20代後半から、今日にいたるまで毎日を全速力で駆け抜けてきました。疾走するスピードは毎年加速度的に増えています。 そんな自分の足跡を残したい、考えを整理したい、自分の学びの場としたい・・・こういった思いからこのブログを立ち上げました。とりわけ、読んだ本や雑誌、観た映画、その他遭遇した事件・・・などなど、思いの丈を吐露しています。
2011年4月29日金曜日
WEDGE 5月号 「想定外を生き抜く力」
WEDGE(ウェッジ)5月号を読んだ。
特集ページでは、”想定外”だらけだったと言われる今回の東日本大震災の中で「自衛隊がいかに効果的に動けたか」について紹介されている。記事は、その成果を日頃からの訓練のたまものであると結んでいる。
日頃の訓練が生きたのは自衛隊ばかりではないようだ。「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない」という別の記事では「いかに日頃からの訓練が小中学生の命を守ったか」について述べられている。
『ある小学1年生の男児は、地震発生時に自宅に一人でいたが、学校で教えられていたとおり、避難所まで自力で避難した』
以前、「三陸海岸大津波」の書評の中で、「世代を超えた危機意識の共有がいかに困難であるか、を実感できた」という旨の感想を私自身述べたが、その困難を打ち破り、多くの命を救った”生きた事例”がまさにこの記事の中にあった。
成果をもたらした立役者・・・片田敏孝氏によれば、2003年頃に行った調査で、三陸地域の住民の防災意識が薄れはじめていることに危機感を抱いたそうだ。その頃から氏は、当該地域の子供のみならず、その子供の親や学校の先生を積極的に巻き込み、また、津波の恐ろしさや、津波の可能性に直面した際に各自がとるべき行動について、しつこく教育を続けてきた、とある。もちろん、教育と一言で言っても、映像など視覚にうったえる形での教育を行ったり、本人達にハザードマップを作成させたり・・・ありとあらゆる工夫をしてきたそうだ。
リスクマネジメントコンサルタントという仕事がら、お客様から「どうしたら、危機意識を現場に根付かせることができるか?」という質問を受けることが良くあるが、ここでの氏の話は、その問いに対する答えの1つだと言えるのだろう。
日経ビジネス4月25日号「東電の罪と罰」
きついタイトルだな・・・見たときにまずはじめにそう感じた。日経ビジネス2011年4月25日号のテーマは「東電の罪と罰」。福島第一原発問題が終息するまで、メディアでは取りあげられ続けるだろう。
特に印象に残ったのは以下の3つだ。
■≪特集≫原発交付金は”麻薬”
原発交付金の話は、中央公論4月号で読んだ記事とほぼ同じ話だ。違うのは取りあげられている事例対象が中央公論が福島第一原発のある双葉町であるのに対し、日経ビジネスでは柏崎刈羽原発のある柏崎市であるという部分だけだ。いずれの町も、原発をいったん受け入れた後に底なし沼にはまっていった経緯について触れている。
まさに”麻薬”と同じだ。麻薬を打つことを選択した本人(町)にも責任があるが、なによりも、中毒性が強いと分かっていながら麻薬を薦めた者(政府)のほうがよっぽど罪深い。
■”震災後”に問われる真価
ローソンの新浪剛史社長が、東日本大震災に対してどう対応したかについて書かれた記事だ。記事中、氏は以下のように述べている。
『これまで砂に水をまくようなことをやってきました。権限を委譲すると言っても、みんな権限を使い慣れていないんですから。定着するまでに5年はかかりました。・・・(中略)・・・今回の震災対応でも、分かっている奴に、信頼して任せました。・・・(中略)・・・彼らは現地の状況を知っているから、仮説の精度が高いんです。「あのあたりはこうなっているはずだ」と。だから初動が早い。』
この言葉を聞いて『想定を越える危機に直面した際には、階層化された指揮命令系統を遵守することよりも、できる限りフラットな組織体制でトップの明瞭簡潔な指示のもと、その時に動けるグループが自分たちの裁量で臨機応変に動けるようにすることが大事である』と、アメリカのカトリーナ(ハリケーン)災害で対応したThad Allen氏が述べていたことを思い出した。
また、雑誌WEDGE(ウェッジ)5月号でも同じ事が書かれている。とある防衛省関係者は「刻々と変化する事態に臨機応変に対応するタメには、現場の指揮官に十分な権限を与えることが欠かせない」と述べている。チェルノブイリ原発の事故で処理チームを率いた原子力専門家のウラジーミル・アスモロフ氏も次のように述べている。
『問題を検討する場所が現場から離れれば離れるほど、決定が遅くなり状況が悪化する。”権限を持つ危機管理の責任者が東京ではなく実際の現場で指揮をとるべき”ということが日本政府への最も大切な提言である』と。
ただし、新浪氏が指摘しているように、現場に権限を与えるだけではだめで、その権限を使いこなす力量を持たなければ意味がないのだと思う。形だけの行動計画(危機管理マニュアル)を整備することだけに注力せず、どう各人の力量アップを図るか・・・それが我々に課せられた大きな課題の1つだと思う。
■≪世界鳥瞰≫中国で多発する放射線事故
日経ビジネス4月11日号「3・11 不屈の国」の「中国でも原発推進に逆風」という記事の中で、今現在、中国がいかに数多くの原発を建設中であるかが述べられていた。今回の号では、その記事に呼応するかのように、中国のずさんな放射線源管理から、いかに数多く国民が被曝し亡くなっているかについて触れている。記事によれば、中国では88年から98年までの10年間に332件の放射線事故が発生し、966人が被曝した、そうである。
いくら日本の外の話とは言え、ご多分に漏れず、中国の原発は水資源へのアクセスが容易な沿岸部にばかり建設されている。もはや原発は日本国内だけの問題ではないのである。
特に印象に残ったのは以下の3つだ。
- ≪特集≫原発交付金は”麻薬”
- ≪リーダーの研究≫”震災後”に問われる真価
- ≪世界鳥瞰≫中国で多発する放射線事故
■≪特集≫原発交付金は”麻薬”
原発交付金の話は、中央公論4月号で読んだ記事とほぼ同じ話だ。違うのは取りあげられている事例対象が中央公論が福島第一原発のある双葉町であるのに対し、日経ビジネスでは柏崎刈羽原発のある柏崎市であるという部分だけだ。いずれの町も、原発をいったん受け入れた後に底なし沼にはまっていった経緯について触れている。
まさに”麻薬”と同じだ。麻薬を打つことを選択した本人(町)にも責任があるが、なによりも、中毒性が強いと分かっていながら麻薬を薦めた者(政府)のほうがよっぽど罪深い。
■”震災後”に問われる真価
ローソンの新浪剛史社長が、東日本大震災に対してどう対応したかについて書かれた記事だ。記事中、氏は以下のように述べている。
『これまで砂に水をまくようなことをやってきました。権限を委譲すると言っても、みんな権限を使い慣れていないんですから。定着するまでに5年はかかりました。・・・(中略)・・・今回の震災対応でも、分かっている奴に、信頼して任せました。・・・(中略)・・・彼らは現地の状況を知っているから、仮説の精度が高いんです。「あのあたりはこうなっているはずだ」と。だから初動が早い。』
この言葉を聞いて『想定を越える危機に直面した際には、階層化された指揮命令系統を遵守することよりも、できる限りフラットな組織体制でトップの明瞭簡潔な指示のもと、その時に動けるグループが自分たちの裁量で臨機応変に動けるようにすることが大事である』と、アメリカのカトリーナ(ハリケーン)災害で対応したThad Allen氏が述べていたことを思い出した。
