2017年1月30日月曜日

書評: LGウルトラワイドディスプレイ&エルゴトロン社モニターアーム



エルゴトロン社のモニターアーム

迷いに迷って・・・共に、買った。2ヶ月位迷ってた。理由は、通常のものに比べ、高かったし、そこ・・・お金をかけるところか・・・という点でもあったためだ。

具体的に迷った点は次の3点。

1つ目は、ウルトラワイドディスプレイ。横長ディスプレイというものがどんな効能をもたらすか、正確に想像することが難しかった。ただ頭のなかでは、ノートパソコンの画面に加え、モニター1台で・・・あたかもモニター2台・・・いや3台がそこにあるかのようになる環境は想像していた。これにより、多くのファイルをひと目で見ることのできる場所に全部おけるようになることを期待した。最近は、エクセルなど1つのデータだけでも、横長の画面じゃないと見きれないものも多い。

2つ目は、湾曲している点。ウルトラディスプレイといっても単に横長なのではない。私が目をつけたのは、湾曲している商品。湾曲しているため、横長でありながら、視野に入りやすく、仕事でも没入感を期待できる・・・と思った。ただ、同じ大きさのウルトラディスプレイでも湾曲しただけで、値段が1.5倍から2倍に跳ね上がる。これには当然迷った。

3点目は、モニターアーム。これに一番迷った。あれば便利だが、なくても困りはしない・・・そんな位置づけのものだと思ったからだ。それに、自分の机にきちんと設置できるか・・・穴の大きさとか、不安になってくる。確実を期そうと思うと、それなりに調べる必要があり面倒臭さもあった。



結論からいうと、大正解。3点の悩みとも杞憂だった。横長であるウルトラワイドディスプレイにすることで、仕事の効率は明らかにあがった。これは副次的なメリットだが、映画をこれで見ると、たいていのDVDは横長(スクリーンの上下の黒い余白がある)なので、このモニターをシネマモードに設定すれば、フルスクリーンで見れる。


2点目の湾曲・・・お金をかけたほどの感動や効果を感じはしなかったが、まずまずだ。曲がっているからと言って、画面が直線に見えず、パワポでの描画作業に支障をきたすのでは・・・とも思っていたが、それも杞憂だった。



3点目のモニターアーム。一番迷った論点だが、実は、これが一番大正解だったと感じた。すごく高い買い物であったが、上下左右、手前・奥・・・自由自在に片手で動かせるので、用途に合わせて、置き場所を変えられる。たとえば仕事をする際には、ノートパソコンを手前におく必要があるので、画面は奥に設置する必要がある。また、映画や・・・あるいはゲームなどをする場合には、むしろ、手前に画面がきてくれたほうが大きさを十二分に享受できるので有り難い。すごくやすいモニターアームもあったが、それは移動が片手ではできないなどちょっとしたデメリットがあるとのことだった。私はしょっちゅう、画面移動を行うので、その意味でもこの買物は正解だった。何より、このアーム・・・一度、使うと癖になる。以後、モニターを買うときは、アームは必須だと思う。

ちなみに、モニターの重量が重たいと、モニターアームがその重さに耐えきれず、徐々に下がってくるのでは?という不安もあった。当然だろうが、メーカー側はそういったことも想定しており、重さに合わせて、アームの曲がりやすさを調整できるようになっている。送られてきた状態のままだと、やはり重さに耐えきれず、画面が徐々に下がり始めたが、調整後、全く問題なく使えている。



 湾曲画面については、お金に余裕がなければ必要のない点かもしれない。ゲーマーとかでよほど、少しでも没入感を増やしたい・・・という人なら、いいだろうが・・・。

   

2017年1月22日日曜日

書評: なぜ「日本人がブランド価値」なのか

なぜ「日本人がブランド価値」なのか
〜世界の人々が日本に憧れる本当の理由〜
著者: 呉 善華
出版社: 光明思想社



■私が体験した文化の違いがもたらす衝撃
10年ちょっと前、私はまだイギリスで働いていて、同僚にインド人がいた。一緒のプロジェクトで働いていた時のことだ。2日後に期限が迫るタスクについて、彼にこう尋ねた。「明後日が期限だが大丈夫か?」。すると、彼はこう答えた。

「もちろん、なんの問題もない」

2日後、彼の姿はオフィスになかった。1週間の休暇で故郷インドに戻ったというのだ。大丈夫か?と聞かれれば、「大丈夫じゃなくても大丈夫と答えないと失礼」という考え方の文化があることをこのとき初めて知った。びっくりだった。

■外国人に衝撃をもたらす日本文化とその理由とは
では、逆に外国人に奇異に映る日本人の特徴はないのだろうか?

