2011年6月19日日曜日

書評: 40歳からの適応力

特に何か特別なきっかけがあったわけでもないが、いつの頃からか、自分は何かと焦って生きてきた。

「やりたいことを全てやりきるには人生の時間が余りにも短すぎる」と・・・。

こうして、ずっと全速力で駆け抜けてきたつもりだが、そんな自分も今年の12月で39歳になる。40歳は、もう目の前だ。いよいよもって焦りが募るばかりである。そんな時に本屋で見かけた本がこれだ。

「40歳からの適応力」
発行年月日:2011年4月1日 価格740円

■全力疾走し続ける人の人生観に触れてみたい

羽生善治氏と言えば、非常に早熟な人物・・・早くから棋士としての頭角を現し、数々の名人タイトルを総ナメにした人、という印象がある。実際、彼のプロフィールを見ると15歳で名人に、26歳で名人七冠を達成している。その後、波はあったようだが2011年に至る今でも三冠(名人・王座・棋聖)を保持している。

棋士は朝の10時から夜の12時まで、(合計2時間弱の休憩を合間に入るが)ほぼぶっ通しで、頭をフル回転させる職業だ。要求される集中力は常人には想像できない。そのようにハードな職業において、数十年もの間、棋士界のトップに君臨し続けていることを思うと、彼の経歴は、より一層際立って見える。

言わば”自分以上に全速力疾走し続けている人物”・・・そんな人が今年で40歳という節目を迎えるわけだが、彼がどのような心構えでいるのか、40歳という年齢をどう感じているのか、興味がわかないハズがない。自分も来年40歳を迎えるにあたって、何か、人生の良いヒントが見つかるのではないか?そんな期待を持ちつつ、本を手に取った。

【本の構成】
1章「豊富な経験」をどう役立てるか
2章「不調の時期」をどう乗り越えるか
3章「独自の発想」をどう活かすか
4章「変化の波」にどう対応するか
5章「道の局面にどう適応するか

■羽生善治氏の頭の中って、きっとこんな感じ?

さて、この本を読んだ感想だが、読み終えてのわたしの第一声は、

「・・・・うーん・・・・」という唸りだ。

これまでに色々な本を読み、思いつくままを感想文として書いてきたが、今回ほど自分が感じたことを、表現しづらい本も珍しい。

もう少し積極的に表現してみるなら「羽生善治名人の頭の中を、素直にそのまま文章という形に書き下ろすと、こんな本になるんだろうなぁ・・・」といったところだろうか。

とにかく読んでいる話題があっちこっちに飛ぶ印象だ。そう、あたかもマルチタスクで物事を考えている人の頭の中を覗いているかのような感覚だ。タイトルと中身が微妙に一致しておらず、結局、(章、節、段落で)何が言いたいのかわからない、こともしばしばあった。

違和感を感じた文章例)
タイトル:「疲れやすいと集中力も続かない」

『将棋の対局では待ち時間がとても長いものもあります・・・(中略)・・・ぼーっとしてしまってもリフレッシュして集中しなければなりません。ちょっと席を外したり水分を補給しながらやっています。ですので、集中力は体力とも密接に関連しているようです。体力がなく、疲れやすければ集中力も持続させるのは難しいでしょう。やはり、健康はなによりも重要なことであると思えます。”ランナーズハイ”と呼ばれるものがありますが、将棋の対局にも同様なことは起こり得ます。くたくたになったその先に、さらなる集中の世界があるのも事実です。ほとんどの世界ではそこまでやる必要性はまったくないわけですが、それだけ集中の世界は奥深いものです。楽しみながら少しずつ深い集中を知っていくのが安全・健全なのでしょう。浅瀬でも深海でも見える景色の美しさに変わりはありません。』

また、棋士名人だけに記憶力が抜群に優れているのだろう。著名人の格言や書籍・映画の引用がものすごく多い。孔子、千利休、アルビン・トフラー、佐藤優、ジャック・マイヨール、マザー・テレサ、クラーク博士、ニールスボーア、大山康晴、サリンジャー、ヒッチコック、スティーブ・ジョブス、ニュートン、コロンブス、宮沢賢治、トルストイ、チェーホフ、オバマ大統領、安部公房、金出武雄などなどだ。

逆に言えば、他人から借りてきた言葉が多すぎて、彼自身の思いが埋没してしまっている感が否めない。(文体の問題でもあるのだろうが)、文中やたらと「~であるようです」「~かもしれません」「~したいものです」といった語尾で終わせる文章が多いことも、彼の主張をぼやけさせてしまっている理由の一つだ。

■40歳でもマイペースで行こう!

