2021年8月29日日曜日

書評:ラスト・エンペラー 習近平

 「あの国では現場の指揮官の皆が野望を抱いており、『こうすれば習近平が喜ぶだろう』と考え、率先して動く傾向がある。むしろ、上からの指令を待つことのほうが少ないかもしれない」(月刊VOICE2021.9)

エドワード・ルトワック氏のこの中国描写がスっと腹落ちした。その瞬間、氏のこの本を読もうと決めた。

ラストエンペラー習近平 (文春新書)


この著者、エドワード・ルトワック氏とは何者か。本書の経歴をそのまま引用すると次のようなものだ。米戦略国際問題研究所(CSIS)上級顧問。戦略家、歴史家、経済学者、国防アドバイザー。1942年、ルーマニアのトランシルヴァニア地方のアラド生まれ。

本書は、中国のこれまでの行動と考え方に基づき、今後の中国がどうなるかを考察した本だ。中国のこれまでをチャイナx.0と言う表現を使って、4段階に大きく分けて解説している。その概要は以下の通りである。

  • チャイナ1.0
    • 平和的台頭
  • チャイナ2.0
    • 対外強行路線。中国の外交を大いに後退させた悪手だった
  • チャイナ3.0
    • 選択的攻撃。「抵抗のないところ(フィリピン)には攻撃を続ける」は、アメリカからの外交的な反撃を受け、早くも2015年の段階で戦略として破綻していった
  • チャイナ4.0
    • 全方位強行路線(戦狼外交であり、チャイナ2.0の劣化版)


さて、では著者の捉える中国とはどんなものか。著者の次の表現がわかりやすい。

「桂氏の釈放を求めるスェーデン政府を中国の駐スェーデン大使が『48キロ級のボクサーが、86キロ級のボクサーに挑み続けている』と揶揄」

「北京の人々は他国の安全を脅かし、その国民の命を奪っても、相手が経済、すなわち金の力に平伏すだろうと考えている」

「中国は現在、国際社会で守られているルールに縛られることなく、全て自分で決めた『国内法』によって行動し、他の国がそれに従うことを求めている」


これらを読んで私が頭の中に思い浮かべたのは、独りよがりのジャイアン(笑)。いや、これは私見だし、ジャイアンに対しては大変失礼な話かもしれない(が、それは容赦願いたい)。著者はこのジャアン的思想こそが、中国を破滅に向かわせるという。それが、この本のタイトルに込められた意味でもある。

そのロジックはどう成り立つのか。「いわゆる戦狼外交で、相手を屈服させることなどできないから」というのがその理由である。例えていうなら、いくら筋力ムキムキのジャイアンになっても、それで一致団結した相手をねじ伏せることなどできない、と言うのだ。ちなみに、ここで言う筋肉ムキムキ力を海軍力、一致団結した力を海洋力という言葉で著者は表現している。

しかも、ジャイアンには誰かと対等に付き合うという考えはない。著者は言う。「中国の外交は、強者が弱者からの朝貢を受けるという不平等な関係を常に前提としてきた。対等な他者として認めようとはしなかった」と。つまり、その姿勢をとり続ける限り、習近平はラスト・エンペラーになると言うわけだ。

有益な本であることに間違いはないが、一点、注意はしておきたい。そもそも一国を理解するのに、本一冊読めばOKなんてことはない。説得力はあるが、あくまでも1つの捉え方に過ぎないと言うことだ。

だが、これまでとこれからの中国を理解する上でヒントにはなる。少なくとも、今後の中国のニュースを見る目が変わる。ニュースを見て、彼らがまだ「戦狼外交」を続けているのか、それゆえ破滅に向かっているのか、それによって我々がどういう行動を取るべきか考えることができる。

たとえば今QUAD(日本、米国、オーストラリア、インドの首脳や外相による安全保障や経済を協議する枠組み)と言うキーワードがたまにニュース上で飛び交うが、それも大きな意味を持つものとして見えてくる。

