間に合う
間が悪い
間をはずす
・・・
みなさんは、他にどんな”間”を思いつくだろうか?
”ま”、”MA”、”マ”、”間”・・・”間”は、文字通り、空間・時間の隙間を埋めるかのように、いたるところに登場する不思議な言葉だ。そんな何気ない存在である”間”を理解すると、人生ちょっと面白いかもよ、面白くできるかもよ・・・そんなささやきが聞こえてきそうなのが、この本だ。
間抜けの構造
著者: ビートたけし
出版社: 新潮新書
本書はビートたけし氏が、様々な立場で、”間”を観察し、体感し、理解し、果ては使いこなそうと努めて生きてきた・・・そこから得た”人生の気づき”をまとめた本である。そもそも”間”とはなにか? どんな”間”があるのか? 時間(タイミング)的な概念なのか、空間的な概念なのか? ”間”とは意識して使いこなせるものなのか? 使いこなせるとどんな得があるのか? なぜ、日本語にしかないのか? 著者が、思うところを、ごくごく自然体で語っている。
『軍団の間抜け話ばかりしていたらキリがないね。あいつらみたいに間抜けなことばかりしていたら、一般企業だったらとっくにクビになっているよ・・・(中略)・・・でも、お笑いは、そうした社会とは違う社会だから・・・(中略)・・・一般の社会通念と照らし合わせて、100パーセント合致するようなことばかりしていたら、それこそお笑いの世界では通用しない。そこがおもしろいところなんだけど。』(本書より)
本書最大の特徴は、言うまでもなく”間”というものが、ビートたけし氏本人の豊富な経験に照らし合わせて、語られていることにある。やるべきことが見えずぶらぶらしていた一大学生として、お笑いタレントとして、たけし軍団団長として、司会者として、映画監督として、俳優として、芸術家として・・・”間”を観察する視点は、ビートたけし氏ならではで、とてつもなく広範囲だ。
それだけに語る内容に説得力があり、「ふんふん、なるほど」と頷かされることが多い。たとえば、最近、世の中から”間”というものがなくなっていると、たけし氏は指摘する。確かにテレビ画面は端から端まで文字のオンパレードだ。映画館に行けば、映像空間の1つである奥行き・・・その”間”が3D技術によって埋められつつある。”間”は、人に考える時間を与える。人の想像力を掻き立てる。その間が、どんどん奪われている・・・という。まさにそのとおりだと思う。
本書の魅力はこうした説得力ある主張に加えて、読者のちょっとした好奇心をも満たしてくれることにある。考えても見て欲しい。社会的に一目置かれる人が、”間”という言葉をきっかけに、自分の人生を赤裸々に語ってくれている。普段テレビで、なかなか見ることのできない巨匠の人生の裏側を覗かせてもらっている。そんな気分だ。最後の一ページまで好奇心が掻き立てられる。
『大学に行きたくない、働きたくもない、けれど何かをやりたいわけじゃない。それがこの頃のおいらだった。今だったら完全にニートだよね。人生において唯一、「何者でもなかった」という時期かもしれない。ぽっかり”間”が空いたわけだけど、自分から積極的にそれを埋めようとは思わなくて、ただ何となく流されていただけ』(本書より)
ビートたけし氏のような人でも、自分と似たような時期があったんだな・・・と。それが不思議であり、感慨深くもあり・・・なんか、親近感がわくわけで・・・。
そんなわけで、”ま”、”MA”、”マ”、”間”・・・わたしたちをとりまく”間”。”間”を侮ることなかれ。その言葉自体に重みがあり、深みがあり・・・新しい発見がある。普段気にもとめない・・・当たり前の”間”。”間”の取り方をちょっと意識してみると、人とのコミュニケーションがちょっとうまくなった気分になる。笑いをとろうと、”間”のはずしかたをちょっと意識してみる自分がいる。”間がいいこともあれば、間が悪いこともあるさ・・・それはたまたま間が悪かったんだよ・・・”と言い聞かせる自分がいる。
”間”をちょこっと意識してみることで、人生ちょっぴり豊かになるのかも・・・そんなことを考えさせられた一冊でござんした。
【ユニークな視点で”当たり前を観察する面白さ”という観点での類書】
・ハーバード白熱日本史教室(北川智子著)
・地図から読む歴史(足利健亮著)