2011年1月29日土曜日

書評:「脳に悪い七つの習慣」 林成之著

「脳トレのゲームやドリルでは、脳を鍛えることなどできない」「新しい習慣を持つのではなく、悪い習慣を止めなさい」・・・そうすることで、本当の意味で脳が鍛えられる。運動であれ、仕事であれ、独創力が高まり、常に最高のパフォーマンスを発揮できるようになる・・・。

それがこの著者、林成之氏の主張である。

タイトルにあるように「脳に良くないこと」として、大きく7項目を挙げている。著者自身も認めているが、本に挙げている項目の多くは、過去に我々が良く耳にしてきたようなことばかりである。「愚痴を言うな」「無関心は止めろ」・・・。ただし、この本が特徴的なのは、(著者が脳神経外科医ということもあり)「何故、それをすることが駄目なのか?」ということについて、脳医学的・論理的にわかりやすく説明していることにある。読者に非常に大きい納得感を与える。納得感を与えるということは、すなわち、それがそのまま読んだ人の力になる、ということだ。

“姿勢を良くしろ”の意味をようやく納得できた

たとえば、小さい頃から誰しもが親に言われてきた“姿勢を良くしろ”という言葉。「男は堂々としていなければいけないから」、父は良くそう言ったものだ。何度言われたか分からない。だがなんとなく「重要なんだろうな」という意識はあっても、なかなか実践できなかった。何故か? 言い訳・・・なのかもしれないが、実は、その重要性をきちんと理解してなかったからではなかろうか。

この“姿勢”だが、著者によればこれは空間認知能と強い関係性を持つ、という。空間認知能とは、空間の中で位置や形などを認識する能力のことだ。モノを見て絵を描く、本を読んでイメージを膨らませる、バランスを取って自転車に乗る、など、人間が思考するときや体を動かすシーンで極めて重要な役割を担うもの、とのことだ。姿勢が悪いと、視覚情報がまっすぐ目の中に入ってこないため、一度、脳により補正処理する必要があり、これが反応を一瞬遅らせたり、空間認知脳の機能そのものを低下させてしまったりするのだ、という。なるほど・・である。今日から、もっと姿勢を意識しよう(笑)

ゆるぎない“ポジティブシンキング”の重要性

世間でよく言われる「ポジティンブシンキング(前向きに考えること)」。この点につき著者は、“情報が脳の中で処理される順番”を根拠に挙げている。脳に入ってきた情報は、なによりもまず感情のレッテルを貼られるそうだ。「この情報は好きだな」とか「この情報は嫌いだな」という感じだ。こういった感情付けをされてから初めて、理解する領域へと信号が送られる。これは言い替えれば、好きか嫌いかといった感情が、そのまま、その後の脳処理(パフォーマンス)に強く影響する仕組み、とも言える。これもなるほど・・・である。

実績を持つ医者とアスリート、その主張の類似性が興味深い

ところで、余談だがこの本を読んでいて「心を鍛える」の著者、白石豊氏のことを思い出した。氏はイメージトレーニングの大家だが、著書の中で自身の経験に基づき「ネガティブなことを言うな」「姿勢を良くしろ」「目的ではなく手段(目標)を立てろ」など、ここ一番というときに最も高いパフォーマンスを発揮できるようにするための方法を述べている。林先生は脳神経外科医、白石先生はアスリートという、それぞれ異なる立場ではあるが、それぞれ学んだ経験を基に得られた結果(しかも多くの実績を残している)が、酷似しているというのは極めて興味深い。

2時間で大きなものが得られる有意義な本

さて、これまでに2つの例を挙げて見てきた(ただし、7分の2を紹介し終わったわけではない)。本は大きく7つの分野に分けられてはいるが、実際には60近い項目についての解説がある。全体182ページとそんなに分厚い本ではない。2~3時間程度費やすことで、脳のパフォーマンスを最大限に引き出す手法について知ることができ、かつ、実践してみようというやる気を起こさせてくれる。そんな本である。


白石豊著 「心を鍛える」の書評

2011年1月25日火曜日

新型インフルエンザ(?)から学んだこと

今、アメリカ東海岸にいる。2011年1月25日(火曜日)午前6:19をまわったところだ。

日本にいる家族と話したら、なんと子供が通っている幼稚園の一クラスで12人の欠席者がでたそうだ。いずれも新型インフルエンザ感染によるものらしい。おまけに娘も発熱したらしい。やはり新型インフルエンザの疑いが強く持たれる。

