に「あなた(石原慎太郎)は、実は田中角栄という人物が好きではないのですか?」に問われ、次のように答えている。

『私(石原慎太郎)はそれ(その問い)に、肯んじた。「確かに彼のように、この現代にいながら中世期的で、 バルザック的な人物はめったにいませんからね。』(「天才」 長いあとがきより)

唯我独尊的なイメージの強い石原慎太郎氏すらも惹きこむ田中角栄の魅力とは一体なんなのか?田中角栄とは稀代の人たらしなのか? そのヒントが本書にあるわけだ。

そして、本書の魅力をさらにひきたたせているのが、石原氏があたかも田中角栄氏本人の回顧録であるかのように、一人称で書いていることだろう。

『「お前(田中角栄)の親父も金の算段の後先も考えずに駄目な男だなあ」。吐き出すように言ったものだった。その言葉の印象が何故か俺(田中角栄)の胸に強く響いた。金の貸し借りと言うものが人間の運命を変える、だけではなしに、人間の値打ちまで決められてしまうということを、その時悟らされたような気がした。以来、俺は人から借金を申し込まれたら、できないと思った時はきっぱりと断る、貸す時は渡す金は返って来なくてもいいと言う気持ちで、何も言わずに渡すことにしてきた。』(「天才」 本文より)

今は亡き田中角栄の思考をそのまま追体験している気になる。私は何の前情報もなしに本書を読んだものだから、読み始めて最初の数十ページは、てっきり、石原慎太郎自身の話が書かれているのだと勘違いしたくらい違和感のない書きっぷりだった。

仮に田中角栄氏が石原慎太郎氏が描いた通りの人物だったとして、私は本書から田中角栄氏を次のような人だと感じた。

「日本列島改造論など将来の国家像を具体的に考えた人。媚びない政治をした人。実行し結果を出した人。」

政治家だし、まして総理大臣になるような人ならば、当然に国家の将来像を持っているでしょう...と思いがちだが、そうではないらしい。「総理」の著者、山口氏がその本の中で、例えば野田聖子氏が、安倍首相との一騎打ちで総裁選に立候補しようとした際に何の展望も持っていなかったと述べていたし、歴代の首相の多く(安倍首相になってそれは変わったと著者は言っているが)がポピュリズムに走っているのは周知の事実だ。最近の田中角栄ブームは、ポピュリズムに嫌気がさしつつある国民感情を反映しているのかな・・・と、幼稚な頭ながら思った。

さて、多数の文献と本人自身の体験談が元になっているので、石原慎太郎氏の描くそれが、限りなく真実に近いのだろうが、どこまでいっても石原慎太郎氏が亡くなった田中角栄氏を模した内容であるので、全てが客観的事実とは言えない。田中角栄氏に惚れた人が書く本なのだから、内容に美化されている点があってもおかしくない。残念ながら、どの程度事実と異なっているのか・・・私の知識が乏しいためそれを判断することができない。本気で田中角栄氏について論じるなら、他の出版された全ての本も読むべきだろう。

というわけで、差し引いて読む必要はあるが、先述したように一人称で書かれているので、主人公に感情移入しやすく、当時の心理状況を考えやすい。どのような人生を生きて人なのかが・・・ほんとうにその概略にしか過ぎないが、この本一冊を読むことである程度、全体像を理解できる。そして、どうして石原慎太郎氏をはじめ、多くの人が田中角栄氏に惹きつけられていったのか、最後は逮捕された人なのになぜ多くの人が彼を懐かしむのか、その理由も見えてくる。山口氏の書いた「総理」という本もそうだったが、政治家に何を求めるべきか・・・誰に投票をするべきか、の一つのヒントになるのかもしれない。


【政治という観点での類書】
総理(山口敬之)
私を通り過ぎた政治家たち(佐々淳行)

書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

  「文章がうまくなりたけりゃ、常套句を使うのをやめろ」 どこかで聞いたようなフレーズ。自分のメモ帳をパラパラとめくる。あったあった。約一年前にニューズ・ウィークで読んだ「元CIAスパイに学ぶ最高のライティング技法※1」。そこに掲載されていた「うまい文章のシンプルな原則」という記...