2016年8月1日月曜日

書評: 天才

最近、本屋に足を運ぶと田中角栄という名前をタイトルに含んだ書籍が山積みになっている。田中角栄ブームが起きている印象もあり、気にはなっていた。そして本書については、ラジオ番組か何かで耳にしたのが知ったきっかけだった。

思えば、田中角栄が登場し、日本列島改造論を唱え・・・なんてときは、自分は生まれたか生まれてないかの頃だし、現代史はあまり習った記憶もないので、ちょうど自分の知識にぽっかりと穴があいた部分なのだ。そこに加えて、田中角栄とぶつかったという石原慎太郎氏が筆をとったというものだから、なおさら、興味が湧いたのである。さて、田中角栄とは、どんな人物なのか。

著者: 石原慎太郎
出版社: 幻冬舎

本書は、田中角栄がこの世に生を受けてから、天に召されるまでの生涯を描いたものである。父親の博打好きに翻弄された少年時代。貧しいながらも上京し必死に働いた時代。期せずして政治家の世界に足を踏み入れた時代。政治家として総理まで登りつめた時代。ロッキード事件に巻き込まれ失墜し、そこから再起を図ろうとする時代。そして1993年12月16日75歳でその生涯に幕を閉じるまで・・・。

本書がユニークなのは、田中角栄....全盛期時代の金権政治に、牙を剥いた石原慎太郎氏自身が筆をとっているという点だ。「敵対視していたはずの人のことをなぜ?」と思うが、「嫌い嫌いも好きのうち」という言葉が、石原氏にはぴったり当てはまるようだ。氏自身が、ある人に「あなた(石原慎太郎)は、実は田中角栄という人物が好きではないのですか?」に問われ、次のように答えている。

『私(石原慎太郎)はそれ(その問い)に、肯んじた。「確かに彼のように、この現代にいながら中世期的で、 バルザック的な人物はめったにいませんからね。』(「天才」 長いあとがきより)

唯我独尊的なイメージの強い石原慎太郎氏すらも惹きこむ田中角栄の魅力とは一体なんなのか?田中角栄とは稀代の人たらしなのか? そのヒントが本書にあるわけだ。

そして、本書の魅力をさらにひきたたせているのが、石原氏があたかも田中角栄氏本人の回顧録であるかのように、一人称で書いていることだろう。

『「お前(田中角栄)の親父も金の算段の後先も考えずに駄目な男だなあ」。吐き出すように言ったものだった。その言葉の印象が何故か俺(田中角栄)の胸に強く響いた。金の貸し借りと言うものが人間の運命を変える、だけではなしに、人間の値打ちまで決められてしまうということを、その時悟らされたような気がした。以来、俺は人から借金を申し込まれたら、できないと思った時はきっぱりと断る、貸す時は渡す金は返って来なくてもいいと言う気持ちで、何も言わずに渡すことにしてきた。』(「天才」 本文より)

今は亡き田中角栄の思考をそのまま追体験している気になる。私は何の前情報もなしに本書を読んだものだから、読み始めて最初の数十ページは、てっきり、石原慎太郎自身の話が書かれているのだと勘違いしたくらい違和感のない書きっぷりだった。

仮に田中角栄氏が石原慎太郎氏が描いた通りの人物だったとして、私は本書から田中角栄氏を次のような人だと感じた。

「日本列島改造論など将来の国家像を具体的に考えた人。媚びない政治をした人。実行し結果を出した人。」

政治家だし、まして総理大臣になるような人ならば、当然に国家の将来像を持っているでしょう...と思いがちだが、そうではないらしい。「総理」の著者、山口氏がその本の中で、例えば野田聖子氏が、安倍首相との一騎打ちで総裁選に立候補しようとした際に何の展望も持っていなかったと述べていたし、歴代の首相の多く(安倍首相になってそれは変わったと著者は言っているが)がポピュリズムに走っているのは周知の事実だ。最近の田中角栄ブームは、ポピュリズムに嫌気がさしつつある国民感情を反映しているのかな・・・と、幼稚な頭ながら思った。

さて、多数の文献と本人自身の体験談が元になっているので、石原慎太郎氏の描くそれが、限りなく真実に近いのだろうが、どこまでいっても石原慎太郎氏が亡くなった田中角栄氏を模した内容であるので、全てが客観的事実とは言えない。田中角栄氏に惚れた人が書く本なのだから、内容に美化されている点があってもおかしくない。残念ながら、どの程度事実と異なっているのか・・・私の知識が乏しいためそれを判断することができない。本気で田中角栄氏について論じるなら、他の出版された全ての本も読むべきだろう。

というわけで、差し引いて読む必要はあるが、先述したように一人称で書かれているので、主人公に感情移入しやすく、当時の心理状況を考えやすい。どのような人生を生きて人なのかが・・・ほんとうにその概略にしか過ぎないが、この本一冊を読むことである程度、全体像を理解できる。そして、どうして石原慎太郎氏をはじめ、多くの人が田中角栄氏に惹きつけられていったのか、最後は逮捕された人なのになぜ多くの人が彼を懐かしむのか、その理由も見えてくる。山口氏の書いた「総理」という本もそうだったが、政治家に何を求めるべきか・・・誰に投票をするべきか、の一つのヒントになるのかもしれない。


【政治という観点での類書】
総理(山口敬之)
私を通り過ぎた政治家たち(佐々淳行)

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