2022年5月8日日曜日

「土偶」は本当は何のために作られたのか!?

「土偶、が何のために作られたのか、謎を解いた」という話を聞いたら、皆さんはどう思うだろうか。


「え〜。100年以上、専門家が解き明かせなかったものが、そんな簡単にわかるかねぇ」



私は、そういうふうに思いながらも、好奇心を抑えきれず土偶を読むを手に取った。すでにヒントは本のカバーに描かれている。土偶の顔と栗が並べられた写真が掲載されている。

「そうなのか、答えは、土偶は食べ物を偶像化したものということなのか? でも、土偶は他にもたくさん人型をしたものがあったはずだが、それらはどう説明するんだ!?」


そう思いつつ読み進める。1例目はハート型の土偶の話。ハート型と食べ物が結びつくイメージが全くなかったが、著者が提示するある食べ物と並べた写真を見て、正直、驚いた。確かにそっくりだった。しかも、(これは個人的感想だが)ハートは現代でこそ「心」を模したものとされているが、5,000〜6,000年前の縄文人がそんなアナロジー思考ができているハズもない。これも私の拙い知識からの話になるが、実際「RANGE 〜知識の『幅』が最強の武器になる〜」の著書、デイビッド・エプスタイン氏はその本の中で、「知識を持っている教育を受けた人と未開の人との違いは、アナロジー思考ができるかどうかの差になって現れる」といったことを述べていた。いずれにしても、だとしたら、縄文人は何か身近なものを土偶に模写したハズで、その観点でも説得性がある。


「でも、たかだか1つの事例だけで信じてたまるか」


そう思いながら2例目を読む。栗と並ぶ形で表紙の写真に掲載されていた土偶の話だ。確かに似ているかもしれないな。続けて3例目を読む。ここに掲載された写真を見て「あぁ、これは確かにすごい」と思った。

その後は「よくもまぁ、ここまで調べて仮説を立てたものだ」と感心しながら、読み進める。


決定的に唸らされたのは、超有名な恵比寿田土偶の解説とそこに付された写真を見たときだ。「確かに、人間を模した土偶と説明する方がよほど信憑性がない。しかし、こんなものが、どんな食べ物を模したものだというのだ!?」


【「土偶を読む」恵比寿田土偶の写真より】

著者が読者に信じてもらうために、土偶写真の一部を、その食べ物に置き換えた加工写真を掲載している。俄には信じがたいのだが、「加工」に気づかないほど土偶の体の一部とそっくりなのだ。

ここで正解を述べたら面白くないので、これで興味を持った方はぜひ読んでもらいたい。本書の良いところは、著者の主張を裏付けるために、写真や絵がふんだんに掲載されているゆえ、読者自身が、自らの目で検証できる点にある。

ところでなぜ、我々は「土偶を読む」に興奮するのか。読んで、どんなメリットがあるのか。しばらく考え込んだ。自分が出した答えはこうだ。

「とにかくワクワク感が湧いてくる。なぜそんな気持ちになるのかといえば、キリストが生まれたとされる年よりも昔・・・はるか5,000年前の人間がどんな人間だったのかを知ることができるからだ。そして、食べ物等を土偶に模すことによって豊作を願うなんざぁ、今の自分達と何ら変わらない人間だったんじゃないか、と気付かされる。今の我々が5,000年前と全く同じ人間。そう思っただけで、自分が5,000年前にタイムスリップできた気がするのだ。この気持ちは、サピエンス日本上陸 3万年前も大航海を読んだときにもあった。」

この本一冊でそんなワクワク感を得られるのだとしたら、素敵なことじゃないだろうか。


書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

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