また、雑誌WEDGE(ウェッジ)5月号でも同じ事が書かれている。とある防衛省関係者は「刻々と変化する事態に臨機応変に対応するタメには、現場の指揮官に十分な権限を与えることが欠かせない」と述べている。チェルノブイリ原発の事故で処理チームを率いた原子力専門家のウラジーミル・アスモロフ氏も次のように述べている。
『問題を検討する場所が現場から離れれば離れるほど、決定が遅くなり状況が悪化する。”権限を持つ危機管理の責任者が東京ではなく実際の現場で指揮をとるべき”ということが日本政府への最も大切な提言である』と。
ただし、新浪氏が指摘しているように、現場に権限を与えるだけではだめで、その権限を使いこなす力量を持たなければ意味がないのだと思う。形だけの行動計画(危機管理マニュアル)を整備することだけに注力せず、どう各人の力量アップを図るか・・・それが我々に課せられた大きな課題の1つだと思う。
■≪世界鳥瞰≫中国で多発する放射線事故
日経ビジネス4月11日号「3・11 不屈の国」の「中国でも原発推進に逆風」という記事の中で、今現在、中国がいかに数多くの原発を建設中であるかが述べられていた。今回の号では、その記事に呼応するかのように、中国のずさんな放射線源管理から、いかに数多く国民が被曝し亡くなっているかについて触れている。記事によれば、中国では88年から98年までの10年間に332件の放射線事故が発生し、966人が被曝した、そうである。
いくら日本の外の話とは言え、ご多分に漏れず、中国の原発は水資源へのアクセスが容易な沿岸部にばかり建設されている。もはや原発は日本国内だけの問題ではないのである。
2011年4月28日木曜日
計画停電に対する不満の声
仕事がら、東日本大震災の話に接する機会に事欠かない。良く耳にするものの1つが次のような声だ。
『計画停電をするならしてくれれば良かったのに。すると言っておきながらしなかったり・・・。中途半端が一番困る!』
一見、的を得ているような発言に見える。だが良くいわれているとおり、被災地域では電気はおろかガス・水道・・・そして住む場所もままならない状態だったことを考えれば、非常に、利己的な発言にしか写らない。
『いや、やるな!とは言っていない。中途半端が困る、やるならやってくれって言ってるだけだ!』
という反論が聞こえくる。その気持ちは分かる。業種によっては1時間の停止が、6時間の作業のやりなおしにつながるケースもあっただろう。
しかし、その発言こそ、利己的だ。そう思ってしまうのは結果的に停電がなかったことを「あぁ、ラインを停止しておいて損をした。まわしておけばよかった。」という”損得勘定”が働くせいだ。たとえ停電が起こらなかったとしても、その時間はどうあれ”停電していた”と思うようにしておけばいいだけの話だ。
電力が1分1秒でも長く届くことで助かった命も決して少なくなかったはずなわけで、思考の転換で対応できることなら、おおいにそうしたいものだ。
『計画停電をするならしてくれれば良かったのに。すると言っておきながらしなかったり・・・。中途半端が一番困る!』
一見、的を得ているような発言に見える。だが良くいわれているとおり、被災地域では電気はおろかガス・水道・・・そして住む場所もままならない状態だったことを考えれば、非常に、利己的な発言にしか写らない。
『いや、やるな!とは言っていない。中途半端が困る、やるならやってくれって言ってるだけだ!』
という反論が聞こえくる。その気持ちは分かる。業種によっては1時間の停止が、6時間の作業のやりなおしにつながるケースもあっただろう。
しかし、その発言こそ、利己的だ。そう思ってしまうのは結果的に停電がなかったことを「あぁ、ラインを停止しておいて損をした。まわしておけばよかった。」という”損得勘定”が働くせいだ。たとえ停電が起こらなかったとしても、その時間はどうあれ”停電していた”と思うようにしておけばいいだけの話だ。
電力が1分1秒でも長く届くことで助かった命も決して少なくなかったはずなわけで、思考の転換で対応できることなら、おおいにそうしたいものだ。
HBR 2011年4月号 ”失敗”
ハーバードビジネスレビュー2011年4月号のテーマは"The Failure Issue"...ずばり「失敗」。なかなか面白いテーマで学びが多かった。
全体的に「どう失敗から学ぶか!?」「どう成功から学ぶか!?」「失敗を積極的に受け入れる文化を醸成するにはどうしたらいいのか!?」といった疑問にスポットライトを当てた記事が多かった。
特に興味深く読んだのは以下の記事だ。
- Block Buster's Former CEO On Sparring with an Activist Shareholder
- How to avoid catastrophe
■Block Bustere's Former CEO On Sparring with an Activist Shareholder
(ブロックバスターの前CEO・・・物言う株主とのバトル)
ブロックバスターは欧米で有名なビデオレンタルチェーン店だった。私もイギリスに住んでいたときにだいぶお世話になったので良く覚えている。本記事では、この会社に1997年からCEOとして経営に携わっていたJohn Antiocco(ジョン・アンティオッコ)氏の失敗談・・・敗北談?(記事を最後まで読むと、本当にそうか!?と疑問に思ってしまうが・・・)が紹介されている。話はこうだ。
ご多分に漏れず、競争の激化で、ビデオレンタル店としてのシェアに伸び悩んでいた。ライバルは(今日では当たり前になりつつある)日本のTSUTAYA DISCASやDMMが手がけているようなメール便を利用したレンタルサービスを開始し、ジワジワとブロックバスターを追い詰める。当時こそ業界トップを走っていた会社とは言え、ビジネスモデルを変えるというのは簡単な決断ではない。投資額も膨大だし、リスクもある。だが、アンティオッコ氏は、ビデオレンタルの延滞金で稼ぐような従来のビジネスモデルから、メール便のビジネスモデルへ切り替えようと決意する。ところが、すぐに結果の見える戦略ではなかったこと、そして、そのとき持ち上がっていた買収話が独禁法にひっかかり上手くいかなかったということがケチのつきはじめとなった。このときに、物言う株主として有名なCarl Ichan(カール・イチャン)氏が登場。アンティオッコ氏の経営手腕ならびに異常に高い報酬に異を唱え、委任状争奪(合)(経営権を奪い合う)戦をはじめる。最終的には、カール・イチャン氏が経営権を奪取し、アンティオッコ氏を追い出し・・・というお話だ。これでカール・イチャン氏がブロックバスター社の企業価値を一気に高めた・・・となれば、「あー、良かったね」という一種の成功談で終わる話だが、実際は(結果からだけで言えば)彼のとった戦略は失敗。会社は倒産とあいなった。
戦略の優れた金のかかるCEO(アンティオッコ氏) vs. 物言う株主(カールイチャン氏)
この記事が面白いのは、前CEOであるアンティオッコ氏の言い分と、カール・イチャン氏の言い分が両方掲載されていることだ。アンティオッコ氏は「自分の戦略は正しかった。途中から、イチャン氏が入ってきてかき混ぜたことは非常に残念でならなかった」と述べている。これに対し、イチャン氏は「アンティオッコ氏の受け取っていた報酬は異常に高かった。そして、氏は私が短期的な利潤追求者で、なおかつ、私怨で個人的に彼を攻撃していたと思っているようだが、そんなことはない。当時、役員の中に彼のそうしたスタンスに強く反感を覚えていた者が多かったのは事実だ。戦略面だけを語れば、彼の選択していた道は正しかったようには思うが・・・」
この記事から何を学び取ればいいのか?