昔、石原慎太郎氏が「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス) を出して話題になった。これは日本人に「NO(ノー)」となかなか言えない特徴があることを踏まえてのタイトルだった。

ほかにも「日本人は原則論を盾に、すぐにダブルスタンダードを設ける」とは、よく言われることだ。もちろん良いことだってある。「治安がとてもいい。朝、自転車に財布を置き忘れても、夕方に戻ったとき自転車のカゴに残っている」なんてことは当たり前だ。「戦後数十年以上にわたった対外・対内ともに戦争をしていないこと」も誇るべき特徴だ。

そして、これらの特徴はどうして生まれたのだろうか。

私が聞かれたら、短絡的に「島国だから」「一回も侵略されていない一民族国家だから」などといった答えをすぐに思い浮かべるだろう。もちろん、ことはそんな単純なことではない。その根源的理由は日本誕生の歴史を深く振り返らないと見えてこないはずだ。これまでに誕生した芸術・美術、宗教観、死生観まで深堀りする必要がある。本書は、こうした深掘りをしつつ、外国人から見た日本人の特徴、素晴らしさ、これからの世界にとっての意義について、述べた本である。

■「神は自然に宿る」 vs 「神が自然を創りたもうた」
著者は、その深掘りの中で、日本人の持つ特徴を「自然との一体感覚のうちに生きていた時代の人間の心がもたらしたもの」と評する。

この評を聞いて思い起こされることがある。確かだいぶ前に読んだ「ふしぎなキリスト教(著者:橋爪大三郎と大澤真幸)」の中で、多神教では「神は自然に宿る」的な考え方を持つが、一神教は「自然は神が作りしもの」的な考え方を持っているというくだりがあった。日本は・・・八百万の神とも言われるように多神教だ。

神木と言って、大木を崇め奉ったり、庭園にミニチュア版の自然を創り出したり、自然を愛し、自然との調和を大切にする心・・・こうしたことから、すぐに散りゆく桜(著者は散華と言っていたが)にものの美しさを見出したり、武士道といった死生観を持ったり・・・といった考え方はとても腑に落ちる。

もちろん、多神教だったから日本の特徴が生まれた・・・というなら、同じ多神教徒であるヒンズー教徒のインドも全く日本と同じにならなければいけないし、そんな単純に解決する問題でもなかろうが、そうした奥深さもひっくるめて深い考察を述べているわけで・・・読み応えのある本である。

■日本を好きになった韓国人著者が、日本の良さとその理由を語った本であること
さて、そんな本書だが、その特徴はなんだろうか? 本書最大の特徴は、「世界との違い」でもとりわけ、日本と韓国との違いにスポットライトを当てていること、そしてその違いを語っている著者の出自が韓国であることだろう。

いくら日本びいき・・・であったとしても韓国出身の人が、そんな偏った考察をするわけがない・・・と考えてもいいのではなかろうか。実際、私は強いて言うならイギリス大好き人間で、イギリスびいき人間ではあるが、もし、イギリスについての本を書けと言われれば、好きだからこそ、出身国である日本と対比しながら、良い面・悪い面の両方について書くと思う。それと同じことだ。

ちなみに、一点、著者が書いていることで反論をしておきたいことがある。「日本に来る外国人は、日本人がみんな優しい。すぐに手を差し伸べてくれる」という例を挙げていたが、私はそうは思わない。イギリスにいたとき、前を歩いている人が先に扉を開いたら、次の人のために支えて開けておいてくれることが多い。これは日本ではあまり経験しない。また、ベビーカーを持ったお母さんが階段の下で立ち往生していたら、みんなすぐに駆け寄って助けてくれる。歩きタバコをしていたら、はっきりとした物言いで注意する。だから、一概に日本人が優しい・・・とは思わない。