ところで、羽生善治氏は本の結びで、平均寿命が延びた現代においては実年齢に八掛けをした数字こそが、昔の人(例えば、孔子や信長など)が意図した年齢に近いのではないか、と述べている。また、この前提に立てば、40歳などという年齢は八掛けで32歳・・・論語で言うと頃のまだ”三十にして立つ”・・・すなわち”自立したばかりの若造に過ぎないではないか”といわけだ。

「40歳はまだまだ若造・・・この節目に何か特別な意味があるのか?・・・」

という氏の思いが聞こえてきそうである。だからだろうか、本全体を読み終えても「40歳では、こうこうこうだから、私はこうあるべきだと思います!!/こうします!」という羽生善治氏の強い意志が伝わって来なかった。

この本のタイトルである「40歳からの適応力」を、わたしなり解釈した言葉でまとめるならば、

「40歳だからと特別な意識をする必要は無く、従来通りやってきた正しいと思うことを、これからも継続してやっていきましょうよ」

という感じだろうか。少なくとも自分はこの本を読んでそのように感じた次第である。


2011年6月13日月曜日

今度こそ、心を入れ替えたい

最近、仕事が押しているため、ブログの更新が何かと遅れ気味だ。今年立てた「毎週本を1冊読み、必ず感想を書く」という目標も、残念ながらここに来て、1週分遅れている。

まぁ、「万事思い通り行く」というほうが、むしろおかしいだろうから状況に合わせて、たまには適度の手抜きも必要だと思っている。

そんなわけで先週読んだ2011年6月6日号の日経ビジネスについて(睡眠不足で、さっさと寝なければいけないのだが、今夜は寝る前に)軽い感じで、触れておきたい。特集は「消費者はこう変わる」。


今回、最も印象に残ったのは、例によってこの”特集”ではなく「クリステンセン教授、日本への手紙」というタイトルのA4サイズ1ページ分の記事だった。

この記事を読むまで、この教授のことは知らなかったがクリステンセン教授は、アメリカのハーバード大学ビジネススクールで有名な先生らしい。そんな著名な教授が、2007年11月に突然、心臓発作に襲われ、その2年後に悪性腫瘍が見つかるという事態に直面した。最悪なことに、昨年7月には脳卒中で倒れて言語中枢の機能に障害が残る、という三重苦を味わうはめになった。

そんな途方もない人生のハードルをつきつけられた彼が「震災で大きなダメージを受けている日本に向けて何かエールをもらえないか?」という日経ビジネスの依頼に応えてくれた。この記事では、その手紙について紹介されている。

『ビジネススクールの教授としては致命的です。対話能力を取り戻そうと頑張るほどフラストレーションがたまる一方で、私は内にこもるようになり、自分自身と格闘するようになりました。こんな辛苦をなぜ味あわなければならないのか。私がどんな悪いことをしたというのか。絶望的な気持ちになり、うつ秒に近い状態に陥ってしまいました』


『私は自分のことばかり考えていて、ほかの人達を助けたり奉仕することについて考えるのをすっかり忘れていました。私の不幸の原因は自分自身のそうした自己中心的な考え方なのであって、自分自身を”復興”するプロセスを通して、幸福とは私利、私欲、私心を捨てることによって初めて手に入れられる心の安息なのだと気づいたのです』


『人間の命は壊れやすく、現世の命ははかなく、未来に何が待っているのか、いつ終わりを迎えるのかを知るすべもない。人生で最も大切なことを決して後回しにしてはいけません。”いつの日にか”という日が必ず訪れるという保証はどこにもないのです

かのスティーブジョブズ氏は、2004年に膵臓ガンと診断された時、死を覚悟したという。奇跡的に助かることができ、今に至っているがそうした経験を経て、クリステンセン教授と全く同じような”思い”を語っている。

『何かの選択に迷ったとき、重大な結論を出さなければいけないときには、こう自分に問いかけるようにしているんだ。もし仮に自分が明日”死ぬ”と分かっていたら、やはり同じ選択をしているだろうか?ってね。』