記事にはイチャン氏が指摘する”多額の報酬”とやらがいくらか載っていなかったので、自分で調べてみたが、どうやら2004年の報酬だけで5億1千6百万ドル(557億円)だったようだ。ちなみに当時(2004年度)の財務諸表を見ると総利益が36億ドル(3,888億円)。アンティオッコ氏の報酬が総利益の14%を占めている換算になる。こうした数字だけで見ると、アンティオッコ氏もステークホルダーの長期的な利益を必ずしも重視していたような印象は持てない。一方、イチャン氏は業界の変化を十分に読み取れたなかった・・・(あるいは読み取れる人材を役員に送り込めなかった)という点では、もちろん彼にも責任はある。
以上から、イチャン氏もアンティオッコ氏も、どっちかが正しくどっちかが間違っていた・・・ということではなく、どっちにも反省すべき点が多分にあったと考える。が、イチャン氏がCEOのポジションを追われる際に多額の報酬(24.7億ドル:2667億円)をもらうことに成功している一方で、アンティオッコ氏は倒産により多額の損失を出しており、また従業員や投資家も多くの痛みを伴った事実だけをみると、イチャン氏の一人勝ちといった様相は否めない。信条としては、やはり記事中一方的な主張を繰り広げるイチャン氏を支持できない・・・というか好きになれない。
■How to avoid catastrophe
(大災害を避けるには?)
この記事の趣旨を一言でいうならば(記事中、このような言葉は出てこないが)「”ハインリッヒの法則”を理解せよ」である。ハインリッヒの法則とは、1:29:300の法則とも言われ、1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するという意味である。つまり、大事故は突如偶然に起こるものではなく、それまでに何度となくシグナルが出ているにも関わらず見逃しているから起きるものなんだよ、というわけだ。
記事では、事例の1つとしてBP社が起こしたメキシコ湾オイル流出事故を挙げている。運悪く起きた事故ではなく、起こるべくして起こった事故であったことが判明しているそうだ。使用していた安全性を確保するための機材は欠陥だらけの製品であったことが大分前から分かって(にも関わらず使用を続けて)いたことや、安全性確保のための作業手順の手抜きが常態化していたことを指摘している。
にもかかわらず経営陣が何ら改善策をとらなかったのはなぜか?
これは、いずれも“結果的には”大事故には至らなかったため判断が曇ったのでは、と言われている。BPの経営陣は、何十回というニアミスが起きているにもかかわらず(偶然とも言える)成功に、むしろ安心感を得て、その裏に潜んでいたはずの問題を問題としてとらえることができなかったのではないか。その結果、どのような大惨事になったか?・・・はご承知おきの通りだ。
“経験からの学び”については、目に見えやすい課題・・・すなわち“失敗”から学ぶことも重要だが、“成功”から学ぶ(すなわち、成功の裏に隠れた失敗がなかったのかを見ようとする)姿勢を持つことが大事なことであるな、と改めて感じた。東日本大震災で、「結果的にはなんとかなったよね」と少しでも思っている人には、この記事を警告として受け取って欲しいと思う。
2011年4月27日水曜日
戦略的あいまい政策
日経新聞朝刊2011年4月27日の「わたしの履歴書」は、ジョージ・W・ブッシュ氏の27回目のコラムだった。
コラム中、2008年当時の中国と台湾に対するアメリカの接し方を「戦略的あいまい政策」という言葉で表現していたことが、なんとなく面白かった。
「戦略的あいまい政策」をブッシュ氏は次のように説明している。
『中国に対しては「台湾に武力侵攻すれば、米国が報復するかもしれない」と思わせ、台湾には「一方的に独立宣言しても、米国は守ってくれない」と思わせる。つまり、中台のいずれもが一方的に現状を変更することを米国は受け入れない、と私は明確にしたのである。』
ブッシュ氏のこの発言を聞いて、ふと、昨日立ち読みした雑誌に「尖閣諸島問題へのアプローチ方法」について大前健一氏の発言を思い出した。その中で氏は「歴史的な経緯を考えれば、あいまいにしておくのが一番」と述べていたのだ。
世の中には相互が満足する答えなど常にあるわけではない。であるならば現状維持が、相互に・・・あるいはそれをとりまくステークホルダーに最も満足度の高いということか・・・”あいまいにすること”も立派な戦略というわけだ。
いまさらながら、なるほどな・・・とうなずいてしまった。
コラム中、2008年当時の中国と台湾に対するアメリカの接し方を「戦略的あいまい政策」という言葉で表現していたことが、なんとなく面白かった。
「戦略的あいまい政策」をブッシュ氏は次のように説明している。
『中国に対しては「台湾に武力侵攻すれば、米国が報復するかもしれない」と思わせ、台湾には「一方的に独立宣言しても、米国は守ってくれない」と思わせる。つまり、中台のいずれもが一方的に現状を変更することを米国は受け入れない、と私は明確にしたのである。』
ブッシュ氏のこの発言を聞いて、ふと、昨日立ち読みした雑誌に「尖閣諸島問題へのアプローチ方法」について大前健一氏の発言を思い出した。その中で氏は「歴史的な経緯を考えれば、あいまいにしておくのが一番」と述べていたのだ。
世の中には相互が満足する答えなど常にあるわけではない。であるならば現状維持が、相互に・・・あるいはそれをとりまくステークホルダーに最も満足度の高いということか・・・”あいまいにすること”も立派な戦略というわけだ。
いまさらながら、なるほどな・・・とうなずいてしまった。
2011年4月24日日曜日
2011.4.18 日経ビジネス「食が危ない」
日経ビジネス2011.4.18号を読んだ。中でも興味を持って読めたのは、以下の記事。
- ≪敗軍の将、兵を語る≫ 都知事選、それぞれの誤算
- ≪スペシャルリポート≫ 観光地化するチェルノブイリ「原発と生きる苦悩」
- ≪経営新潮流》ファンドが促す事業改革「大企業体質MBOで克服」
よくよく見ると、雑誌のテーマである「食が危ない」とは、直接的に関係のない記事ばかりだなぁ(苦笑)。
■≪敗軍の将、兵を語る≫ 都知事選、それぞれの誤算
都知事選は石原慎太郎氏が圧勝。東国原氏が次点。その次に渡邊氏・・・という結果になった。記事は、選挙に敗れたこの両者にスポットライトを当てたものだ。異なった感想を述べているが「本当にこのタイミングの選挙が正しかったのか?」という疑問に関しては両者が同じように投げかけたようだ。
個人的にもやはり、今回のこの(震災直後の)タイミングで選挙が行われたことは、三者の評価を正しくできる状態でなかっただけに残念だった。石原氏は特に最後の第四期に向けて何をするのか、具体策を打ち出した選挙をしたわけではなかったし、渡邊氏も東国原氏も政見放送以外のメディアで、見かけることがほとんどできなかったので両者の想いが伝わってこなかった(自分は両氏の本を読んだんでそこそこ理解はしていたつもりだが)。
それにつけてもこれも震災の影響だろうか。つい2週間前に行われた選挙戦であるはずなのに・・・いまや、もうどのメディアでも触れられていることはない。メディアは原発関係の記事一色だ。
■≪スペシャルリポート≫ 観光地化するチェルノブイリ「原発と生きる苦悩」