■韓国文化との違いを知り、より良い付き合い方を学ぶために
私のMBA時代、韓国人の友人がいたが、この本が指摘する韓国人の特徴に気がつかなかった。おそらく、向こうも欧米の文化を勉強して、韓国人としての素を全てさらけだしていたわけではなかったからかもしれない。

しかし、この本をそのときに読んでいたらもっとうまい付き合い方ができていたのではないか、とふと思った。そしてこうした気づきを国対国のレベル・・・韓国対日本に当てはめても同じことが言えるんではなかろうか。なぜ、日本から韓国への援助に対し、韓国がありがとうの一言を言わないのはなぜか、それどころか、もっと支援して当然と思うのはなぜか?

そこには、どっちの国が良いとか悪いとか・・・そんな単純な理解を超えた、それぞれの国の精神的特徴の存在が垣間見える。欧米人と日本人との違いなどは、本でもテレビ番組でもよく目にする。なんとなくだが、体感して理解しつつある。だが、韓国と日本との違いは、ひょっとしたら、外見の類似性や距離の近さが、我々のメガネを曇らせ、お互いの価値観や文化の違いに対する理解を妨げてきたのではなかろうか。少なくとも、僕ら・・・いや、僕は韓国のことを理解しているようでなにも理解していなかったことに気付かされた。

壁を打ち破るにはお互いを理解することが最初の一歩。まずはこの本を読んでみてはいかがだろうか。

 
【日本人の特徴に触れるという観点での類書】
 




2017年1月13日金曜日

書評: 自分を捨てる仕事術

頭でっかち・・・裸の王様・・・

この病気にかかると、抜け出すのはなかなか難しい。ではどうするのか? 同じ体験をした著者が書いた次の本を読めば良いのではないかと思う。





○人材再生請負人、鈴木敏夫の教育術
著者は大学進学せず、視野を広げるべく2年間かけて世界中を飛び回ったというやや移植の経歴の持ち主だ。そんな彼は、プロデューサーめざして、スタジオジブリへ就職。ただ、一風変わった人生を歩んできたがために、いわゆる頭でっかち...「俺は世界を知っている」「自立している」「自分の意見を持っている」を自負しすぎた部分があったようだ。

そんな彼は仕事はできるが、職場でぶつかる。同僚から、見放される。クビ寸前まで言ったらしい。

そこで救いの手を差し伸べたのが、あの天才プロデューサー鈴木敏夫。別名、再生請負人。私も、鈴木敏夫氏は、実際に人を活かす天才だと思う。それを証明する一例がある。これは本書からではなく、鈴木敏夫氏のラジオ番組で聞いた話だが、崖の上のポニョで、大橋のぞみちゃんとともにポニョの歌を歌った藤巻氏という人がいる。博報堂の担当者だったらしいが、まぁ、(話を聞く限りでは)仕事があまりできない人だったらしい。鈴木敏夫氏の藤巻評はいつも惨憺たるもの。「じゃぁ、なんで付き合うのか?俺だったら付き合いやめるよ」と思うのだが、鈴木敏夫氏は、やめるどころか、なんと素人なのに、藤巻氏を歌手デビューさせてしまう。そしてこれが大当たり。私にはとてもできないことだ。

そんな再生請負人、鈴木敏夫氏に育てられた部下である著者。鈴木氏から受けた6年間にわたる指導の内容・・・今、すごく役に立ったと感じている当時のその瞬間・・・。それをまとめているのが本書である。

○鈴木敏夫の仕事の流儀
「自分の意見を持つな。何か言おう、言おうって思ってると人の話が聞けなくなる。君は自分の意見ばかり、考えて人の話を聞けてない」
「大事なことは、監督が作ったものをそのまま届けること」。
「意見は他人の真似でいい」
「怒りを10段階でコントロールしろ。本気で起こることは1年に1回か2回くらい。それ以外はたいてい大したことないんだ」

