マチネの終わりに
著者: 平井啓一郎
蒔野聡史(まきのさとし)と小峰洋子・・・二人が主人公の物語。プロギターリストであり天才的才能を持つ蒔野聡史。彼には、蒔野聡史の音楽を愛し、彼の才能を愛し、陰で彼を懸命に支え続ける三谷早苗が側にいた。清楚で才能豊かなジャーナリスト小峰洋子。彼女には、経済学者のフィアンセがいた。そんな二人が運命的な出会いをする。強力な磁場に引きこまれたかのようにお互いの関係は急接近する。偶然と必然に翻弄される二人。果たして二人の恋の物語の行く末は...。
本書を知ったきっかけはニュースアプリNewsPicksで、作家平野啓一郎氏とエッセイスト小島慶子氏との対談記事を読んだのがきっかけだった。対談記事を読んでいて、この人の書いた本を読んでみたい・・・なんとなく興味が湧いたのだ。
何も前知識なしに手を出したが、とても読み心地の良い小説だと思った。読んで本当に良かったと思っている。事実、本書を読み終えたあと、「平井啓一郎氏のほかの小説も読んでみたい」という気になり、早速、買ってしまったほどだ。その本の感想は後日上げるが・・・。
この読み心地の良さはいったいどこから来るのか? 考えてみたが、彼がおりなす言葉の表現がとても丁寧で絶妙なのだ。いちいち情景がストンと心に落ちてくる。
『見たい夢を自由に見られないだけでなく、人間は、見たくない夢を見ない自由も与えられてはいないのだった。』(マチネの終わりに 第六章 消失点より)
『洋子は、自分が、バランスを崩しつつあることを自覚した。支えきれないほど大きなトレイを持たされて、そこに載せられた幾つもの玉を安定させようと腐心しているかのようだった。一つを気に掛ければ他方が走りだし、落とさぬように慌てた動作のために、今度は一斉に反対に玉が転がりだしてしまう・・・(略)・・・』(マチネの終わりに 第六章 消失点より)
また、この恋愛という1つのテーマを、音楽と宗教と戦争という観念を通じて、非常に美しく描いている。一見バラバラなこれらの要素を見事に融和させ、読者をその物語に引き込むと同時に、問いかけている。あなたは聖母マリアなのか、その姉マルタなのか、そして、どちらが正しいと思うのか、と。
そして、主人公二人に過酷な試練を強いながら、何かポジティブなメッセージも伝わってくる。少なくとも、私には「人にはそれぞれに役割がありそれを否定していはいけない」「過去につらいことがあっても、これからの生き方次第で変えられる」というメッセージをもらった気がしている。
フィクション小説は「結局、なんだったんだろう?」と疑問を持つだけで終わることが多く、「あまり好きじゃないな」と思う本が多い中にあって、本書は・・・私はとても好きだ。既に述べたように、描写が美しいし、ストーリーも本当によく練られている。私に、マッチする作家さんだと思う。平野啓一郎氏も40代だし、本書の主人公たちも40代・・・、私も40代。もしかしたら、そのせいもあるかもしれない。40代の方はぜひ・・・。
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