チェルノブイリの原発のその後を追ったレポートだ。事故から25年が経過する今も巨額の負担が発生している現状を紹介している。立ち入り禁止区域を管理するために年間維持費だけでも83億円にのぼり、さらに25年経過した今年、新たに事故があった4号炉を完全に封じる新たなシェルター建設のために追加で1872億円の費用を負担する必要があるそうだ。
原子力発電は仮に事故が発生しなかったとしても、廃炉にするのに多額の費用(噂では数十兆円)がかかるという。原子力エネルギーのコストをライフサイクルで見た場合、原子力発電は本当に安いのだろうか。正確なところを知りたい。
■≪経営新潮流》ファンドが促す事業改革「大企業体質MBOで克服」
電車の経路検索ソフト「乗り換え案内」で有名な「駅探(えきたん)」という会社の話。「駅探」は2011年3月にマザーズに上場したが、記事は、そこにいたるまでの苦労を描いている。潜在能力はあるのに、成長が伸びない・・・。そんな会社をファンドの力を借りてMBOして立て直した、というお話だ。
記事によれば会社がなかなか成長しなかった理由の1つは「顧客ニーズに対する意識の低さ」や「ロイヤリティの高くない出向社員から構成されていた組織体制」にあったそうだ。こういう事例はゴマンとある。誰もが気がついても良さそうな、極めて基本的なところに問題があった印象だ。が、実は分かっていても、そのような基本的なところにつまづく会社が多いのだろう。「自分の会社はどうか?」という問いかけを、定期的に自らにしていきたいと思った。
2011年4月23日土曜日
書評: 地域防災力を高める
わたしは”リスクマネジメントコンサルティング”を生業(なりわい)にしているため、実は防災や事業継続計画(BCP)といったキーワードが出てくるような書籍に目を通す機会が少なからずある。今年読む予定の52冊の中に、1冊くらいそういった関係の本が入っていてもバチは当たらないだろう・・・ということで、今回は、私の会社とおつきあいのある方が書かれた本を拝読することにした。
地域防災力を高める ~「やった」と言えるシンポジウムを!~
著者:山崎登 出版社:近代消防社 1,800円
発行日: 2009年11月7日
■防災についてのこれからのあり方を提言する本
この本は、洪水や地震、津波、土砂、火山など主要な災害における近年の被害の傾向と、これまでに効果を発揮してきた(あるいは、しつつある)災害対策について、著者自身の考えをまとめたものである。うんちく的な内容も多く含まれている。
山崎登氏の主張を簡単に述べると、以下の通りである。
【主張】
これからは公助(国主導の防災活動)だけではなく、自助(自力で助かるようにするための活動)・共助(地域の中で助け合うことを前提とした活動)へ注力することが必要である
【論拠】
自然災害に対して、行政のリソースだけで対応していくには限界がある。
【裏付け】
・土砂災害について国の防災活動で一定数まで犠牲者の数を減らすことに成功したが、横ばいが続いている
・災害時に出る犠牲者の多くを高齢者が占める中、高齢化社会化が進んでいる
・過去の震災時でも、国よりも地域の仲間によって助けられた人が圧倒的割合を占めている
■NHK解説委員ならではの視点が面白い
失礼を承知で発言しておくと・・・面白くなさそうなタイトル(しかも、最初はサブタイトルの意味が良く分からなかった)だったので、正直、最初は読むのにかなり抵抗があった。仕事がら読むべき・・・という思いだけで、本を手に取ったことは否定しない。ところが・・・意外や意外、内容が非常に充実している。最初は、パラパラとめくって気になるところだけ目を通すだけのつもりだったが、振り返れば結局、ほとんど全てのページに目を通していた。
なぜ興味を持って読むことができたのか?
一番の理由は、本に説得力があることだろう。著者の山崎登氏はNHKの解説委員※であり、数多くの現場を見聞きし、また様々な専門家と議論をかわしてきた人だ。豊富なデータや実際の経験に基づいて、主張されているので書かれていること全てに説得力がある。たとえば、氏は、共助(地域防災)の重要性を裏付ける根拠として、阪神大震災では、要救助者3.5万人のうち2.7万人(約80%)が近隣住民などにより救出された事実を挙げている。また、次のようなデータを挙げて、水害に対する地域での取り組みの重要性を訴えている。
【1時間に50ミリ以上の激しい雨が一年間に降った回数を過去10年ごとの平均】
・1977年~1986年: 200回
・1987年~1996年: 234回
・1997年~2006年: 313回(※2004年1年だけで470回)
※下水管はおおよそ1時間に50ミリ程度の雨の排水を上限に設計されていることが多いとのこと。つまり、この降雨量を超えると、下水管の水が溢れ、床下・床上浸水など様々な被害を生じさせることになる
本が面白い二番目の理由としては、やはり”地域防災”という、一般ではあまりない視点に焦点をあわせていることだろう。地域防災から見えてくる興味深い視点の1つとして、著者は、被災後に地域に残されるモニュメントを取りあげている。「なに、モニュメント!?」と思うかもしれない。しかし「災害は忘れた頃にやってくる」ものであることを考えると、後世の人に危機意識を共有し続けるためにはこういった活動もバカにできないのだと思う。ちなみに、以下は、岩手県宮古市にある石碑に刻まれた言葉だそうであるが、東日本大震災が起きた直後の今は、この言葉の重みがひしひしと伝わってくる。
『高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津浪 ここより下に家を建てるな』
最後に本が面白い理由としては、報道に携わる人ならではの視点を持って書かれたものであることを挙げられるだろう。たとえば、報道のあり方・・・すなわち、災害についての警告を発信する際の言葉使いのあり方や、その際にどのような媒体を使って訴えかければ、被災地域の人々に声が届く確率があがるか・・・などといったことについても触れている。
■地域全体の安全を考える立場の人に・・・
本は全部で約300ページ超、全三章から構成されている。
第一章:
地域の防災力を高めるために
第二章:
1. 増える豪雨と洪水対策
2. 地震の被害を防ぐ
3. 津波の被害を防ぐ
4. 土砂災害の被害を防ぐ
5. 火山の噴火被害を防ぐ地域の力
6. 地域の防災に消防の力を生かす
第三章:
シンポジウムの作り方、進め方
気がついた人もいるかもしれないが、第三章には「シンポジウムの作り方、進め方」という項目が入っている。”シンポジウム”とは、フォーラム(公開討論会)のようなものだが、なぜそのようなテーマが含まれているのか・・・疑問のわくところだ。これは著者がNHK解説委員であり、シンポジウムの司会者を依頼されることが多いためだろう。地域防災をしっかりと普及啓発させていくためには、「意味のあるシンポジウムを開くための工夫をして欲しい」・・・という著者の切なる願いが伝わってくる。
以上の点から、著者は私のようなリスクマネジメントに携わる人間はもちろんのこと、防災を考える、または、普及啓発を行う立場にある人たちを意識して書いた本であると言えるだろう。さらに、一企業でできることの限界を知る・・・という意味でも、個人的には、企業の総務の方やリスク管理部の方にも読んでもらいたい本ではある。
■分かっていたのに、なぜ何もできなかったのか?