死に近づく体験をした両者が発言するこうした言葉の重みについて、今更、形容するまでもない。さて、みなさんはどう思うだろうか。

わたし自身は、こうしたブログを通じて、さも悟ったような発言をしてはみるが、いやはやどうか・・・。

「”明日が来ないかもしれない”という前提で、今日を過ごす・・・」ということを・・・ここまで説得力ある言葉を前にしても、相変わらずできていない(いや、できそうにない)自分に、ただただ情けなく思うばかりである。

今度こそ、今度こそ・・・。

2011年6月12日日曜日

書評: コンサルティングとは何か

今回読んだのは、次の本だ。

「コンサルティングとは何か」 堀 紘一著 (PHP出版) 
820円

仕事帰りに立ち寄った駅の本屋さんで「次は何を読もうかなぁ~」とぶらぶらと探していたときに、目にとまった。

■ 非常に重たい著者が持つ言葉

この本は、コンサルティングの世界でプロ中のプロとも言える堀 紘一氏が、本当の意味での”職業としてのコンサルタント”について激白した本である。

ところで、知らない人もいるだろうから(恥ずかしながら、私はこの人のことを知らなかった口であるが)、そもそも堀氏とは誰かについてまず語っておきたい。

堀氏が”プロ中のプロ”と言われるゆえんは、彼が30年もの間、ずっと戦略コンサルタント職に従事してきたことにある。知っている人も多いと思うが、コンサルタントという職業は、肉体的・精神的にハードなものである。どれだけハードかと言えば、長期間にわたりこの職に従事する人は、途中で燃え尽き症候群(バーンアウト)に陥ってしまうくらいハードである。また、この道を極めた人は、達観できてしまうのだろう・・・多くはコンサルタント職からは退き、他の業界の第一線でめざましい活躍をしている。言い替えれば、コンサルタントとしての寿命は短いのだ。これに関しては、あの大前健一氏も例外ではないと言える。

このことから、つまり”30年間”というものがいかに長期間であり、珍しいことであるかが、容易に想像できる。プロ野球で言えば、工藤公康投手のような存在ではないか、と私は思う。現在にいたっても、肉体的・精神的にハードな業界の第一線で活躍できるのは、職業を心から好きでないと駄目だが、それ以上に、強靱な精神力と真の能力が備わっていなければできない。そのような人が書いた本であると分かって読むと、言葉の重みもまた違って伝わってくる。

■”戦略コンサルタント”が本当のコンサルタント

今や世の中にはITコンサルタントや環境コンサルタントなど「私は○○コンサルタントです」と名乗る人が圧倒的に増えてきている。堀氏は、”コンサルタント”という仕事が世に登場したときに本来持っていた言葉の意味が歪んで捉えられるようになってきていると語る。

では、氏が言う、本当のコンサルタントは何か? 本を私なりに解釈すると次のような表現になる。

超地頭(じあたま)が良く
体力があり
考えるプロで
知識の提供によるのではなく
戦略を考え経営に目に見える結果を残すことにより
対価を得る人

逆に言えば、この定義に該当しないコンサルタントは、”コンサルタントもどき”・・・氏が言うところの括弧付きコンサルタントというわけだ。

■コンサルタントを目指す人、コンサルタントを使う企業が対象

本の構成は、以下の通りだ。

第一章: 経営戦略コンサルティングの誕生
第二章: なぜ、コンサルティングが必要なのか?
第三章: コンサルタントは、生半可な能力では務まらない
第四章: コンサルタントはプロフェッショナルである
第五章: コンサルティング・ファームを使いこなせる企業が勝
第六章: これからのコンサルティング ~コンサルティングを越えて~

構成を見れば分かると思うが、本の内容は、先に定義した”コンサルタントとしての本来の姿”を踏まえた上で、「真のコンサルタントには何が求められるのか」や「コンサルタントは、どうやって使うべきか」といったテーマを中心に語られている。

「コンサルタントには何が求められるのか」という点に関しては、たとえば「ノートを取ることを心がけよ」とか「現場を重視せよ」、「コンサルは実践をやることでしか鍛えられない」「コンサルの仕事は、一言で言えば”グラフを書くこと”に集約される」といったようなことだ。

また「コンサルタントは、どうやって使うべきか」という点については、たとえば「実際に得られる効果を考えれば、高額なチャージ金額は当然の対価である」といったことや「根拠あってのチャージ金額なので、値切りをかけられればマイナス要因しかない」といったようなことだ。

さて、実際に本を読んでみると、どうしても堀氏の商魂魂(?・・・という言い方が正しいかどうか分からないが、そのような傾向)が見え隠れする。端的に言えば、この本の狙いは、以下の3つを伝えることに集約できるのではなかろうか?