去年あれだけ注目されていた新型インフルエンザであるが、「インパクトは季節性とさしてかわらない」という最近の報道に油断しすぎたためか、現在の感染の広がり方は尋常じゃない印象を受ける。

今、出張で海外ホテルに滞在している身ではあるが、幼稚園の話や娘の話を聞き、実は自分も感染者ではないか、という疑いを持つようになった。というのも症状が厚生労働省のホームページに示されている内容とピッタリ一致するからだ。厚労省によれば、新型インフルエンザの特徴は以下のとおりである。

突然の高熱、咳、咽頭痛、倦怠感に加えて、鼻汁・鼻閉、頭痛等であり季節性インフルエンザと類似しています。ただし、季節性インフルエンザに比べて、下痢などの消化器症状が多い可能性が指摘されています。

病院にかからなかったたので、今となっては推論の域を出ないが・・・。私も先週17日(月曜日)に体調を崩し、38度程度の熱が出始めた。その後、喉が痛くなり(関節も痛かった)、胃に違和感を感じ、咳が出始め、そのため頭痛を併発した(下図、参照)。

運の悪いことに、症状が出始めた直後の(今から7日前の)1月18日~19日に続けて、様々な仕事上の締切があった。ある雑誌者への記事入稿や、重要案件の提案書提出の締切が入っていた。熱を出し朦朧としたままではあったが、気力を振り絞って、ほぼ丸二日徹夜をしてしまった。が、これは本当にまずかった。何よりも、まわりの人たちに写す可能性があったわけだし(※潜伏期間は1~2日で、発症するのに4~5日程度かかるらしいので、この数字から判断する限りでは、私の周りで明確に写ったと言う人はいなさそうである。不幸中の幸いである。)、風邪をこじらせる危険性を高めたからだ。実際、発症後一週間以上が経過する今日(火曜日)にいたっても、咽頭が痛い。

昨年の夏頃からずっと続けている早朝ジョギングや筋トレもこの間、完全に停止。(今日からようやく筋トレ程度は再開できるようになったが、まだ咳がでるので、呼吸器に負担のかかるジョギングはまだ無理だ・・・)

今回「インフルエンザではないな」と勘違いした(?)のが、「インフルエンザ=高熱(39度以上)」という思い込みがあったためだ。私の場合、熱は確かに出たが、最高で38度少しだったと思う。しかし、考えてみれば「新型インフルエンザは、必ずしも高熱になるとは限らない」と去年の報道でもいわれていたようである。

振り返れば、発症する2~3日前、仕事上のおつきあいで二日連続で夜遅くまで(一つは明け方3時頃まで)飲みがあった・・・が、原因は、このあたりにしか思い当たる節がない。明けて次の日(土曜)、次の次の日(日曜)と、ものすごく寒い気温の中、朝から子供を公園につれていったが、既にこのときには喉に違和感があったように記憶している。そして、一番まずかったのは喉に違和感を感じていたにもかかわらず、次の日の朝、早朝ジョギングを敢行したことだ。ジョギングした日の午後から著しく体調が悪くなり出した。

それにしたって、普段から早寝早起き、食事、水分補給、ジョギング、筋トレ・・・など、人一倍、健康管理に気を遣ってきたつもりだっただけに、とても残念でならない。とりあえず、同じ過ちを繰り返さないように次回から”冬の季節”だけは以下のような点に留意したいと思う。

・(可能な限り)連チャンの飲みは避ける
・連チャンの飲みなどがあった翌日には、体を休める(遅くまで寝る)
・38度を超えたら、病院に行く
・体に異変を感じた朝にはジョギングしない!


