2011年5月23日月曜日

書評: 暗渠の宿

”私小説”という言葉がある。恥ずかしながら、最近までその言葉の意味を知らなかった。これは文字通り、私事(わたくしごと)の小説という意味で、作者が自ら体験したことを基に書かれた小説をさすのだそうだ。

今回手を出した本は、まさにこの”私小説”であり、中央公論における著者の掲載記事を通じて知った。

「暗渠の宿」
西村賢太 新潮文庫 362円


■不思議なネットリ感の強い小説

この本は、1人の男(=作者自身)の私生活を描いたものであり、何の変哲もない物語・・・と言えなくもない。ハリウッド映画や最近の探偵小説などに毒されたわたしは「何か大きな展開がこの後に待っているのか!?」「どういったオチが待っているのだろう」などとついつい期待しながら読んだものだが、その期待はいい意味で裏切られた。いい意味で・・・というのは、最後まで本が惹きつける力を失わなかったという点につきる。

うまく表現できないのだが、この小説にはネットリとした・・・なんていうか蛇にからみつかれたかのような拘束力がある。1つには私小説ということもあり、内容が非常に身近に感じられる人間くささのある話だからだろう。そしてもう1つには、(平凡な言葉しか思い浮かばず恐縮だが)描写が非常に上手だからだと思う。なんというか・・・ふと気がつくと、小説の中で描かれるシーン1つ1つが、自分の頭の中に克明に浮かんでいるのだ。表現力が素晴らしい。「小説家であれば表現力があるのは当然」とご指摘を受けるだろうが、何というか、この著者の文章には昔の人(三島由紀夫や太宰治など)といった人達と同じにおいを感じるのだ。

文章に重みがある。一見、何の変哲もない”とある男”の私生活の話でありながら、その男の底なし沼のような心理の深淵を覗くような感覚が・・・リアルに伝わってくる。

『・・・うん、まかせといて。もう向こうで座っててよ。』
『まだ、2人の間に遠慮が取り切れていない時期だっただけに、これに私は一応引き下がって新品の食卓についたが、それでもそこからクビを廻し背後の台所の様子を窺ってみると、彼女は三口のコンロをフルに使い、鍋と薬鑵とフライパンとの塩梅の合間に具材を刻むなど、一見手際よく作業を進めてはいるようだった。しかし肝心の麺は茹で始めが早すぎた分、当然できあがりも一足早く、女は先にその湯気を放つどんぶりをテーブルに運んできた後、また台所に戻ってフライパンにかかりっきりとなる。』


■強烈な個性に圧倒された

当然、このような小説を書く人はどんな人物なんだろうか・・・と興味がわいてくる。そんなとき、偶然、ゴロウ・デラックスという深夜番組(SMAPの稲垣吾郎君と小島慶子さんが司会をしている)の記念すべき第一回目のゲストとして西村賢太氏が出るという話を聞いて、どうしても我慢できず、見た。

小説で語られるような言動をする男が本当にいるのか!?・・・そんな疑念を持ちながらテレビを見たが、ずばり、私小説で語られる男を地で行く人である。色々なこと(特に、学のある人)に非常に強いコンプレックスを持ち、自分のやりたいことを素直に追求する人・・・そんな人である。総じて、非常に興味深い。

番組の中で、いきなり「緊張するんです」と言いながら、ワンカップ大関を飲み始めたり、休憩中に「小島慶子の印象はどうですか?」とプロデューサーに聞かれて「ムカつきますね」と素直に答えるところなど、端的に西村氏の人物像を表している。



■西村氏の文章を通じて色々な世界を覗いてみたい

自らの体験をネタにしながら・・・というのは、どんな類の小説であれ多かれ少なかれあることだろう。が、ほぼ完全に自身をネタにしながら書く私小説は、ネタがつきないものなのだろうか・・・と変な心配をしてしまいたくなる。過去の多くの著名の小説家は「何も書けなくなった」という悩みに陥り、自殺にはしった人も多かった(?)と記憶している。

西村氏はどうか? 強烈な個性を持つ作者の個性と、描写能力を持ってすれば、当面、問題はなさそうである。特に、一瞬にして描かれた被写体の裏側を覗いている気にさせる特異な能力は、どんな話をも、興味深い対象と化してしまうのだろう。

さて、この西村賢太氏・・・「苦役列車」という小説で芥川賞を受賞したそうだ。近いうちに、ぜひ読んでみたいと思う。

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