「我が社(ドリームインキュベータ)には、このような人材に来てもらいたい」
「我が社を使うなら、積極的に、こうやって使ってもらいたい」
「”コンサルタントもどき”は、俺らの誤解を招くようなイメージを植え付けるな」

この本の対象像も自ずと、そういう人達になることが分かる。

■自分も”プロ”として大成したい

かくいう私も「リスクマネジメントコンサルタント」という肩書きを持っている。経営陣がリスクをどこまで取るべきか、どうやって取るべきか、どうやって最小限に減らすべきか・・・といったことを考えるお手伝いをしている・・・という意味では、戦略に近いと言えなくもない。

いずれにせよ、私も堀氏に言わせれば、なんちゃってコンサルタントになるのだろう。

ただ、彼の言うコンサルタントではないかもしれないが、今やっている仕事でのプロではありたい・・・と常に思っている。何かを提供して、お金をもらう以上、その道(自分が従事している仕事)のプロであるべきだと常日頃から考えている。プロとは、その業界で飯を食ってない人が、全く持って歯が立たないくらいの技量を兼ね備えている人である・・・と思う。そのためには、自分が闘う分野において誰にも負けないくらい精進するべきだし、結果を残すべきだと考える。

こうした自分の”プロとして大成したい”という思いに対して、改めて大きな刺激を与えくれた・・・という意味で、自分にとってそれなりに価値ある本であったと言えるかもしれない。


2011年6月8日水曜日

マーケティングを単なるコストと見るなかれ・・・

2011年5月号のハーバードビジネスレビューのテーマは、"How to Get More Done"(もっとこなすにはどうしたらいいのか?) そう、生産性を向上させるための話だ。


会社全体の生産性だけでなく、仕事場や私生活において個人としての生産性向上は誰もが考える身近なテーマだ。そんなわけで、前回の号に引き続き、今号も気に入った。時間がある人には、ぜひ一読をお勧めしたい。

私が5月号を読んで、心に残ったのは以下のような記事だ(※以下に挙げたものは、記事の実際のタイトルではなく、記事の趣旨を私流に表現したものだ)。
  • 「顧客は長い時間待たされても、待たされている理由を知らされると安心する」
  • 「効率的に事を運べる上司は、同じ事を何度も繰り返して言う」
  • 「iPad2」とネーミングするか全く異なる名称にネーミングするかで、顧客の対応が異なる」
  • 「生産性を上げたいのなら、ToDoリストの作り方を工夫しろ」
とりわけ印象的だったのは、"Upside of Useless Stuff(役に立たないモノの良い面)" Dan Ariely氏の記事だ。今回のテーマである生産性・・・効率性・・・合理性といった考えに一石を投じる投稿だ。

彼の主張は、一言で言うと「実は、マーケティングって、世の中のみんなが思っている以上に、人類に非常に重要なものなんじゃない?」ということだ。

Ariely氏は記事中、次のように述べている。

"I propose that getting people to want things they don't really need may be far more valuable to society than we think.(人が必要に思ってないモノを欲しい気持ちにさせることは、一般に思われているよりも、はるかに社会にとって価値あることではないだろうか、と問いたい)"

彼がこう主張する論理を整理するとこうだ。

「そもそも何が世の中の役に立つかはフタを開けてみなければ分からないことが多い」
「どうでも良さそうなモノに見えたけど使ってみたら、凄く役に立った!と気づくこともあるだろう」
この前提に立てば、一見、人が必ずしも必要と感じていないモノに購買欲求をもたせるための活動(マーケティング)は、実は、すごく大事な活動なんじゃないか?」