飲み会、飲み会・・・って、なんとも全てを”飲み会”のせいにして、本質的な反省になっていないいような気もするが・・・(笑)。


※厚生労働省のページ → http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html

2011年1月23日日曜日

実はそんなにズレてないアメリカ人の常識

今日、AC360というCNNニュースの番組を見ていて気がついたのだが、今アメリカでは"Fountain Lady(ファウンテンレイディ:噴水池に誤って落ちた女性)"事件が注目されているそうだ。

この事件を簡単に説明すると・・・

とあるアメリカのスーパーで、携帯の操作に夢中になっていた女性が、店内にあった噴水池の縁に脚を引っかけ、ひっくりかえってびしょ濡れになったというのが事の発端だそうだ。びしょ濡れになった以外は無傷で、その後何事もなかったかのように立ち去ったのだが、それを偶然捉えていた監視カメラの映像を誰かがYouTube(ユーチューブ:世界的に有名な動画公開サイト)にアップしたらしい(下にあるYouTubeの動画を参照のこと)。

これで終わっていれば、この女性は本当に運が悪く(とは言っても噴水に落ちたのは自業自得だが)赤っ恥をかいただけで済んだ、というお話だが、なんと彼女は何を思ったか弁護士を雇って、お店側を訴えようとしているらしい。

彼女の主張は、こうだ。

「噴水池に落ちようとしている人間を誰一人、助けようとしなかった。これは誰にでも起こり得たこと。もしかしたら、池に落ちたのは年寄りの方だったかもしれない。もし、噴水池の水がからっぽだったら、大きな怪我を負って今頃病院に入院していたかもしれないわ。もし、これが噴水じゃなくて、走っているバスだったらどうするのよっ!?」

このニュースを聞いて、「出たなアメリカ!よっ訴訟王国!」とあきれたものだが、さすがにアメリカ国民は(彼女を支援する弁護士を除いて)そこまで常識がズレきっているわけではないらしい。この番組のニュースキャスターであるAnderson Cooper氏は、次のように言っている。

「かもしれない、かもしれない・・・って、結局、池には水が入っていたわけだし、誰も怪我をしてないわけだし、つっこんだ先はバスじゃなかったわけだし、”タラレバ”をいってるばかりじゃ話にならない。恥をかいて悔しいのは分かるが、一番いい解決策を言って上げようか!? それは、訴える!などと騒ぎ立ててテレビに出るのをやめることだっ! 君に必要なのは弁護士じゃない。タオルだよっ。」

至極まっとうな発言だと思う。聞いていて爽快だった。

ちなみにこの話には顛末がある。この直後、この騒ぎを起こしたFountain Ladyは、(これまた自業自得だと思うが)メディアに彼女の過去の失態を暴かれてしまったようだ。同僚のクレジットカードを勝手に使ったり、4回の万引き、車への当て逃げなど・・・。出るわ出るわ・・・ひどい過去が。Anderson Cooper氏のアドバイスをきちんと聞いて”テレビに出るのを止めていれば”こんなことにはならなかったかもしれないのに・・・。

世界を見ると、本当、色々な人がいるもんだ。


※なお、YouTube上のA360のニュース動画がなかったため、上には別のニュース番組で放映されたものを貼り付けてある。なお、私が文中とりあげたAC360というニュース番組のサイトは、以下の通り。
http://www.cnn.com/video/#/video/bestoftv/2011/01/21/exp.ac.ridiculist.fountainlady.cnn?iref=allsearch

書評: 裁判官の爆笑お言葉集

「裁判官の爆笑お言葉集」(長峰超輝著)という本を読んだ。何故、読んだのかって!? だって、タイトルがあまりにもユニークではないか。普段から聞いている新刊ラジオ(ポドキャスト)で、耳にした時、すぐに読んでみたい!と思った。

どんな本か?

文字通り、裁判官の法廷での被告への発言の中で、著者の視点でこれは面白い、というもの(100近い発言)を一冊にまとめた本である。

感想は?

いくつかあるが、先に少し残念だった部分について触れておこうと思う。これは書き手の問題というよりも、構成を考えた人の問題(そして個人の好き嫌いの問題)だと思うが、私は何となく読みづらかった。事実、何度も、見開きページの左側と右側を行き来する形で読むことが多かったので、多少ストレスがたまった。

本は、裁判官の発言1つにつき見開き2ページが使われる構成で、右側1ページで”裁判官の発言”と”裁判の概要”、左側1ページで”著者による考察”が述べられる形式になっている。これは読み終わった後で「あの裁判官のあの発言についてもう一回読みたいな」とふと思ったときにすぐに探しだせるようになっている点でメリットだが、構成が時系列になっていない分(裁判官の発言→その発言をした裁判の概要→著者の考察)、各発言の意図をぱっと理解しづらい点でデメリットだと思う。

ただし、本の中身自体はタイトルに違わず、ユニークで興味深いものであった。

何で興味深いのか?

