「SDGsは幻想だし、それどころかアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない」という著者の言葉にはハッとさせるものがある。
どんな本かと言えば「『サスティナビリティ』を脅かす一番の張本人は『資本主義』であり、これを解決するには『脱成長コミュニズム』を目指すしかない」ということを語った本である。脱コミュニズムについて、その背景から理由、解決方法にいたるまで著者の考えを説いている。
では、脱成長コミュニズムとは何か。それは成長、すなわち、生産至上主義から脱し、次の5つの柱を掲げて活動することをいう。詳しくは本書を読まれたし。
- 使用価値経済への転換
- 労働時間の短縮
- 画一的な分野を廃止
- 生産過程の民主化
- エッセンシャル・ワークの重視
脱コミュニズムとは、言い換えれば、人工的な希少性の領域を減らし、消費主義・物質主義から決別した「ラディカルな潤沢さ」を増やすこととも言える。人工的な希少性の意味を少し解説しておくと、資本主義では希少性に値がつくため、そこにたくさんの無駄を生じさせるというのだ。典型例がブランディングだ。ブランディングをするために、広告を刷り、宣伝をし、不必要なプロモーション活動を行う。
脱コミュニズムは、そうした活動領域を減らそうという考えだ。そしてそれは決して国家に管理される必要のあるものではなく、市民が中心となってできる活動だと著者はいう。具体的にはワーカーズ・コープ(労働者協同組合)は、脱コミュニズムが目指す上で参考となる取り組みである。また、具体的な解決策として、本の後半では、バルセロナ市民が取り組んでいる「フェアレス・シティー」の取り組みを紹介している。これは、2050年までの脱炭素化という数値目標をしっかりと掲げ、数百ページに及ぶ分析と行動計画を備えたマニフェストである。
「いやいや、SDGsやESGという言葉が注目されているし、これらに関する取り組みが進めば解決の可能性はあるでしょう?」 そんな反論が容易に出そうだ。しかし、それに対しても、幻想だということを訥々と説いている。資本主義の上で、しかもそれが「人任せ」では、超富裕層が優遇されだけだと著者はいう。
「コロナショック・ドクトリンに際して、アメリカの超富裕層が2020年春に資産を62兆円も増大させた出来事を思い起こせばいいだろう」(本書より)
そんな本書を読んだ感想を述べておく。確かに、どこか心の中で「地球の資源はまだまだ豊富であり、科学が発展すればいずれ解決される」そんなことを考えていた。でも、一番大事なことを忘れていた。その科学発展の時間的猶予がそもそもないのだ。
とはいえ、正直、この本を読んだから、明日から本書が示す考え方を軸に、全部自分の生き方を変えるのは無理だし、そうしようとまでは思わない。思わないが、今日の取り組みレベルでは全く温暖化に対抗できないということ、本当に取り返しのつかないレベルまで来ているということを強く意識できるようになった。加えてSDGsは本質ではなく手段にしか過ぎないし、その手段としてもまだまだ貧弱な取り組みであるということを認識できたことは大きいと思う。今後、経営者としてもビジネスパーソンとしても一個人としても、意思決定をする際の重要なインプットにしたい。もちろん、これからの若者たちのために、自分が社会に対して何ができるかを考え続けたいと思う。
最後に、やや余談だが、ミレニアル世代やZ世代などこれからを担う若者が、それ以前の世代に比べて、サステイナビリティなどに、より強い興味を持っていることを理解できた気がする。そうした世代に「売り上げをあげよう。上げなければ生き残れない」「やれ働こう」「やれお金を稼ごう」と訴えかけても心に響かないことは明らかだ。そんな意識を持ったまま企業経営を進めても、空回りするだけだ。
本書を読んでそんなことを考えた次第だ。
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