それにつけても思うのは、今回の東日本大震災の悲劇が多くの人によって予言されていたという事実だ。先日、読んだ「三陸海岸 大津波」しかり、この本しかり・・・である。山崎登氏は、2009年に執筆したこの本の中で既に、帰宅困難者の問題や津波に関わる問題を指摘している。そういえば、昨日聞いていたラジオ番組でも「原発の津波リスクや停電時のリスクについて、遙か以前から指摘していた専門家がいた」と言っていたような。後から後からこういった発言や発見があるが、結局のところ、可能性があると分かっていても(指摘されても)、なかなか行動にうつせないのが人間の性(さが)なのかもしれない。
「分かって(指摘して)いたのに、なぜ何もしなかったのか?」
その問いは良いだろう・・・しかし、個人や特定のグループを責める前提でこの問いかけを行うのではなく、組織の仕組みのどこに問題があったのかを明らかにする前提でこの問いかけを行うことが必要であると感じずにはいられない。
※Wikipediaによれば、NHKの解説委員とは、政治や経済などの各分野を独自の視点で取り上げ、視聴者にわかりやすく解説する役職、人物で、テレビ局の社員であり(主に報道局や報道部に所属)、解説委員がメインキャスターを務める報道番組(『ウェークアップ!ぷらす』、『時論・公論』、『NEWS サンデー・スコープ』など)もある。社員ではあるが待遇は役員クラスのことが多く、テレビ局における要職である。
地域防災力を高める ~「やった」と言えるシンポジウムを!~
著者:山崎登 出版社:近代消防社 1,800円
発行日: 2009年11月7日
■防災についてのこれからのあり方を提言する本
この本は、洪水や地震、津波、土砂、火山など主要な災害における近年の被害の傾向と、これまでに効果を発揮してきた(あるいは、しつつある)災害対策について、著者自身の考えをまとめたものである。うんちく的な内容も多く含まれている。
山崎登氏の主張を簡単に述べると、以下の通りである。
【主張】
これからは公助(国主導の防災活動)だけではなく、自助(自力で助かるようにするための活動)・共助(地域の中で助け合うことを前提とした活動)へ注力することが必要である
【論拠】
自然災害に対して、行政のリソースだけで対応していくには限界がある。
【裏付け】
・土砂災害について国の防災活動で一定数まで犠牲者の数を減らすことに成功したが、横ばいが続いている
・災害時に出る犠牲者の多くを高齢者が占める中、高齢化社会化が進んでいる
・過去の震災時でも、国よりも地域の仲間によって助けられた人が圧倒的割合を占めている
■NHK解説委員ならではの視点が面白い
失礼を承知で発言しておくと・・・面白くなさそうなタイトル(しかも、最初はサブタイトルの意味が良く分からなかった)だったので、正直、最初は読むのにかなり抵抗があった。仕事がら読むべき・・・という思いだけで、本を手に取ったことは否定しない。ところが・・・意外や意外、内容が非常に充実している。最初は、パラパラとめくって気になるところだけ目を通すだけのつもりだったが、振り返れば結局、ほとんど全てのページに目を通していた。
なぜ興味を持って読むことができたのか?
一番の理由は、本に説得力があることだろう。著者の山崎登氏はNHKの解説委員※であり、数多くの現場を見聞きし、また様々な専門家と議論をかわしてきた人だ。豊富なデータや実際の経験に基づいて、主張されているので書かれていること全てに説得力がある。たとえば、氏は、共助(地域防災)の重要性を裏付ける根拠として、阪神大震災では、要救助者3.5万人のうち2.7万人(約80%)が近隣住民などにより救出された事実を挙げている。また、次のようなデータを挙げて、水害に対する地域での取り組みの重要性を訴えている。
【1時間に50ミリ以上の激しい雨が一年間に降った回数を過去10年ごとの平均】
・1977年~1986年: 200回
・1987年~1996年: 234回
・1997年~2006年: 313回(※2004年1年だけで470回)
※下水管はおおよそ1時間に50ミリ程度の雨の排水を上限に設計されていることが多いとのこと。つまり、この降雨量を超えると、下水管の水が溢れ、床下・床上浸水など様々な被害を生じさせることになる
本が面白い二番目の理由としては、やはり”地域防災”という、一般ではあまりない視点に焦点をあわせていることだろう。地域防災から見えてくる興味深い視点の1つとして、著者は、被災後に地域に残されるモニュメントを取りあげている。「なに、モニュメント!?」と思うかもしれない。しかし「災害は忘れた頃にやってくる」ものであることを考えると、後世の人に危機意識を共有し続けるためにはこういった活動もバカにできないのだと思う。ちなみに、以下は、岩手県宮古市にある石碑に刻まれた言葉だそうであるが、東日本大震災が起きた直後の今は、この言葉の重みがひしひしと伝わってくる。
『高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津浪 ここより下に家を建てるな』
最後に本が面白い理由としては、報道に携わる人ならではの視点を持って書かれたものであることを挙げられるだろう。たとえば、報道のあり方・・・すなわち、災害についての警告を発信する際の言葉使いのあり方や、その際にどのような媒体を使って訴えかければ、被災地域の人々に声が届く確率があがるか・・・などといったことについても触れている。
■地域全体の安全を考える立場の人に・・・
本は全部で約300ページ超、全三章から構成されている。
第一章:
地域の防災力を高めるために
第二章:
1. 増える豪雨と洪水対策
2. 地震の被害を防ぐ
3. 津波の被害を防ぐ
4. 土砂災害の被害を防ぐ
5. 火山の噴火被害を防ぐ地域の力
6. 地域の防災に消防の力を生かす
第三章:
シンポジウムの作り方、進め方
気がついた人もいるかもしれないが、第三章には「シンポジウムの作り方、進め方」という項目が入っている。”シンポジウム”とは、フォーラム(公開討論会)のようなものだが、なぜそのようなテーマが含まれているのか・・・疑問のわくところだ。これは著者がNHK解説委員であり、シンポジウムの司会者を依頼されることが多いためだろう。地域防災をしっかりと普及啓発させていくためには、「意味のあるシンポジウムを開くための工夫をして欲しい」・・・という著者の切なる願いが伝わってくる。
以上の点から、著者は私のようなリスクマネジメントに携わる人間はもちろんのこと、防災を考える、または、普及啓発を行う立場にある人たちを意識して書いた本であると言えるだろう。さらに、一企業でできることの限界を知る・・・という意味でも、個人的には、企業の総務の方やリスク管理部の方にも読んでもらいたい本ではある。
■分かっていたのに、なぜ何もできなかったのか?