過去に、裁判官をこれほど身近に感じさせるような本はなかったからではないか。自分の偏見だけなのかもしれないが、少なくともこの本を読む前までは、法廷でのやりとりには全て決まりごとがあって、裁判官が自由にできる部分なんてものは、ほとんどないもの、と思っていた。

ところがどっこい、いざ読んでみると、そんなこはない。裁判官によって、仕切り方も違えば、被告に対して投げかける言葉も表現の仕方も、果ては、与える刑までもが、大きく違うことがある、ということが分かった。

「(判決を出すのを延期するので)2ヶ月間ボランティアをしてみなさい」という裁判官もいれば、「反省文を書いて提出しなさい」という裁判官もいる。また「今、この場で子供を抱いて、もう二度としないと誓いなさい」という裁判官もいたり、「検察の求刑は甘すぎる」と言って求刑を超える刑を出す裁判官がいたり・・・。本当に千差万別。

他に何を感じたか?

この本は、”裁判官が被告に投げかける言葉”を取り上げた本だが、これを読むにつけ、逆に”被害者(または遺族)に対して投げかける言葉”ってないのか!?とふと疑問に感じた次第である。この点について、著者は、本の中でこう述べている。「刑事裁判では検察と被告が当事者とされ、被害者は無視に等しい扱いを受けてきた。(変わりつつはある・・・が)」と。つまり、被害者(または遺族)に対して、裁判官がかける言葉はほとんどないのだろうと推察される。

と聞くと、さらに次の疑問がわいてくる。事故や犯罪で身内を殺された遺族には、どのような救済措置があるのか? もちろん、犯人が資産家であれば損害賠償請求によって、金銭的な部分は解決できるだろうが、まぁ、資産家であることなんてまず滅多になさそうだ。

調べてみたら、「犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律」という保護制度があるらしい。これによれば、遺族給付金や重症病給付金、障害給付金などがあるようだ。ただし、たとえば、被害者が死亡したときに支給される遺族給付金の給付額は、上限で1573万円だそうだ。どう考えても安いように思うが、どうだろうか。

こういった制度に加えて、2007年に損害賠償命令制度(被害者が刑事裁判所に申し立てをすれば刑事裁判の有罪判決後、同じ裁判官が損害賠償の審理をして賠償額を決定するもの)が導入されるなど、ものすごいスローペースではあるが、改善の方向には向かっているようである。決して他人事では済まされない事柄であるだけに、今後、ますます一層のアクションを期待したい。


おわりに一言!

本書は、200ページちょっとの比較的薄い本である。決して厚みはないが、タイトルや中身が単にユニークというだけでなく、日本の司法制度をより身近に感じさせ、そして、様々なことを考える良いきっかけを与えてくれる本であることは間違いない。

2011年1月16日日曜日

書評:リスク・リテラシーが身につく統計的思考法

今年の目標の1つに、「週一冊ペースで年間52冊程度の読書を行うこと」を掲げている(本物の読書家に比べたらはるかに少ないのは重々承知している・・・)。

早速今年2冊目を読み終えたので、簡単なコメントを書いておこうと思う。読んだ本のタイトルは、

リスク・リテラシーが身につく統計的思考法 初歩からベイズ推定まで (ゲルト・ゲーゲレンツァー)

だ。なんとも難しそうな本である。いや、確かにお固い本だった。リスクコンサルタントとしてリスクリテラシーという言葉には敏感に反応して買ってしまった。

一言でまとめると「いかに世の中の人が数字の意味を正しく理解せず、間違った判断を下してきたか」ということと「では、どのようなアプローチをすれば、数字に絡んだ誤解が減るか」ということを、わかりやすく説明した本である。

ここで言う「世の中の人」とは、一般人のみならず、いわゆる数字によく接する専門家(例えば、医者であったり研究者そして検察官など)のことを含む。裁判で、被告の有罪(もしくは無罪)を立証するにあたり、確率を用いることが多いが、実は不正確な情報が陪審員に伝えられ、関係者全員がその間違いに気づかずに判決を下す・・・ということが、過去に(過去といっても、つい最近までの話だが)多々あったそうだ。

