佐々淳行氏が実際に付き合ってきた数々の大物政治家について、彼だからこそ知る実話を基に、人物評をおこなった本だ。ちなみに佐々氏は、知る人ぞ知る国家地方警察本部(現警察庁)出身の危機管理のエキスパート。彼の父は政治家だった。佐々氏自身は政治家にこそならなかったものの、自身を含め、常に政治に近い場所にいる家系らしい。
そんな”佐々氏を通り過ぎた政治家たち”とは、時代にして1950年代から最近(2014年)に登場する著名人ばかりだ。安倍首相や小泉元首相はもちろんだが、吉田茂にはじまり、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳…など教科書にも名前が登場する人たちのオンパレード。話は、日本の政治家だけにとどまらない。フォード大統領やエリザベス女王など、海外の超著名人にまで及ぶ。正直、ここまでの大物たちと縁を持てる人は稀有なんじゃないだろうか。羨ましい。
■評論のモノサシ
評論を読むときには、論者がどのような価値尺度を持って人を見ているのかを理解することが重要だ。佐々氏が、人の善し悪しを判断する基準は何か。曰く、ステーツマンか政治屋か、だそうだ。著者の言葉を借りるとステーツマンとは権力に付随する責任を自覚している人で、政治屋とは権力に付随する利益や享楽を追い求めてしまう人のことだそうである。氏はこの基準に基づき、政治家たちを評する。
■カッパえびせんのような本
嘘偽りのない感想を言おう。著者がステーツマンとして上げる人たちは、いずれも右翼色の強い方たちな感じがしたし、そうでない人たちをバッサバッサと切り捨てるものだから、一瞬「右翼本を読んでいるのかな、俺は?」という気がして警戒感が走った(別に、私は右翼とか左翼であることが悪いとは全く思っていないことを付け加えておく。単に安易に何かの色に染まりたくないという警戒心が強いだけである)。
でも、これが「読み始めたら止まらない」のである。久々の感覚だ。300ページあまりの分厚さが、全然、気にならなかった。なぜ夢中になれたのか。
ひとつには、自分が知らない裏話が山ほど紹介されていたからだろう。しかも著者の言うところのステーツマンの裏話だ。今の現代、崇高な信念を持ち意地をつらぬく政治家ってあまり見かけない気がするだけに、実際のステーツマン話が聞けるって、何か爽快じゃないか。自分も頑張ってみようと勇気をもらえる。ちなみに佐々氏自身も、ステーツマンと同人種だと思うが彼自身の話も悔しいが面白い。
加えて、自分が持っていた政治家とのギャップがはっきりと見て取ることができる点も本書の大きな魅力であることに間違い無い。たとえば、加藤紘一氏(こちらは悪い意味で)や石原慎太郎氏(こちらは良い意味で)の話には、少々驚いた。特に加藤紘一氏に関しては、自分が知らなかっただけかもしれないが、佐々氏の話を話半分に信じたとしてもひどいものである。本当にそんな人が支持を集める政治家になれるものだろうかと読んだ後でも信じられない。
あとは、自分も危機管理の分野に足を突っ込んでいる者として、参考になる点が多々あったからだろう。まぁ、これは他の読者には関係あるまい。
加えて、自分が持っていた政治家とのギャップがはっきりと見て取ることができる点も本書の大きな魅力であることに間違い無い。たとえば、加藤紘一氏(こちらは悪い意味で)や石原慎太郎氏(こちらは良い意味で)の話には、少々驚いた。特に加藤紘一氏に関しては、自分が知らなかっただけかもしれないが、佐々氏の話を話半分に信じたとしてもひどいものである。本当にそんな人が支持を集める政治家になれるものだろうかと読んだ後でも信じられない。
あとは、自分も危機管理の分野に足を突っ込んでいる者として、参考になる点が多々あったからだろう。まぁ、これは他の読者には関係あるまい。
■政治家の名前を多少なりとも知っているならば
そんなわけで、カッパえびせんのような本なのだから私としてはお勧めしたい。ある程度政治家の名前に聞き覚えがある人ならば、誰が読んでも面白いんじゃなかろうか。ちなみに、私がなぜこの本を買ったかと言えば、文化放送のラジオ番組「武田鉄矢の三枚下ろし」で、武田鉄矢が面白く紹介していた話を聞いたためである。自分が認識している政治家像と、実際に接してきた人が見る人物像と、どれだけギャップがあるのか、興味がわいたのだ。一言で言えば、自分がどれだけ人を見る目があるのかを知りたかったのである。
「本書は間違いなく私のそうした興味を満たしてくれた」…これを今回の私の書評の結びとしたい。
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