2013年4月6日土曜日

書評: 学び続ける力

学び続ける力 ~池上さんと考える教養のすすめ~
著者: 池上 彰
出版社: 講談社現代新書


本書は、人間がよりよく生きるための効果的な”教養の身につけ方”を池上彰氏の人生に例をとりながら、示しているものである。

こう切り出すと、まず「池上さんの言う教養って何だろうか!?」と疑問がわく。 実は、本の帯に答えがある。「すぐには役に立たないが学んでおけば将来、ずっと役に立つもののこと」だ。したがって、すぐに役立つこと・・・そう、たとえば「お酢をつけてこすればシールをきれいにはがせる」なぁんていう今からでもすぐに役立つ、生活の知恵シリーズなるものは”教養”には入らない。MBAのように、社会人にすぐに役立つ武器を提供することを前提とした学問も、厳密に言えば、教養の部類には入らない・・・らしい(ちなみに、わたしはMBAではすぐには役立たないこともいっぱい学んだと思っているので、正直、この指摘には賛同できないが)。では何が教養なのか? それはたとえば、歴史であり、数学であり、茶道であり、哲学だ。

では、次に池上さんの言う”効果的な教養に身につけ方”って何だろうか!? この疑問に対する答えがまさに本書の一番のテーマでもあるのだが、わたしなりの言葉でまとめると、見る、聞く、読む、喋る・・・こうした日常生活の基本的な動作ひとつひとつに、興味のアンテナを広げ、自分の頭で考える工夫を入れること、と言えるだろう。たとえば、”ニュースを読む”行為ひとつとっても、池上氏は、インターネット上のニュースではなく、紙の新聞を読むことがいいのだ、と言う。インターネットニュースは、読み手に興味のあるものだけを簡単に選び出せるようになっているため、関心の幅を広げる機会を得られないというのだ。それよりも、いろいろな見出しが目にとびこんでくる紙の新聞を読んだ方がいいだろう、というのが池上氏の提案だ。また、ノートの取り方に関するアイデアも中々だ。ページ左半分だけにメモをとり、右半分は開けておく。ノートを取り終わった後に、左側のメモを見ながら、右半分に、自分なりの考えを書き出す・・・。「つまり、相手はここで何を一番伝えたかったのだろうか?」などと。こうして”自分で考える”という行為を促す。

池上さんの言う”教養”が何たるかがわかった。”教養”はどう身につければいいのかもわかった・・・。ここで次の疑問がわく。「よりよく生きる・・・って何だ!? 教養を身につけると何がよりよくなるのか!?」と。

池上さんは次のように語っている。

『(教養を得ることで)自分の存在が社会の中でどんな意味をもつのか、客観視できる力を身につけることができるのです』(本書より)

なんとなくわかったようなわからないような・・・。言い換えると、「やみくもに生きる・・・そう、狭い一本道を突き進むことだけに腐心するのではなく、ゆっくりと立ち止まって周りを見渡そうよ。実は、自分の周りには他にも道があり、愉しい世界が広がっていることにきがつくよ。”教養”を得ることで、そうしたことに気づけるチャンスを増やせるよ。」・・・そんな感じじゃなかろうか。

故スティーブジョブズ氏は、美しさに魅せられて、何の役に立つかもわからない”カリグラフィー”を学んだが、それから10年以上の後、本人もびっくり、実はAppleのコンピュータ(マッキントシュ)を生み出す上で大きなカギになったのは有名な話だ。”教養”というと大仰に聞こえるが、わたし自身も、今の自分の立場を得る上で、大きく貢献してくれたのは、何に役立つかわからずに学んだことばかりだ。

「すぐに役立つことは、すぐに役だたなくなる」

池上彰氏が座右の銘であるかのように繰り返し発するこの言葉は、実は、文庫本「銀の匙」一冊だけを3年間かけて読むという型破りな国語授業を行い、灘に私立校初の東大合格者数日本一の栄冠をもたらしたあの伝説の教師、橋本武氏の言葉でもある。つまり、この言葉は、疑いようのない事実なのだ。何とも含蓄のある言葉だと思わないか? 少しでもそう感じるのならば、ぜひ、読んでおきたい一冊である。


【”教養”の本質に迫るという観点での類書】
奇跡の教室(伊藤氏貴著)
風をつかまえた少年(ウィリアム・カムグワンバ著)
人生を面白くする本物の教養(出口治明)

===役立たずな知識の有用性(2013年4月14日追記)===
月刊VOICE2013年5月号で山形浩生(やまがたひろお)氏が、エイブラハム・フレクスナーの書いた「役立たずな知識の有用性」について触れていた。フレクスナー氏によれば、好奇心のままに追究した方が遠い将来、有用性につながることが多いのは事実だが、追究する行為の正当性を有用性に求めるのはナンセンスだという。役立たずな好奇心の追究こそが人類の魂の自由な表れであり、それはそれ自体として何ら必要にしないのだ、と。ただし、山形浩生氏はフレクスナー氏の話を踏まえた上で”過ぎたるは及ばざるがごとし”的な結論でまとめている。つまり「政府は将来役に立つかどうかだけで物事を測り過ぎるべきではないし、研究者は自分がやっていることを何でもかんでも盲目的に追究するべきではない」と・・・。なるほど!

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