たとえば、殺人の容疑者のDNAと殺人現場で見つかったDNAが一致する確率が、1000分の1(わざとわかりやすくするために控えめな数字を使っている)という前提条件をおいたとする。そして、もしDNAが一致したならば、その容疑者が犯人でない(無罪である)確率も、1000分の1のはずである、と思い込んでしまう間違いが多いそうだ。これは「訴追者の誤謬」と言われるらしい。正解は、仮に殺人が起きた地域の人口が10万人とするならば、DNAが一致する可能性のある人は全体で100人いることになるわけで、すなわち、犯人である確率は100分の1(無罪である確率は100分の99。すなわち99%)になる(繰り返すが、DNAの精度がそれほど低いなんてことはありえないが・・・例えばの話だ)。

著者に言わせれば、こういった過ちは何でも便利だからと確率(パーセンテージ)に置き換えることによって起きるのだそうだ。そして、それは専門家であればあるほどその傾向は強い可能性があるという。逆にパーセンテージではなく、自然数を使って(実数に置き換えて)説明をすると誤解が減りやすくなるという。

数学の決して得意でない私がこのように説明しても、このブログを読んだ人はきっとナンノコッチャと思っていることだろう。私にしてみれば、数字に踊らされないようにするためにはそれなりに良い知識をもらったと思うし、また、逆に人を数字で踊らせるにはどうしたらいいのか、というヒントをもらったとも思う。

そんな本です。

2011年1月9日日曜日

風評戦争 (Reputation Warfare)

おおっ、早くも今年2回目の投稿。自画自賛・・・。

今日は、リスクマネジメントコンサルタントとしての自分の仕事にも大きく関わる風評被害対策(レピュテーションリスクマネジメント)について書きたいと思う。

2010年12月号(米国版)のハーバードビジネスレビューで読んだ面白い2つの記事がある。1つはBranding in The Digital Age(デジタル時代のブランディング)、そしてもう1つは、Reputation Warfare(風評戦争)というタイトルだ。


前者の記事は、風評被害とは直接関係ないが、被害防衛とは逆に、企業ブランドをどうやって効果的・効率的に高めることができるのか、有効なマーケティング手法のありかた、について書かれたものだ。マーケティングの力点が従来の有料広告(テレビ・ネット・紙媒体など)から、無料の媒体、すなわち、Amazonのような口コミサイトや、ブログをはじめとするソーシャルメディアにかわりつつある、という。

後者の記事では、具体的な成功・失敗事例を交えながら、最近の風評被害の傾向と、それに対する有効な対応手段について解説している。

特に、後者のReputation Warefare(風評戦争)の記事では、なかなかどうして、あまり知らなかった数多くの事例が取り上げられているので非常にためになる。以下に、そのいくつか(概要)を挙げておく。

2009年
●Horizon Group Management
 従業員の一人が会社の信頼性を落とすツイートをフォロワー20人に対して行ったことに対して、会社が5万ドルの訴訟を行った。大きく報道されるところとなり、かえって風評被害を大きくしてしまい、会社の失態をさらした上に、敗訴した。

●ドミノピザ
 ノースカロライナの店舗従業員が、配達ピザに食欲減退を引き起こすような行為を行ったシーンを撮影し、YouTube(動画コンテンツ共有サイト)にアップ。莫大な機会損失を被ることになった。が、社長がすかさず同じくYouTubeに謝罪のビデオクリップをアップすることで被害拡大を防いだと言われる。

2010年
●BP
  メキシコ湾オイル流出事故に際し、偽のTwitterアカウントを使って信頼性を落とすツイートがなされた事件。本物のアカウントのつぶやきよりも、注目を浴び、被害を大きくした。

●米国国勢調査局
  アメフトの祭典であるスーパーボウルに国税調査実施の広告を2500万ドルかけて出したことに対して、議員の一人がツイッターで非難のつぶやきを行ったことから炎上がはじまる。しかし、国税局が導入していたモニタリングシステムを通じてすぐに事態を察知、予め開設し運用していたFacebook、Twitter、ブログアカウントを使って反対声明をだし、一気に沈静化させた。

●アメリカエアライン
  顧客が、ツイッター上に重量オーバーの際に顧客に50ドルをチャージするやり方に不満をつぶやいたことに対して、すぐさま、ブログ上で懇切丁寧な事情を説明して対応。