それにつけても思うのは、今回の東日本大震災の悲劇が多くの人によって予言されていたという事実だ。先日、読んだ「三陸海岸 大津波」しかり、この本しかり・・・である。山崎登氏は、2009年に執筆したこの本の中で既に、帰宅困難者の問題や津波に関わる問題を指摘している。そういえば、昨日聞いていたラジオ番組でも「原発の津波リスクや停電時のリスクについて、遙か以前から指摘していた専門家がいた」と言っていたような。後から後からこういった発言や発見があるが、結局のところ、可能性があると分かっていても(指摘されても)、なかなか行動にうつせないのが人間の性(さが)なのかもしれない。
「分かって(指摘して)いたのに、なぜ何もしなかったのか?」
その問いは良いだろう・・・しかし、個人や特定のグループを責める前提でこの問いかけを行うのではなく、組織の仕組みのどこに問題があったのかを明らかにする前提でこの問いかけを行うことが必要であると感じずにはいられない。
※Wikipediaによれば、NHKの解説委員とは、政治や経済などの各分野を独自の視点で取り上げ、視聴者にわかりやすく解説する役職、人物で、テレビ局の社員であり(主に報道局や報道部に所属)、解説委員がメインキャスターを務める報道番組(『ウェークアップ!ぷらす』、『時論・公論』、『NEWS サンデー・スコープ』など)もある。社員ではあるが待遇は役員クラスのことが多く、テレビ局における要職である。
2011年4月19日火曜日
核兵器は抑止力たりえるか
先日、中央公論5月号について思うところを書いたが、もう1つ気になる記事があったので付け加えておきたい。
今こそ「民主主義」そして「核」を考えるというテーマで、ノーム・チョムスキーという言語学者がインタビューに答えている記事だ。
その中で「核兵器は抑止力たるか?」という質問に対し、彼は以下のように答えている。
『核軍備が防衛になるかどうかは、大変疑問です。過去に核の対立が何度もあり、かろうじて滅亡を免れているような状態です。・・・(中略)・・・実際、過去に自動発射装置が、解析の間違いによる他国の核兵器発射を何千回にもわたって感知しており、すんでのところで手動によって核兵器発射を食い止めてきているのです。』
この受け答えを読んで「ウォーゲーム」といった映画を思い出した。核戦争がすんでのところで止められてきた・・・など、映画の世界の話でしかないと思っていた。確かに、キューバ危機でケネディ大統領が核戦争の可能性が3分の1くらいに達していると計算していたのは知ってはいたが・・・。
ノーム・チョムスキー氏は、次のように続けている。
『つまり核兵器が存在する限り、遅かれ早かれ核戦争を避けることはできないということです』
重たい言葉である。
今こそ「民主主義」そして「核」を考えるというテーマで、ノーム・チョムスキーという言語学者がインタビューに答えている記事だ。
その中で「核兵器は抑止力たるか?」という質問に対し、彼は以下のように答えている。
『核軍備が防衛になるかどうかは、大変疑問です。過去に核の対立が何度もあり、かろうじて滅亡を免れているような状態です。・・・(中略)・・・実際、過去に自動発射装置が、解析の間違いによる他国の核兵器発射を何千回にもわたって感知しており、すんでのところで手動によって核兵器発射を食い止めてきているのです。』
この受け答えを読んで「ウォーゲーム」といった映画を思い出した。核戦争がすんでのところで止められてきた・・・など、映画の世界の話でしかないと思っていた。確かに、キューバ危機でケネディ大統領が核戦争の可能性が3分の1くらいに達していると計算していたのは知ってはいたが・・・。
ノーム・チョムスキー氏は、次のように続けている。
『つまり核兵器が存在する限り、遅かれ早かれ核戦争を避けることはできないということです』
重たい言葉である。
2011年4月17日日曜日
書評: 三陸海岸 大津波
23メートル・・・これは何の数字かお分かりだろうか?
東日本大震災で起きた”大津波の高さ”と思う人もいるかもしれない。それも正解だが、ここでとりあげたこの数字は、昭和8年(1933年)に起きた”昭和三陸地震”の際に、三陸海岸に押し寄せた波の高さだ。
知っている方も多いだろうが、実は、三陸海岸(北地方の太平洋側、青森県南東端から岩手県沿岸部を経て宮城県の牡鹿半島までの海岸の総称)は”津波の歴史”と言っても過言ではない。今回は、この三陸海岸の津波の歴史に焦点を当てた本を読んだ。
「三陸海岸大津波」
吉村 昭著 文春文庫出版 438円
(2004年3月10日初版)
■最初はやはり半信半疑だった
もともとこの本、東日本大震災後に、日経ビジネスだったか週刊ダイヤモンドだったか、何かの雑誌で紹介されていたのを読んで知ったのがきっかけだ。「震災発生前に読むならともかく、発生後に読んで、事後的に何を学べると言うんだろう」と正直思ったが、紹介記事のすすめに圧倒されて、思わず買ってしまった。ちなみに、この本、震災後はプレミアがついているらしく、Amazonで入手しようと思っても、通常価格では手に入らない。私の場合は800円の値がついていたものを買った。
Amazonで発注して数日後に手元に届いた。本を手にとる段になっても「東日本大震災以前にそんな大津波があったなんて信じられない」「記録が残っているんだという話にしても、だんだん話に尾ひれがついて大げさな噂になっているだけではないの?」と思っていた。
しかし、この本を読んでみて、そういった考えがいかに浅はかなことであったことが良くわかった。”いい加減な噂”どころか、昔の津波被害について、克明な記録や様々な角度から検証できる記憶が多く残っていたのである。当時の津波の発生状況、被害状況、国の対応状況、そして、被災者の被災した瞬間の話などを、著者が実際に現地に足を運び、資料を調べ、また直接に被災された方々に話を聞いてまとめたのである。
著者の”あとがき”での次のような記述が、情報収集の大変さもさることながら、この本の重さを感じさせる
『・・・さすがに明治29年の津波のことを知る人は皆無に近かった。体験した方がいるというので、その家を訪れると、座敷で寝ていて、話をきくのを断念したこともあった。結局、明治29年の津波について話を聞くことができたのは、鳥ノ越の早野幸太郎氏と羅賀の中村丹蔵氏の2人だけであった。私が両氏を訪れた45年に早野氏は87歳、中村氏は85歳であった。現在はお二人とも故人になられ、おそらく現在では明治29年の津波のことを知る人はなく、私は幸いにも両氏から津波のことを聞くことができたのである・・・』
■明治29年の”明治三陸地震”と昭和8年の”昭和三陸地震”
吉村氏によれば、三陸沿岸をおそった津波は数知れない、と言う。本で紹介されているだけでも西暦869年に始まって、1585年、1611年、1616年、1651年、1676年(以下略)・・・と、おおざっぱに30年~50年周期で大きな津波が襲ってきている。これだけでも、2011年3月に起きた東日本大震災に伴う三陸沖の大津波は”想定外”とは言い難い、という印象を与えられる。