・・・鈴木敏夫氏の発言が印象的だ。また、観客を魅了する話術・・・枕から始める話。私自身鈴木敏夫氏のラジオ番組の話を聞いて一発で引き込まれたのでこの点には強く興味があったが、なるほどな・・・と思った。

色々とある中で、最も印象的に残ったのは、鈴木敏夫氏の流儀だ。どう受け取られるか、「こちらがどう」ではなく、「受け手がどうとるか」...その一点に最大限フォーカスして、答えを導き出すプロフェッショナルな姿勢には頭が下がる。

典型的な受け手は映画を観てくれるお客様だが、それだけ話ではない。例えば、一緒に働く仲間。取引先の人。自分が「どんなに正しい」と思ってやっても、写る人の目にどう写るかで全ては決まるという話。オフィスで日経新聞を朝から広げて読んでいた著者が、鈴木敏夫氏に(なぜか)注意されるシーンがある。何故叱ったか・・・は読み進めると分かるが、「受け手がどう思うかがすべて」・・・を端的に表す事例だ。

○指導者も、指導される側も
そもそも本書を読んだのは著者に興味があったからではなくて、鈴木敏夫自身に興味があったからだ。彼に、強烈な魅力を感じている。ラジオ番組で聞いていて、いちいち、彼の話に惹き込まれる。宮﨑駿や高畑勲の裏話、天才との接し方、マーケティングの体験話・・・など、面白い話は尽きない。

私はそのような理由で本書に手を出したわけだが、実際のところ、本書がどう言った読者層に向いているかといえば、2者に分けられるだろう。

1つは、著者の若かった頃同様にこれから社会人になるんだ・なろうという人、あるいは著者のように頭でっかちな人に向いた本だろう。どのような心構えで仕事に臨むべきか、裸の王様にならないための、ヒントを得ることができる。

もう1つは、人を活かさねばならない立場を担う人...そう例えば、プロデューサーを目指す人や、プロデューサーライクな立場にいる人・なろうとしている人、すなわち例えば、プロジェクトマネジャーやミドルマネジメントの役割を持つ人などに向いていると思う。こうした人たちが読めば、昨今の若者との接し方について、なにがしかのヒントを得られるかもしれない。


2017年1月9日月曜日

書評: LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略

MBAを卒業してから、はや10年。貴重な人生の一年を費やしてまで通ったMBAが私の人生のなんの役にたったのか? 昨年来、そんなことを考えていた。もちろん、役に立ってないなんってことは一ミリも思っていない。ただ、それをうまく言語化できないのだ。具体的に何がどうどのように役に立ったのかと・・・。

本書を読んでいて、その答えをもらった気がする。

著者:リンダ・グラットン / アンドリュー・スコット(著) 池村千秋(訳)
出版社: 東洋経済新報社


■寿命100年時代の人生設計
『人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』

かつて織田信長が好んで唄ったといわれる敦盛(あつもり)の一節だ。しかし、現代日本では平均寿命は80歳を超えている※。本書は指摘する。平均寿命は、正比例の形で延びていると・・・。たとえば、私は40代だが、50%を超える確率で95歳まで生きるそうだ。それが私の子供の世代になると、50%以上の確率で100歳以上まで生きるそうだ。ちなみに寝たきりを前提とした話ではない。カラクリはなんだ!?とおもわれるかもしれないが、食や医療の発展のお陰なのだそうだ。

※厚労省の平成27年の発表によれば、女性87.05歳、男性80.79歳だそうである

そう・・・本書は、100歳まで生きることが当たり前になりつつある今、70歳・80歳の寿命を前提に作られた世の中の仕組み、我々の考え方、人生設計・・・その全てを一旦見直すべきときにきていることを訴えつつ、どういう人生設計があり得るか、我々はそれに対してどのような心構えで臨むべきかについて、新しいビジョンを示すものである。

ベストプラクティス平均寿命
あなたがもし今「確実に100歳まで生きる」と言われたら、どういう人生設計を描くだろう。あなたが今学生なら、大学を卒業してすぐに就職をするだろうか。一つの会社に勤め続けるだろうか。何歳まで働きたい・働くべきだと思うだろうか。