ところで余談だが、日本でもここ最近風評被害が目につく。

●勝間和代さんレストラン事件
  勝間和代さんが訪れたレストランの従業員が、そのことを元に、ツイッターで悪口を投稿。ところが、そのつぐやきを直後に勝間さん本人が発見。45万人のフォロワーを持つ勝間さんはツイッターでこの件を取り上げ、一気に炎上。その後、お店の懇切丁寧な対応で一件落着。

●バードカフェおせち事件
  広告と著しく異なる商品を顧客に発送。その事件およびその後の対応の仕方について、2ちゃんねるをはじめ、各種メディアで報道され注目を浴びる。風評が風評を呼び、雪だるま式に会社の悪評が流れ、莫大な損害を被った。


さて...

「これら2つの記事(事例含む)から何が見えてくるだろうか?」

中には、「改めてソーシャルメディアの影響の大きさを思い知った」という人もいるだろう。それはもちろんそうだが、私自身は何よりも

「企業信頼について、攻め(ブランディング)においても、守り(風評被害からの防衛)においても、ソーシャルメディアの存在が大きくなってきている」

という事実が一番の”気づき”となった。特に興味深いのは、先の「ドミノピザ」の事例だ。ドミノピザの社長は風評被害を防ぐ手段として、テレビや新聞を使わずに、あえてYouTbueを使った。ソーシャルメディアで広がった風評を抑えるためには、同じ手段、すなわちYouTubeを使って訴えかけることが最も伝えたい人にリーチできる、という考えに基づいたわけだ。

では、

「こういった海外事例に日本企業も学べきと、言えるだろうか?」

私は、答えはYESだと思う。しかし、一方で

「日本は米国に比べて、そこまでソーシャルメディアが普及していない。土壌が違うので一概に真似しても意味はない。」

という反論もあるだろう。確かに、選挙でツイッターなどソーシャルメディアの活用が禁止されている日本は、米国に比べれば何かと保守的と言えるだろう。他の先進国に比べても利用率がそれほど高くはないのは事実だ(※下図、参照)。

しかし「保守的=今後、普及しない」という意味にはならないはずだ。ツイッターのつぶやき数については、他の国に決してひけをとらない状態になりつつあると聞く。したがって、今後、攻めでも守りでも、ソーシャルメディアが舞台の中心に来るのは世の趨勢と言えるだろう。

さらに、この趨勢は見方を変えれば、

「組織は今後、より積極的に風評被害に対するマネジメントを行う必要性が増してくる」

とは、言えないだろうか? 

これまでは風評被害に対する対応は、様々な有料メディアとのコネクションを持つ広告業界の専門分野とされ、自組織でできることはあまりない、と思われてきた部分があるのも事実だ。だが、先の事例でも見たとおり、むしろ、風評の攻めや守りのツールは、誰もが極めて簡単にアクセスできるところにも転がっているのである。ソーシャルメディア以外の媒体は、もう不要である、とは言わない(HBRの記事の著者自身も相変わらずその重要性は否めないと述べている)が、今後、力点が徐々にソーシャルメディアに移っていくのは間違いないように思う。

2011年1月8日土曜日

書評: 心を鍛える

「安住紳一郎の日曜天国」をポドキャストで聞いていた。そのときのゲストは私の知らない人だったが、白石豊さんという方でメンタルトレーニングコーチで有名な人、と紹介されいた。

白石氏:
「良く、集中しろ!とかリラックス!、頑張れっ!とか言うことがありますよね。でも、言われた本人にしたら、あまり役に立たないんです。誰も、どうやれば集中できるのか、どうやればリラックスできるのを具体的に説明しないんですから・・・。」

(ラジオを聞いていた)自分:
「うむむっ・・・全くおっしゃる通り!!」

そういえば自分も、”頑張る”と言う言葉は嫌いだった。なんとなく抽象的で無責任な言葉に聞こえるからだ。本人にしたら「言われなくたって頑張ってるよ」と言いたくなるのではないか、といつも感じていた。とは言え、そんな簡単に「頑張れ!」に代わる言葉も出てこない。「集中しろ」や「リラックスしろ」にしたってそうだ。