不景気になると決まって真っ先にコスト削減のヤリダマに上げられる販管費だが「そんな軽いノリで削減するのはお門違いでしょ」といったところだろうか。

ここでふと思い出されるのは、かのスティーブジョブズ氏の発言だ。彼は大学生の時に、カリグラフィー(書道の西洋版ともいうべきもの)を、将来何の役に立つのかといったことなんて考えもせず、ただ魅了されて、その道をひたすら極めたそうだが、この時のこのカリグラフィーとの出会いがなければ、アップル社のマッキントシュは生まれなかっただろうと後に述べている。その時に点でしかなかったものが、後から別の点とつながって線になる・・・このような線は、最初から見えていないことの方が多い、という同じような主張だ。

【カリグラフィー】

そんなわけで、たった1ページの記事だが、Dan Ariely氏の主張は一理も二里もある。彼の思いが伝わってくる・・・「マーケティングを単なるコストと見るなかれ・・・」と。

2011年6月5日日曜日

書評: 国会議員の仕事 ~職業としての政治~

政治の世界では日本という国全体をステージにして、おおがかりな”茶番”劇が今なお繰り広げられている。6月2日には、管総理に対する不信任決議案が否決された。

「政治家って何なんだろう?」
「みんな何をやりたくて政治家になったのかな?」
「こんなんで良いんだったら、自分でもできるよな」

色々な疑問が沸いてくる。そんな疑問に答えてくれる本があった。

国会議員の仕事 ~職業としての政治~
著者: 林芳正、津村啓介
出版社: 中公新書


この本を知ったきっかけは、著者の一人である津村議員からの紹介メールである。津村氏とは深い仲というワケでもないが、同じ大学院のOBである・・・ということで連絡してきてくれたのだろう。つながりある関係とは言え、"政治家”から”本の紹介メール”が届いた・・・(失礼を承知で)正直に告白すると、そのようなわけで、この本に手を出すことには、かなりの抵抗があった。

しかし、何事もきっかけが大事である。こういった機会に便乗しなければ、読む事なんて絶対あり得なかっただろうもの・・・そんな本を読んでみる。それにより、また何か面白い見識が広まるかもしれない。そんな思いから購入を思い立った、というのが事の次第である。

■職業としての国会議員に関する事実を伝える本

この本は、”職業としての国会議員”というものについて、2人の(比較的若い)議員がそれぞれの目線・立場で、自身の半生を振り返る形で語ってくれている本である。

【目次】
Ⅰ. 国会議員になるまで
Ⅱ. 国会議員の仕事と生活
Ⅲ. 小泉政権から政権交代へ
Ⅳ. 政権交代後の一年
Ⅴ. 職業としての政治を語ろう

(ここ最近似たような感想ばかりで恐縮だが)今回も素直に感想を述べると、”意外”に凄く面白かった。正直、読み始めた時点では「東大を卒業し・・・」「ハーバード大学に留学し・・・」「日銀に就職し・・・」「三井物産に就職し・・・」と次々に続く”超エリート的なお話”の展開に全く感情移入できず「あぁ、やっぱり政治家って下地が違うのね。そんな人の話を聞いて何の意味があったのか!?」と、むしろ本を手に取ったことを後悔しきり、であった。要所要所で色々な苦労話が語られるが、少なくとも本の中身だけから判断する限りでは「大きな挫折を知らない人達」というふうに見えた。これは完全に私の”ひがみ”だと思うがなにか、そういった事が面白くなかったりする(笑)。

しかし、こうしたエリートチックな話も含め本全体を通じて国会議員という職業に対して、努めて”事実”を語ろうとしている姿勢が好印象に写ったのも、また事実である。普段、メディアというレンズを通して見る政治家の劇の舞台裏について、かなりフランクに語ってくれているように思えた。

たとえば、誰もが積極的に触れるのは避けたいであろう金銭的な話題について赤裸々に語ってくれている。また”選挙活動”を”国会議員の仕事の1つ”と素直に認めた上で、具体的にどうやって票集めに精を出しているかについて生々しく触れている。街頭演説、ポスター貼り、地元のイベントへの参加・・・聞く人が聞けば「選挙活動は、国を良くしよう・・・という目的を達成するための単なる手段であって、ゴールではないはず。そんな選挙活動にばかり精を出して何やっとるんじゃ!?」と思うかもしれない。