引き続き、色々な知識を増やして中国や他国の理解を深められたらなと思う。


2021年8月12日木曜日

書評: 夜と霧

夜と霧 新版
著者:ヴィクトール・E・フランクル

●心理学者による強制収容所の体験記だ

いきなり目に飛び込んでくる最初の文章が、「この本がなんたるか」を表している。

「心理学者による強制収容所の体験記だ。 これは事実の報告ではない。体験記だ。ここに語られるのは、何百万人が何百万とおりに味わった経験、生身の体験者の立場に立って『内側から見た』強制収容所である」(本書より)

「心理学者による」とは、著者ヴィクトール・E・フランクル氏が心理学者だったからだ。しかも、収監される前は、相当な権威を築いていた人のようで、なんとあのフロイトやアドラーに師事して精神医学を学んだ、とある。経歴を見ると「ウィーン大学医学部神経科教授、ウィーン市立病院神経科学部、臨床家」とも。だから「心理学者による体験記」なのだが、それが本書最大の特徴でもあり魅力だとも言える。ハードカバーだが、160ページ強の決して分厚くはない本(むしろ薄いくらいだ)なので、あっという間に読み終わった。


●光の見えないトンネルに閉じ込められることが人間にもたらすこととは

強制収容所に収監されることが、当事者にどんな心理状況をもたらすのか、それがどのように変わっていくのか、人間の価値観はどうなるのか、何か心理学者として新しい発見はあったのか、といった疑問がわくが、もちろん、本書にはその疑問の答えが全て載っている。

例えば、収容されることが分かった時の心理状態を「恩赦妄想」と表現している。死刑を宣告された者が、処刑の直前に土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想し始めるのだそうだ。

これは個人的感想になるが、これは災害時に「自分は大丈夫」と考えてしまう「正常性バイアス」にも似ているなと思った。要は現実を受け入れられないということなのだろう。

その次のフェーズになると、心理状態は「感情の消失段階」へと移行した、という。マイナスの感情もプラスの感情も全て消し、他人に対しても無関心になったそうだ。

これを読んで私は、泣いても喚いても誰かに関心を持っても何も変わらない事実に直面し、生命維持という目的のために感情が何ら役に立たないと悟ったからではないか、と思った。


●印象に残った3つのこと

本書を読んで、私が印象的だったのは、3つ。

1つは、「愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実、を実感した」という著者の言葉。彼の愛する妻が生きているか死んでいるかわからないのに(いや、それはむしろどうでもいいことだとすら彼は言った)、妻のことを思い浮かべることが心に安らぎや幸せをもたらしたという。そこにその人がいるかどうかが問題にならない「愛」って・・・。いったい「愛」って何だろう。自分が、愛する人にそう思ってもらえるように接することが「愛」なのかもしれない、と感じた。

2つ目は、人が生きる源について。著者は体験から次のように述べた。

「ここで必要なのは生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。私たちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ、と言うことを学び、絶望している人間に伝えねばならない」(本書より)

「人は何のために生きるのか」という「問い」について、自分中心の「問い」にするのではなく自分以外の世界中心の「問い」に変えるというわけだ。それって「お前の生死はすでにお前一人だけのものじゃない。残される家族や仲間のものでもある」みたいなセリフを映画などで聞くことがあるが、それに似ている。「問い」かけ方の問題だと思うが、実際、そうした「問い」を通じて何人かの命を救ったという著者の話を聞くと、その「問い」こそが大事なんだと思う。私を含め、もし生きることに迷っている人がいたら、こうした問いかけ方をしてみたい。

3つ目は、人の真価はどこで発揮されるかという話。著者は語る。

「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さぁこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」これは、同意が得られるだろう。『強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、私の真価を発揮できる時が来る、と信じていた』。けれども現実には人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ」(本書より)

よく「本当に窮地に立たされた時に人間性が現れる」というフレーズを耳にするが、まさにそういうことだろう。逆に言えば、普段の生活から見える人間性なんて、普段の生活で発揮できる自らの真価なんて、わずかでしかないのかもしれない。


