2016年1月4日月曜日

書評: 夜中の電話 父・井上ひさし最後の言葉

夜中の電話 父・井上ひさし最後の言葉
著者:井上麻矢
出版社:集英社インターナショナル


作家井上ひさしが癌と宣告されたのが2009年4月。その時から命が尽きるまでの約1年間、毎日、娘である井上麻矢に夜中電話をかけた。本書は、彼がその時にどんな想いで娘に電話をかけ、何を伝えたのか、そしてそれを娘がどのように受け取ったのか・・・娘である井上麻矢自身が書きまとめたものである。井上麻矢が井上ひさしから受け継いだ77つの金言が刻まれている。

そんな本をどうして私が手に取ったかと言えば、“井上ひさし”の生き様・死に様に興味を持っていたからだ。私が井上ひさしをきちんと知ったのは「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」を読んだときのこと。これは宮城県一関市で彼がボランティア作文教室を開いた際の講義内容をまとめたものだが、その指導内容に、心底ひきこまれた。実際に自分の書き方にも生かされている。だから、とても尊敬していた。

さて、冒頭で述べた“娘への夜中の電話”。なぜ、井上ひさしが電話をかけ続けたのか。「きっと寂しくて、娘の声が聞きたくて、電話しつづけたんだろうよ」と思うかもしれない。が、そうではない。劇作家としての井上ひさしが、大切にしていた劇団(“こまつ座”)を継続させるため、娘に自分の全てを伝授するため・・・必死の想いで電話をかけ続けたのだ。”夜中の電話”の重みを理解するために、背景を少しだけ話しておきたい。著者曰く、自身が“こまつ座”を手伝いはじめるようになるまで、井上ひさしと家族はバラバラな状態にあったそうだ。妻とは離縁し、娘とは疎遠状態。そんな中であるとき突然、娘の一人であった著者(井上麻矢)に”こまつ座”の経理業務を依頼してきたと言う。著者自身2人の娘をもうけ、そして離婚を経験していたせいもあったのだろう。父、井上ひさしの気持が少し理解できるようになっていたのかもしれない。仕事を引き受けた著者。だがすぐに、井上ひさしが癌を宣告される。病床から、毎晩、電話し、娘に自分の持っている知識・経験をできる限り伝えておこうとした井上ひさし。ひどいときは、夜中中・・・そう朝、娘が学校にでかける直前まで、電話をしたこともしょっちゅうだったと言う。

77つの金言は、劇作家人としてのものだが、全て普通のビジネスマンにも当てはまるものだ。私の印象に残ったいくつかを紹介するとたとえば次のようなものだ。

・策略に勝つために策略を立ててもダメ。策略に勝つのは正直であること。正直は最良の政策。
・むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。
・言葉はお金と同じ。一度出したらもとに戻せない。だから慎重に良く考えてから使うこと。
・考えて、考えて、これ以上はもう考えられないと思って進み出したらもう考えない
・朝、目が醒めた時、「眠いし疲れているけれど、今日も一日頑張ろう!」と思えないのであれば、今の生活、どこかで自分に嘘をついて我慢している。その我慢がどこにあるのかを逃げないで見つめること
・人の批判は自分を律するいい機会。むしろ観察するつもりで聞いておいて損はない。

著名人・・・それも成功した経営者の格言をまとめた本は良くある。良くあるのだが・・・なんとなく、事業会社の経営者ではない井上ひさしの言葉の方が含蓄があるように感じた。モノを書くことを生業にしている人の言葉であり、職業が違うにもかかわらず・・・である。「策略に勝つのは正直であること。正直は最良の政策。」なんぞ、素敵じゃないか。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。」なんて格言は、モノ書きらしい・・・でも、独特の雰囲気を持ったものじゃないか。こうした言葉に出会えただけでも、有り難い。

ただ一方で、冷静に捉え直すと、ふと疑問がもたげる。それは、仕事人としての格言ではあっても、家庭人としての格言になり得るだろうか・・・という点だ。著者によれば、井上ひさしは、(本人は生還するつもりではいたが)自分の死後3年のプロデュースはできていたと言う。よく見れば、77の金言も、全て仕事人として発言ばかりである。(Wiki情報だが)離婚前、家庭ではDVを起こしていたこともあったという。「いや、井上ひさしは、”こまつ座”という触媒をとおして、失われた娘との時間を取り戻そうとしていたのだ・・・親子愛じゃないか」という人もいるかもしれないが、どちらかと言えば、私には師弟愛のように写る。井上ひさしは、良くも悪くも、骨の髄まで職人だったということなのだろう。つまり、本書に述べられた彼の金言は、一人の道を極めるプロフェッショナルとしては参考になるが、一人の人間としての生き様・死に様までが参考になるわけではないかも・・・と、ふとそう思った次第だ。

ただし・・・ただし・・・井上ひさしが魂を注ぎ込みつづけた劇団”こまつ座”の劇・・・これは、ぜひ見てみたいと思った。本当に見てみたい。


0 件のコメント:

書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

  「文章がうまくなりたけりゃ、常套句を使うのをやめろ」 どこかで聞いたようなフレーズ。自分のメモ帳をパラパラとめくる。あったあった。約一年前にニューズ・ウィークで読んだ「元CIAスパイに学ぶ最高のライティング技法※1」。そこに掲載されていた「うまい文章のシンプルな原則」という記...