こうした津波の中でも、とりわけ著者が関心を寄せて、深く調査を行い紹介しているのが明治29年(1896年)の”明治三陸地震”と昭和8年(1933年)の”昭和三陸地震”に伴う大津波である。概要のみを以下に紹介しておく。
-”明治三陸地震”に伴う大津波
・地震発生の時期: 明治29(西暦1896)年6月15日
・地震発生の時間: 夜8時頃
・津波の高さ: 気仙沼あたりで24.4メートル(ではなかったかとの推測)
・死者: 約2万人
-”昭和三陸地震”に伴う大津波
・地震発生の時期: 昭和8(西暦1933)年3月3日
・地震発生の時間: 午前2時半頃
・津波の高さ: 23メートル(ではなかったかとの推測)
・死者: 2,995人
偶然ではあろうが、昭和三陸地震は3月3日・・・奇しくも今回起きた東日本大震災は3月11日・・・。発生時期が非常に似通っている。東日本大震災で被災された方々は津波そのものはもちろんのこと、寒さに苦しめられていた報道が目立ったが、昭和三陸地震の際もやはり大変だったようである。「携行して持って行ったおにぎりがすぐに凍ってしまった」といった記述が印象的だ。
■涙が止まらない
先述したように、著者は実際に津波に巻き込まれた瞬間について、その後に残された作文や実際に会われた方の声を紹介している。私は涙が止まらなかった。(悲劇を繰り返さないためにも、こういった悲劇をより多くの人が知ることは義務だと思うので、勝手ではあるが)その1つをここに紹介しておく。
『(略)・・・家がグラグラと激しく揺れておりました・・・(略)・・・びっくりして子供達を起こし、股引やシャツを着せ足袋をはかせていますとさっきのものすごい音が沖の方から聞こえてきました。きっと津波に違いないと思い、4人の子供達を引き連れて一歩戸口を出たとたん大きな何が押し寄せてきてメリメリと家が倒れ、あわやと思うまもなく、私も子供達も下敷きになったまま流されてしまいました。水が引いてから子供達を読んでみますと、低く答える声がします。同じ屋根の下敷きになったまま兄弟同士手を取り合って叫んでいるのでした・・・私は胸が張り裂けるように悲しくなりましたが、体を押しつけられているのでどうしても這い出ることができません。そのうちに「弟が冷たくなって口をきかなくなった」といって兄の方の泣く声がしました。「もう少しだから我慢しておいでよ」と元気づけておりましたが、今度は兄の方が・・・(略)・・・』
■何を学んだのか、学ぶべきか
それにしても不思議だと思わないだろうか?何十年周期かで繰り返されている事象である。これだけの悲惨な事件である。そして、後生に伝える義務があると、当時、つらいことではあったが、学校では被災した子供達に感想文を書かせたりもしている。そうした記録が数多く残っている。にも関わらず、2011年3月11日の午後2時・・・昼間に起きた東日本大震災が引き起こした津波により、死者1万3千人・行方不明者1万4千人の被害を出した。
吉村氏は、(2004年に出したこの)本で次のように触れている。
『・・・(過去の歴史から)・・・大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮堤を越すことはまちがいない」
本によれば、明治29年の津波を経験した後、多くの人たちが高台へ移動したという。しかし、時間の経過と共に、再び低地へ移り住むようになった人が少なくないという。漁港の町である。港近くに住居がないと不便なのだろう。そして昭和8年の悲劇が繰り返された。
そして、2011年東日本大震災が発生して1ヶ月後の4月11日、日経新聞朝刊には次のような記事が掲載されていた。
『国土交通省は、東日本大震災で津波被害を受けた被災地の山や傾斜地を削って整地し、災害時の避難拠点と成る病院や公民館などの用地とする検討に入った。津波被害を受けにくい高台に防災拠点を重点整備し、ここを中心に災害に強い町作りを進める』
我々は過去から何を学べばいいのだろうか。
この悲劇を繰り返してはならない・・・それだけは声を大にしていいたい。
=======2011年4月27日(追記)======
2011年4月27日の日経朝刊に、『自宅跡、自力でプレハブ「津波来たら逃げる」陸前高田 避難要請応じず』という記事があった。インタビューに対応した男性は「食事の時間以外は横になっているだけだったという避難所生活。このままでは病気になってしまう、と抜けだし、自宅跡でテント生活をしながらプレハブを建設した」とのことだ。
高台にも限りがあるだろうし、生活はやはり不便だろうし、自然災害を無理矢理おさえこめたり、完璧な対策を求めたりするのではなく、ある程度リスクを取りながら自然災害と共存する覚悟での対応が結局、もっともと現実的なのかな、と思った。
東日本大震災で起きた”大津波の高さ”と思う人もいるかもしれない。それも正解だが、ここでとりあげたこの数字は、昭和8年(1933年)に起きた”昭和三陸地震”の際に、三陸海岸に押し寄せた波の高さだ。
知っている方も多いだろうが、実は、三陸海岸(北地方の太平洋側、青森県南東端から岩手県沿岸部を経て宮城県の牡鹿半島までの海岸の総称)は”津波の歴史”と言っても過言ではない。今回は、この三陸海岸の津波の歴史に焦点を当てた本を読んだ。
「三陸海岸大津波」
吉村 昭著 文春文庫出版 438円
(2004年3月10日初版)
■最初はやはり半信半疑だった
もともとこの本、東日本大震災後に、日経ビジネスだったか週刊ダイヤモンドだったか、何かの雑誌で紹介されていたのを読んで知ったのがきっかけだ。「震災発生前に読むならともかく、発生後に読んで、事後的に何を学べると言うんだろう」と正直思ったが、紹介記事のすすめに圧倒されて、思わず買ってしまった。ちなみに、この本、震災後はプレミアがついているらしく、Amazonで入手しようと思っても、通常価格では手に入らない。私の場合は800円の値がついていたものを買った。
Amazonで発注して数日後に手元に届いた。本を手にとる段になっても「東日本大震災以前にそんな大津波があったなんて信じられない」「記録が残っているんだという話にしても、だんだん話に尾ひれがついて大げさな噂になっているだけではないの?」と思っていた。
しかし、この本を読んでみて、そういった考えがいかに浅はかなことであったことが良くわかった。”いい加減な噂”どころか、昔の津波被害について、克明な記録や様々な角度から検証できる記憶が多く残っていたのである。当時の津波の発生状況、被害状況、国の対応状況、そして、被災者の被災した瞬間の話などを、著者が実際に現地に足を運び、資料を調べ、また直接に被災された方々に話を聞いてまとめたのである。
著者の”あとがき”での次のような記述が、情報収集の大変さもさることながら、この本の重さを感じさせる
『・・・さすがに明治29年の津波のことを知る人は皆無に近かった。体験した方がいるというので、その家を訪れると、座敷で寝ていて、話をきくのを断念したこともあった。結局、明治29年の津波について話を聞くことができたのは、鳥ノ越の早野幸太郎氏と羅賀の中村丹蔵氏の2人だけであった。私が両氏を訪れた45年に早野氏は87歳、中村氏は85歳であった。現在はお二人とも故人になられ、おそらく現在では明治29年の津波のことを知る人はなく、私は幸いにも両氏から津波のことを聞くことができたのである・・・』