しかし、しかし・・・である。これが国会議員という職業における紛れもない真実である。この本はこうした事実を脚色なく伝えてくれている。

2人の著者が立場を大きく異にする・・・という点も、本の魅力を増大させている点に違いない。確かに、二人とも東大出身のエリートだ。しかし、一人は自民党で、一人は民主党、一人は政治家の家計で、一人はサラリーマン家計・・・。実際に本を読み進めていくと、二人の活動内容に明らかな違いがある。年齢が10違うせいもあろうが、人的・金銭的に大きな資産を親から譲り受ける立場にある政治家家計の林氏からは、そもそも選挙活動に関わる苦労話はあまり見えてこない。議員として早晩から国家の戦略的な展望について触れる話が多い。”嫌み”でもなんでもなく「あぁ、国のトップに立つ人は、こうやって早くから育てられていくんだな」といった印象を持った。逆に、津村氏はサラリーマン上がりで、いわゆる”たたき上げ”と言える。選挙に勝つための泥臭い活動や、右も左も分からない中での官僚との協議・・・そのような過程を経つつ、政党が政権を取り、津村氏自身もどんどんと大きな仕事を担うようになっていく・・・。極めて対照的な2人であるが、異なる道を歩みつつ、目指す道は同じ・・・ドラマのようなおもしろさをも感じる。

読者を魅了する最後のポイントとして・・・非常に重要なポイントだと思うのだが、二人とも文章が上手だと思う。文章が下手くそだと思う政治家も数多くいた中で、やはり地頭がいいからだろうか、まえがきからあとがきまで極めてわかりやすく、理路整然とした文章が心地よく胸に入ってきた。

ところで、せっかくなのでこの場を借りて、この二人のプロフィールをぜひ、以下に載せておきたい。

林芳正(はやし よしまさ)
1961年、山口県出身。84年、東京大学法学部卒業、三井物産入社、89年退社後、ハーバード大学ケネディ行政大学院を経て、92年、大蔵大臣政務秘書官となる。95年、参議院議員に発動線。99年、大蔵政務次官、06年、内閣府副大臣、08年、防衛大臣、09年、内閣府特命担当大臣を務める。現在、自民党政調会長代理。

津村啓介(つむら けいすけ)
1971年、岡山県出身。94年、東京大学法学部卒業、日本銀行入行。2001年、オックスフォード大学経営学修士。02年、退職。03年、衆議院議員に初当選。07年、世界経済フォーラムYoung Grobal Leader。09年9月、内閣府大臣政務官となる。現在、民主党統括副幹事長。






■国会議員の収支

本書で紹介されている中身を1つくらい取りあげておきたい。先ほど、触れた”政治家の金銭まわりの話”について話そう。今回、国会議員の収入や支出について読んで初めて気がついたが、国会議員の仕事は、1つの会社経営に例えることができる。そう、議員1人1人が個人経営を営んでいるようなものだ。これを聞いて「国会議員が何を経営しているというのか?」と疑問に思う人もいるだろうが、国会議員における経営とは、”政治活動そのもの”である。すなわち、秘書を雇って出納処理を行い、ポスター作り・ポスター貼り・演説・・・といった選挙活動はもちろんのこと、地元民の陳情受付や、冠婚葬祭や地元のイベントへの顔出し、政党が決定した事項の地元への啓発活動などを行う・・・まさに様々な活動が、議員にとっての経営活動なのである。

こうした”経営”を行うためには、当然、収入が必要となる。どうやって収入を得るのか?・・・津村議員の場合は、以下のとおりになるそうである。

・津村氏の本人からの自分の事務所への寄付 800万円
・政党から支給される政党交付金が 1,000万円
・パーティー収入が 400~1,000万円
・支持者からの個人献金などが 100万円

こうした収入のほか、国会議員は”議員宿舎”やJRが無料で使える”議員パス”といった特権を活用できる。

さて、一方、議員自身の個人的な収入はどうか。津村氏によれば、サラリーマンで言うところの年俸は2,110万円だそうだ。うち”歳費”と呼ばれる月給的なものが130万円、ボーナス的なものが550万円という内訳になると津村氏は述べている。日本国民の平均年収が約400万(平成21年度、国税庁調べ)であるという事実と比較してしまうと、かなりの高額所得者・・・という印象が否めない。

