2011年6月13日月曜日

今度こそ、心を入れ替えたい

最近、仕事が押しているため、ブログの更新が何かと遅れ気味だ。今年立てた「毎週本を1冊読み、必ず感想を書く」という目標も、残念ながらここに来て、1週分遅れている。

まぁ、「万事思い通り行く」というほうが、むしろおかしいだろうから状況に合わせて、たまには適度の手抜きも必要だと思っている。

そんなわけで先週読んだ2011年6月6日号の日経ビジネスについて(睡眠不足で、さっさと寝なければいけないのだが、今夜は寝る前に)軽い感じで、触れておきたい。特集は「消費者はこう変わる」。


今回、最も印象に残ったのは、例によってこの”特集”ではなく「クリステンセン教授、日本への手紙」というタイトルのA4サイズ1ページ分の記事だった。

この記事を読むまで、この教授のことは知らなかったがクリステンセン教授は、アメリカのハーバード大学ビジネススクールで有名な先生らしい。そんな著名な教授が、2007年11月に突然、心臓発作に襲われ、その2年後に悪性腫瘍が見つかるという事態に直面した。最悪なことに、昨年7月には脳卒中で倒れて言語中枢の機能に障害が残る、という三重苦を味わうはめになった。

そんな途方もない人生のハードルをつきつけられた彼が「震災で大きなダメージを受けている日本に向けて何かエールをもらえないか?」という日経ビジネスの依頼に応えてくれた。この記事では、その手紙について紹介されている。

『ビジネススクールの教授としては致命的です。対話能力を取り戻そうと頑張るほどフラストレーションがたまる一方で、私は内にこもるようになり、自分自身と格闘するようになりました。こんな辛苦をなぜ味あわなければならないのか。私がどんな悪いことをしたというのか。絶望的な気持ちになり、うつ秒に近い状態に陥ってしまいました』


『私は自分のことばかり考えていて、ほかの人達を助けたり奉仕することについて考えるのをすっかり忘れていました。私の不幸の原因は自分自身のそうした自己中心的な考え方なのであって、自分自身を”復興”するプロセスを通して、幸福とは私利、私欲、私心を捨てることによって初めて手に入れられる心の安息なのだと気づいたのです』


『人間の命は壊れやすく、現世の命ははかなく、未来に何が待っているのか、いつ終わりを迎えるのかを知るすべもない。人生で最も大切なことを決して後回しにしてはいけません。”いつの日にか”という日が必ず訪れるという保証はどこにもないのです

かのスティーブジョブズ氏は、2004年に膵臓ガンと診断された時、死を覚悟したという。奇跡的に助かることができ、今に至っているがそうした経験を経て、クリステンセン教授と全く同じような”思い”を語っている。

『何かの選択に迷ったとき、重大な結論を出さなければいけないときには、こう自分に問いかけるようにしているんだ。もし仮に自分が明日”死ぬ”と分かっていたら、やはり同じ選択をしているだろうか?ってね。』

死に近づく体験をした両者が発言するこうした言葉の重みについて、今更、形容するまでもない。さて、みなさんはどう思うだろうか。

わたし自身は、こうしたブログを通じて、さも悟ったような発言をしてはみるが、いやはやどうか・・・。

「”明日が来ないかもしれない”という前提で、今日を過ごす・・・」ということを・・・ここまで説得力ある言葉を前にしても、相変わらずできていない(いや、できそうにない)自分に、ただただ情けなく思うばかりである。

今度こそ、今度こそ・・・。

1 件のコメント:

こうじでがす。(会津弁) さんのコメント...

そんなのみんなですよ。。
人は皆。。直面しないとなかなか。。。

「明日死ぬとして。。」
わたしは。。厨房に立つと思います。
それが何よりの“自分”だから。。

今日は無茶ぶりにお答えいただきありがとうございました。。
詳しく説明すると。。
1:知り合いが「人生最後の気ままな一人旅(本人いわく)」に出ようと決心。
2:本心は南米に行きたい。
3:お金がないから現実的にはアジア?。
4:バンコクで友人に会うよう段取りができた。
5:でも南米へ。。
6:じゃあ。。バンコクから南米へ。。

というわけで。。
「調べてくれ」と連絡がありまして。。

お聞きした次第であります。。
いずれにしても。。予算不足。。という結末。。

ありがとうございました。。

こうじ。

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