そんなわけでいてもたってもいられずに、答えを求めてすぐに白石さんが出している本を検索してAmazonで購入した。

「心を鍛える」 白石豊著 生活人新書 ¥680

これはメンタル面の向上手法について、トレーニングの項目を大きく7つの要素に分けて解説している本だ。もう少し柔らかい言葉で言い替えると

「頑張れ」とか「集中しろ」などといった単なる抽象的な表現(WHAT)について、具体的でわかりやすい方法(HOW)をしっかりと説明してくれている本、である。

本で取り扱っている事例は、著者自身、過去に体操選手を経験し、また、スポーツ選手のコーチなどをやっていたこともあって、全てスポーツに絡むものだ。しかし、(著者自身もそのようにおっしゃっておられるが)ここで触れられている内容は全て、日々の生活やビジネスに、間違いなく、そのまま応用できるものであるように思う。

さて、本を読んでの感想だが、HAPPYの一言だ。このような本に知り合えて・・・というより、白石さんという方を知ることができて、とても良かった。なぜなら、この本には自分に欠けていたものがいっぱいのっているからだ。

では、どんなアドバイスが有用であったか・・・だが、一部触れておきたい。先述した通り、メンタルトレーニングには大きく7つの要素がある。著者は、自分が今各要素についてどの程度の段階にあるかをアセスメントしなさい、と述べている。すなわち、課題を特定することから始めよ、というわけである。その7つの要素とは、

・意欲
・自信
・感情コントロール能力
・イメージ想起能力
・集中力
・リラックス
・コミュニケーションスキル

になる。私自身に当てはめると、「感情コントロール能力」と「集中力」の2つが弱いように思う。特に集中力については自信がない。何かものすごく興味のあることをやっているときは圧倒的な集中力を発揮する自信があるが、多くの場合、いつも気がつくと本来すべきこととは違うことを頭の中でぼんやりと考えてしまっているように思う。

著者によれば、集中が高まらないのは、意識を集中させる対象が不明確、すなわち、目標の立て方が悪いからだそうだ。きっと、そんなのは当たり前!という人が多いだろう。しかし、そんな当たり前なことでも私には新たな気づきがあった。勘違いしないでいただきたいのは、私自身、普段から目標設定は意識して行っているつもりだ。年初には個人目標を立てるし、ビジネスにおいても四半期毎、月ごと、週ごと、日ごとの目標も具体的(SMART※)に立てて活動している。

※SMART: Specific(具体的であること)、Measurable(測定可能であること)、Achievable(達成可能であること)、Realistic(現実的であること)、Time Phased(期限が設けられていること)

では、何が目から鱗だったのか・・・というと、細かさが足りないという事だった。つまり、SMARTな目標設定を、活動1つ1つに対しても行う必要がある、ということだった。

例えば「今日中に記事を一本執筆しよう」ではなく、「朝の9:00~10:00までの間に、XXXの資料を基に、2000字程度書いてしまおう」というようなイメージである。(同様に子供に向かって言うのでも「勉強に集中しろ!」ではなく、「XX時までに、この問題とこの問題まで終わらせてごらん」とか、いう感じだろうか)

普段からできるだけ意識して、このようにやっているつもりだったが、集中できないなぁ・・・と思うときを振り返ってみると、なるほど、自分に課している目標の質が甘かったように感じる。

ところで、著者は、かの有名な(巨人軍9連覇を実現した)川上哲治氏の考え方に強く影響を受けたとも述べている。川上氏は、選手としても監督としても一流の結果を残した希有な人だが、彼は”禅”を学ぶことで心が開け、そこから監督しても大きく開花することができたそうだ。著者も、感ずるところがあり実際に、”禅”を体験したようである。そして、実は禅の考え方が取り入れられ、その結果、後世に残る結果を残したスポーツチームは少なくないことに気がついたと述べている。

私はすぐに影響を受けやすいので、この話を聞いて、”禅”も体験してみたくなってしまった。立派な成果を出している二人(川上氏と白石氏)が、共に影響を受けたという”禅”・・・そこに自分の求めている大きな答えの1つもなんとなく見つかりそうな気がしてならない。

書評: 3 行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾

  「文章がうまくなりたけりゃ、常套句を使うのをやめろ」 どこかで聞いたようなフレーズ。自分のメモ帳をパラパラとめくる。あったあった。約一年前にニューズ・ウィークで読んだ「元CIAスパイに学ぶ最高のライティング技法※1」。そこに掲載されていた「うまい文章のシンプルな原則」という記...