ただ、ひとたび選挙に落ちれば無職に転落する・・・という点で、民間よりも不安定・・・と言えなくもない職業である。しかも、定期的にやってくる”選挙”という名の就職戦線を勝ち抜かなければならない。そのために多くの秘書を雇う必要も出てくる。お金がいくらあっても足りない、というのも事実だろう。

■政治に少しでも興味がある人にお勧め

「政治家って何なんだろう?」
「みんな何をやりたくて政治家になったのかな?」
「こんなんで良いんだったら、自分でもできるよな」

先に投げかけたようなこうした問いのほか、

「官僚と政治家って、何故、仲が悪いんだろう」
「政治家ってやっぱり、親が政治家でないとなれないんだろうか」
「政治家って、選挙活動と国会で寝ること以外に何があるんだろうか」

といった様々な疑問に答えてくれる。

こうした疑問を持つ人には、本書をぜひ薦めたい。ちなみに、私自身、最近の政治家の活動を見て「こんなんで良いんだったら、自分でもできるよな」という思いを持っていた口だが、本書を読んで、間違いなく自分には無理な職業だ、という答えをもらった。生半可な気持ちでつとまる職業ではない・・・それは民間であろうがなかろうが同じことなのだろう。だからこそ、この2人の真剣な著者・・・国会議員を心底応援したくなった・・・これもまた偽らざる気持ちである。

さて、皆さんの疑問に対してはどんな答えが返ってくるだろうか。

2011年6月4日土曜日

我が社が日経ビジネスに載った日


日経ビジネス2011年5月30日号の特集は”置き去り景気 ~復興期待への警告”。今回の号は、思い出深いものとなった。なぜ!?って。我が社が載っているからだ。しかも・・・雑誌中4カ所で引用いただいた。

一番、びっくりしたのは第一ページ目の「今週の名言」に、我が社のコメントがデカデカと取りあげられていたことだ。インタビューに対応したのは、5月の初め頃。その時のコメントがまさか名言として・・・しかも、ユニクロの会長を下に差し置いて、左上にデカデカと掲載いただけるとは・・・。


『シナリオはあくまでも想定にすぎず、そのまま起きることはない。作った計画にこだわりすぎれば組織は硬直してしまう』副島一也・ニュートン・コンサルティング社長

企業が災害などに備えるために作るBCP(災害対応計画や事業継続計画など)といったものが、あまりにも”ある特定の事象”を想定した行動計画になってしまっているため、実際に発生した災害や事故が、事前に想定したものとピッタリでないと、動けなくなってしまっている、という日本企業の現状を指摘したものだ。”ある特定の事象”とは、たとえば典型的なのは東京湾北部地震。内閣府(中央防災会議)から発表されている”シナリオ”によれば、マグニチュード7.3の地震が東京湾北部で発生し、社会インフラは停止、家屋に大きな被害をもたらすとされている。


こうしたシナリオをなぜ政府が発表するのか? それはシナリオを用意したほうが、企業が行動計画を策定しやすいからである。「1日目には電車が止まり、多くの怪我人が出て、火災が発生。2日目には・・・、3日目には・・・」こうしたシナリオを眺めながら、企業は「では、まず最初に安否確認を取ろう。次に、情報収集をしよう。そしてその次に、対策本部をたてよう。対策本部をたてたら、取引先と連絡を取ろう・・・」・・・と、行動計画を立てるわけである。

しかし、残念ながら東日本大震災でも示されたとおり、災害は予測通りには起こらない。シナリオに沿って、びっちりと行動計画を作っていたら、いざ、シナリオと違う事態が起きたときに、思考が停止してしまう。

シナリオが悪いと言っているわけではない。どういった事態が想定されるか・・・ある程度、頭に思い浮かんでいる方が、行動計画を策定しやすいのも事実だ。問題は、その後である。シナリオを想定して作った後、色々な事態に対してその行動計画が使えるかどうか、テストする必要がある。そこが多くの企業で抜けている。

数行のコメントの中に、こうした思いが込められている。

書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

  「文章がうまくなりたけりゃ、常套句を使うのをやめろ」 どこかで聞いたようなフレーズ。自分のメモ帳をパラパラとめくる。あったあった。約一年前にニューズ・ウィークで読んだ「元CIAスパイに学ぶ最高のライティング技法※1」。そこに掲載されていた「うまい文章のシンプルな原則」という記...