■ゆでガエルになっていた
「昔に比べ寿命が延びた」とは、ずっと言われ続けてきたことだ。それによって自分が考え方を変えたか?と言われれば、そんなことはなかった。考えていた事といえば、せいぜい「自分は運が良ければ85歳くらいまでは健康的に生きるだろうか、いや、生きられればいいなぁ」「僕らの老後には、年金は支払われないだろうなぁ」とか、「定年は70歳とか75歳にどんどん後ろ倒しになっていくんだろうなぁ」とか、そんなことくらいだ。

本書を読んでハッとした。長く生きる可能性は自分が漠然と思っていたものよりも高いのだと。そして、平均寿命の伸長がもたらす影響の大きさは私が考えていた程度のものではないと。平均寿命が、経年変化とともに正比例して延びていくのだ。私自身の人生設計もさることながら、経営者として、私の会社で働いてくれている30代、20代の若者たちの人生設計も考えなければならない。「こうやって苦労してきているから、今の私がある。だから彼らも同じ苦労をすべきだ。させてあげたい」という短絡的な考えで接していては、みんな辞めてしまうのかもしれない。

■振り返れば、私のMBA時代も
寿命が長くなれば、高校・大学生時代に得たインプットだけで、一つの会社に勤めあげることはますます難しくなっていくだろう、と本書は指摘する。だから、一旦、会社で働くことを辞めて、また学生に戻る、自分の時間を持つ・・・という生き方もどんどん当たり前化するのだと。

しかし冷静になって考えれば、自分もそうして生きてきたと、はたと気がつく。イギリスで3年間働いた後、1年の空白期間を作り、イギリスの大学院でMBA習得に励んだ。30代の一年間は、働き盛りで貴重だ。本当に一年もの時間を潰して、勉学に励むような廻り道をしても大丈夫かと悩んだこともあった。しかし、それから10年が経過した今、その時に学んだこと、培った友人関係、その全てが役立っているといっても過言ではない。戦略、フレームワーク、会計、財務、マーケティング... あの時に学んだことがあったから、起業して色々な壁にぶち当たっても、そうした変化や課題に柔軟に対応できてきたのだと自信を持って言える。加えて、MBA時代に出会った友達には、今でも毎年何人か日本に来た時に会う。困った時に助け合うとかそういうベタな仲ではないが、久しぶりに会って話すといつも刺激を与え合う仲だ。新しい起業のネタをひたすら考えているカナダ人の友達に会うと、こっちまで、もう明日にでもまた新しい会社を立ち上げたくなる。わくわくする。

思えば、私のMBA仲間の生き方も多様化していた。MBA仲間である女性はMBAコースに進み、その間、彼女の夫が育児をしていた。そして、彼女が卒業後、今度は夫が進学、彼女がサポート役にまわった・・・そんなケースは彼女だけではない。他にもいた。本書で指摘する生き方の多様化はもうすでに始まっていたのだ。

■当たり前のことに意外に気がつけない
ぶっちゃけ、100年が平均寿命だと分かった時点で、本書を読まずとも自らの生き方の選択肢について考え直すことはできるだろう。実際のところ、先述したように、実際にそういう生き方を直感的に実践しはじめている人は周囲に少なくない。

ただ、私自身がそうであったように、寿命が延びる・・・可能性と、それがもたらす影響の大きさについて、ピンと来てない人もまだまだたくさんいるのではないだろうか。だから、本書は、高校生以上なら全ての人が読んでも意味ある本だ。学生や社会人であればこれからの生き方の人生設計のヒントを、親であれば多様化する子供の生き方に対する理解を、経営者であれば社員との接し方を... 得るためのヒントとなるだろう。

もちろん、事実を理解した上でどういう選択肢を選ぶかはあなた自身だ。だが今自分が立っているフィールドが、自分が遭遇する世界が、どんな場所なのか・・・それくらいは理解しておいて損はないはずだ。


書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

  「文章がうまくなりたけりゃ、常套句を使うのをやめろ」 どこかで聞いたようなフレーズ。自分のメモ帳をパラパラとめくる。あったあった。約一年前にニューズ・ウィークで読んだ「元CIAスパイに学ぶ最高のライティング技法※1」。そこに掲載されていた「うまい文章のシンプルな原則」という記...