教誨師
著者:堀川恵子
出版社:講談社
教誨師(きょうかいし)という職業がある。簡単に言えば、死刑囚を精神面でサポートする人だ。文字通り、死刑囚に死が訪れるその瞬間まで行われる。教誨師は免許制ではない。ある意味、誰もがなれるわけだが、様々な宗教、様々な宗派を代表する者達がボランティアで行っているのが実態のようだ。本書は、その教誨師の中心的存在である渡邉普相氏に密着取材し、教誨師という職業の本質に迫った本である。
この本が注目に値するのは、何よりも、情報としての希少性である。書店を見回しても教誨師に関する本はない。拘置所の管理体制が強化され、獄内での出来事は一切、口外無用となったことが影響しているのではないか、とは著者の論だ。教誨師が精神的につらい任務である点に鑑みれば、積極的に口外しようと言う者もいないのではなかろうか。本書にしたって、ありとあらゆる取材に応じなかった渡邉氏が、著者に対してのみ、紙に起こすなら亡くなった後に行うことを条件に承諾されたものである。
本には渡邉氏が、教誨師になった経緯をはじめ、教誨師としての自身の失敗や苦悩、数々の死刑囚とのやりとりが詳しく紹介されている。「女性だから実際に死刑が執行されるわけがない」と自身に満ちあふれた死刑囚、「死刑執行の日は、その前日に教誨師に伝わるだろうから、特別に自分だけには教えてくれ」と教誨師に念押しする死刑囚、大久保清の女性の連続強姦殺人事件を指して「あいつは間違いなくオレと一緒だ。強姦が目的じゃない。殺しが目的なんだ。」と語る死刑囚。
死刑囚を精神面からサポート・・・というと生やさしい響きがあるが、わたしは死刑執行の場にまで立ち会うという事実に(もちろん、それを望むか望まないかは教誨師自身の判断だが)驚愕した。また、死刑囚にばかり目がいきがちだが、死刑囚を合法であるとは言え、自らの手で殺さなければいけない刑務官の気持ちを考えるとやりきれないものがある。
「先生!私に引導を渡して下さい」
・・・(中略)・・・
「よおっし!桜井さん、いきますぞ!死ぬるんじゃないぞ、生まれ変わるのだぞ!喝-っ!」
「そうかっ、先生、死ぬんじゃなくて、お浄土に生まれ変わるんですね」
「そうだ、桜井君!あんたが少し先に行くけれども、わしも後から行きますぞ!」
潤んだ両の目に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだと思った途端、その笑みは白い布で隠された。そこからは、わずか数秒のことだった。桜井を取り囲んでいた刑務官が、パッと離れた。同時に、差くらいの身体の正面に身をかがめて待機していた別の刑務官が、床から伸びた太いレバーを力一杯、グッと引いた。その瞬間。バッターーッン・・・。
(教誨師、第五章 裟婆の縁につきて、より)
本書を読むとこのように、死を直前にしたときにこそ現れる人間の本質、教誨師という職業の過酷さ、そして、人が人を裁くということの重さ・・・それが、大きなうねりとなって押し寄せてくる。一方で、こうした記憶は時間の経過とともに徐々に薄れていき、人は過ちを繰り返す。人生は続く。
色々な人のお陰で社会が成り立っていることに感謝の念を強く持つとともに、人間っていったいなんだろう・・・という疑問が膨らむばかりである。はっきりとした答えは何も出ないが、間違いなく強烈な印象を残す一冊だ。
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