●人間の本質を知り自分の人生の糧にする

著者は生死の境を彷徨うような本当に辛い経験をしており、何人もの身内や仲間を失っている。そんな人の体験記を読んで、通りいっぺんの言葉で評することなんてとてもできない。ただ、生死の一線に近づいた人のみた世界感は、何かこう宗教というか、信仰というか、哲学というか、、、それらとあい通ずるものがものすごくある。怪しい何か・・ではなく、人間の本質でありリアルに。自分が何に重きをおいてどう生きるべきかのヒントをもらえた気がする。


2021年8月1日日曜日

書評:決断力 〜誰もが納得する結論の導き方〜

決断力 〜誰もが納得する結論の導き方〜 (PHP新書) 
 橋下徹

●何が書いてある?
橋本徹が自身の成功・失敗体験から導き出した「答えのないテーマにおける決断の仕方」についてのポイントを解説した本。


●何が書いてある?
答えがないときの決断の仕方は、司法業界でとられている「手続き的正義」の考え方がヒントになるという。答えがないテーマで意思決定をする際には「実態的正義」ではなく、手続き的正義にフォーカスしたアプローチを行うことが望ましいというわけだ。

なお、「実態的正義」とは、ある結果の内容自体に正当性があるかどうかを通考え方のこと。いわば、「絶対的に正しい結果かどうか」を問うもの。また、「手続き的正義」とは、結果にいたる過程・プロセスに正当性があるなら、正しい結果とみなす、と言う考え方。論点は「適切な手続きに則って判断された結果かどうか」にある。

この話を聞いて、以前、日経ビジネスで宮本雄二 元駐日大使が次のように発言していたことを思い出した。

「迷ったらすぐに決断する。A案とB案のどちらが適切か迷うのは、どちらの案にも良い点と悪い点があるからです。しかも、その差はわずか。ならば、どちらを選んでも大きな差はないわけです。それならば早く決断し、稼いだ時間をマイナス要素を減らすことに費やすべき」
(by 宮本雄二 元駐日大使 日経ビジネス2016年9月5日号「有訓無訓」より)

「どちらも正解・不正解である可能性は高いのだから、絶対的な正解を探すのではなく、納得できる手続きに則って答えを出すのが大事」ということだろう。

●印象に残ったことは?
一番印象に残ったのは、この「手続き的正義」と言うシンプルでわかりやすい考え方。この本には書いてないが橋本徹さんが以前どこかの雑誌で原子力発電所の再稼働問題について、「原子力規制委員会が答えを出すのではなく、原子力規制委員会はあくまでも安全性の観点から必要な主張をし、他方、経済や環境の観点から別の専門家が主張をし、その双方の意見を踏まえて政治家が決断を出すという形にしないと、話が進まない」といった発言をしていたように記憶しているが、本書を読んで、「あぁ、なるほど。橋下さんの説得力ある思考の裏にはこのような考え方があったんだな」と腹落ちした。

あと、危機管理の要諦に関する発言も参考になった。特に次の氏の指摘は、まさに誰もが陥りそうな罠なので、ハッとさせられた。

「大組織ほど陥る罠として、リーダーは下からの報告を鵜呑みにしてしまいがちです。リーダーは『組織は、自分たちに都合の悪い事実は必ず隠す』と肝に銘じなければなりません」

●どういう人が読むべき?
「意思決定」は経営者のみならず、組織を率いる人はあらゆる場面でしていかなければならない。組織の上位階層に行けばいくほど「正解のない問い」に結論を出していくことが求められる。故に、そういった人たちには、参考になる本だと思う。


書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

  「文章がうまくなりたけりゃ、常套句を使うのをやめろ」 どこかで聞いたようなフレーズ。自分のメモ帳をパラパラとめくる。あったあった。約一年前にニューズ・ウィークで読んだ「元CIAスパイに学ぶ最高のライティング技法※1」。そこに掲載されていた「うまい文章のシンプルな原則」という記...