現在、ロシアはサンクトペテルブルク滞在中。
さて、ふと
「自分の苗字のルーツはなんだろうか?」
と思った次第である。私の苗字である勝俣(かつまた)は、富士山の周りに多い、というのは以前から噂に聞いてきたことだが、インターネットを駆使してもう少し調べられないものかと奮起してみた。
そうするといくつかのキーワードが見えてきた。
・御殿場
・勝間田一族
・勝間田城
・勝股、勝俣、勝又、勝亦、勝間田
疑いようのない事実として、静岡県御殿場市に行くと、”かつまた”さんが、確かに無数にいるらしい。が、ここより100Kmほど離れた榛原町の勝間田というところに勝間田城とよばれる勝間田一族が支配するお城があったらしい。ところがこれが戦国時代に今川氏の攻撃により落城し、勝間田一族が逃げ延びる形で富士山麓に移り住んだのではないか、とのことだ。うぅむ。敗残したわけね。
これを裏付ける話として、更に「名字の話」(静岡新聞社発行)という本で、
「静岡県榛原の勝間田氏が1476年に滅び勝間田四兄弟が山梨県平野に逃れ、長男が「勝俣」、二男、三男が印野に移住「勝間田」、四男は仙石原で「勝俣」と名乗った。」
と紹介されている。ここまでは正しい史実と思って間違いなさそうだ。
さて・・・・信憑性という点では定かではないが、一応、インターネット上で見つけた興味深い文章があったので、それをそのまま引用(勝手に引用してごめんなさい)しておくと
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勝間田一族は静岡県の牧の原辺りの横地一族の支族なのですが、この横地一族の始まりは源義家の庶子なのです。つまり清和源氏であり元をただせば天皇家に繋がるのです。この一族は徳川の家臣が最初ではなく源頼朝の挙兵に戸塚・西郷・海老江・二俣などの横地氏族と共に従い、源義経と共に壇ノ浦で戦うものもあれば室町幕府の成立に尽力し足利将軍の御家人になるものもいて、武勲、戦功のあったものは何人もいます。
元寇のときに禁裏の警護をしたものもいました。諏訪神社神事には二人が射手をしており、毎年の年初めの弓射ちの役目もあったそうです。
応仁の乱あたりで今川義忠に当主の勝間田修理亮は討ち取られてしまいますが、残った一族・残党が即座に敵討ちをしてまいます。その後一族はばらばらになりますが、武田の家臣になった者もいれば北条の家臣になった者もおり、帰農した者もいたそうです。
その後に家康の側室に西郷局が入ります。この西郷と言う名は九州菊池氏の一氏族の名です。西郷氏は三河国に移り住んだ後に岡崎城を創建しましたが松平に迫られ家康の祖父の清康を養子に迎え、変わりに城を譲りました。ちなみに九州に残った菊地一族に幕末の下級武士の西郷隆盛、別名・菊地武雄がいます。
そして三河国西郷氏に勝間田五郎大夫忠春の娘が養女にはいり、この養女が後の西郷局です。そして家康と西郷局の子が二代目将軍秀忠です。西郷局の先々代の勝間田正重戸塚七郎の兄弟・勝間田兵庫頭の九代後に喜世がいます。この喜世が六代将軍家宣の側室に入り子供をもうけ、この子が七代将軍家継になり喜世は月光院になります。
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なにやら話は色々と膨らむようだが、残念ながらタイムマシンでも発明されない限り、これを確かめる術はない。そして、何はともあれ、結局は今の自分が全てである。
過去に浸るのはほどほどにしておいたほうがよさそうだ。
20代後半から、今日にいたるまで毎日を全速力で駆け抜けてきました。疾走するスピードは毎年加速度的に増えています。 そんな自分の足跡を残したい、考えを整理したい、自分の学びの場としたい・・・こういった思いからこのブログを立ち上げました。とりわけ、読んだ本や雑誌、観た映画、その他遭遇した事件・・・などなど、思いの丈を吐露しています。
2010年10月29日金曜日
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6 件のコメント:
自分もカツマタさんです。
苗字のルーツ知りたかったんですよ~。
調べてくれて有難う。
こちらこそコメントをどうもありがとうございます。やっぱり自分のルーツは気になりますよね・・・。
私も御殿場生まれの勝間田です。
ル-ツを知りました。有難う。
私も勝俣です^^
興味深い記事ありがとうございます。
面白かったです。
自分も富士吉田生まれのかつまたです。
ルーツ興味深いですね
徳川家と縁があるとじいさんに聞いてたので
なるほど、と思いました。有難うございます!
カツマタのルーツをふと調べてみたくなり、ここに辿りつきました。私は「ひっかけまた」のカツマタです。亡き父が「うちは武田の家臣で徳川に従った」と言っていたのがずっと気になっていたのです。俺の先祖は寝返ったのか?と。でも武田家臣団のどこにも出てこないし、徳川家臣団にもないし。おかげで父が死んで30年の長い疑問がわかりました。父は正確では無かったけど間違ってもいなかったわけですね。ありがとうございました。
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