■明治29年の”明治三陸地震”と昭和8年の”昭和三陸地震”
吉村氏によれば、三陸沿岸をおそった津波は数知れない、と言う。本で紹介されているだけでも西暦869年に始まって、1585年、1611年、1616年、1651年、1676年(以下略)・・・と、おおざっぱに30年~50年周期で大きな津波が襲ってきている。これだけでも、2011年3月に起きた東日本大震災に伴う三陸沖の大津波は”想定外”とは言い難い、という印象を与えられる。
こうした津波の中でも、とりわけ著者が関心を寄せて、深く調査を行い紹介しているのが明治29年(1896年)の”明治三陸地震”と昭和8年(1933年)の”昭和三陸地震”に伴う大津波である。概要のみを以下に紹介しておく。
-”明治三陸地震”に伴う大津波
・地震発生の時期: 明治29(西暦1896)年6月15日
・地震発生の時間: 夜8時頃
・津波の高さ: 気仙沼あたりで24.4メートル(ではなかったかとの推測)
・死者: 約2万人
-”昭和三陸地震”に伴う大津波
・地震発生の時期: 昭和8(西暦1933)年3月3日
・地震発生の時間: 午前2時半頃
・津波の高さ: 23メートル(ではなかったかとの推測)
・死者: 2,995人
偶然ではあろうが、昭和三陸地震は3月3日・・・奇しくも今回起きた東日本大震災は3月11日・・・。発生時期が非常に似通っている。東日本大震災で被災された方々は津波そのものはもちろんのこと、寒さに苦しめられていた報道が目立ったが、昭和三陸地震の際もやはり大変だったようである。「携行して持って行ったおにぎりがすぐに凍ってしまった」といった記述が印象的だ。
■涙が止まらない
先述したように、著者は実際に津波に巻き込まれた瞬間について、その後に残された作文や実際に会われた方の声を紹介している。私は涙が止まらなかった。(悲劇を繰り返さないためにも、こういった悲劇をより多くの人が知ることは義務だと思うので、勝手ではあるが)その1つをここに紹介しておく。
『(略)・・・家がグラグラと激しく揺れておりました・・・(略)・・・びっくりして子供達を起こし、股引やシャツを着せ足袋をはかせていますとさっきのものすごい音が沖の方から聞こえてきました。きっと津波に違いないと思い、4人の子供達を引き連れて一歩戸口を出たとたん大きな何が押し寄せてきてメリメリと家が倒れ、あわやと思うまもなく、私も子供達も下敷きになったまま流されてしまいました。水が引いてから子供達を読んでみますと、低く答える声がします。同じ屋根の下敷きになったまま兄弟同士手を取り合って叫んでいるのでした・・・私は胸が張り裂けるように悲しくなりましたが、体を押しつけられているのでどうしても這い出ることができません。そのうちに「弟が冷たくなって口をきかなくなった」といって兄の方の泣く声がしました。「もう少しだから我慢しておいでよ」と元気づけておりましたが、今度は兄の方が・・・(略)・・・』
■何を学んだのか、学ぶべきか
それにしても不思議だと思わないだろうか?何十年周期かで繰り返されている事象である。これだけの悲惨な事件である。そして、後生に伝える義務があると、当時、つらいことではあったが、学校では被災した子供達に感想文を書かせたりもしている。そうした記録が数多く残っている。にも関わらず、2011年3月11日の午後2時・・・昼間に起きた東日本大震災が引き起こした津波により、死者1万3千人・行方不明者1万4千人の被害を出した。
吉村氏は、(2004年に出したこの)本で次のように触れている。
『・・・(過去の歴史から)・・・大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮堤を越すことはまちがいない」
本によれば、明治29年の津波を経験した後、多くの人たちが高台へ移動したという。しかし、時間の経過と共に、再び低地へ移り住むようになった人が少なくないという。漁港の町である。港近くに住居がないと不便なのだろう。そして昭和8年の悲劇が繰り返された。
そして、2011年東日本大震災が発生して1ヶ月後の4月11日、日経新聞朝刊には次のような記事が掲載されていた。
『国土交通省は、東日本大震災で津波被害を受けた被災地の山や傾斜地を削って整地し、災害時の避難拠点と成る病院や公民館などの用地とする検討に入った。津波被害を受けにくい高台に防災拠点を重点整備し、ここを中心に災害に強い町作りを進める』
我々は過去から何を学べばいいのだろうか。
この悲劇を繰り返してはならない・・・それだけは声を大にしていいたい。
=======2011年4月27日(追記)======
2011年4月27日の日経朝刊に、『自宅跡、自力でプレハブ「津波来たら逃げる」陸前高田 避難要請応じず』という記事があった。インタビューに対応した男性は「食事の時間以外は横になっているだけだったという避難所生活。このままでは病気になってしまう、と抜けだし、自宅跡でテント生活をしながらプレハブを建設した」とのことだ。
高台にも限りがあるだろうし、生活はやはり不便だろうし、自然災害を無理矢理おさえこめたり、完璧な対策を求めたりするのではなく、ある程度リスクを取りながら自然災害と共存する覚悟での対応が結局、もっともと現実的なのかな、と思った。
2011年4月15日金曜日
中央公論5月号を読んで・・・原発は悪魔との契約か
中央公論5月号は「3・11と日本の命運」というテーマ。
■佐藤優の新・帝国主義の時代「大震災と大和心のをゝしさ」
佐藤氏は記事中で「東京電力、原子力安全・保安院、首相官邸を含め日本の官庁や大企業は完璧な危機管理マニュアルを持っているはず」と断言している。完璧であるにもかかわらず、それが機能していない理由として”日本人の思想問題”を挙げている。なんとなく言わんとしていることは分かるが、私は頭がそこまで良くないので、その部分の理解はパス(笑)。ただし、彼の以下の発言には私も同意したいと思った。
『読者の反発を覚悟してあえて言うが、東電と関連会社の社員に刑事免責を与えた上で、真相を語る仕組みを政治主導で作って欲しい。本件は、国民の不満を解消し、時代のけじめをつけるための国策捜査の対象になりやすい。しかし、国策捜査になると関係者が真実を語らない。それでは国益が既存される。』
事は「単に東電が悪い」という一組織に責任を押しつける次元の事象ではないと思う。東電、原発ムラと呼ばれる組織の構成員、原子力がもたらす経済効果とひきかえに原発を受け入れた市民、他県にリスクを転嫁した首都圏の人々、内閣、内閣を選んだ国会、国会を構成する国会議員、国会議員を選んだ国民、原子力の安全性に聞く耳もたずで・・・目をつぶって利便性に安穏としてきた国民・・・。この悲劇を繰り返さないために全身全霊、全力を尽くすことが必要だと思う。
■再生など望めるのか 東北の慟哭 菊池正憲
ジャーナリスト菊池氏が、被災11日後の3月22日に被災地域を訪れ取材を敢行した際の記録だ。現地で利用したタクシー運転手から聞いた話が紹介されているが、これが衝撃的で今もって私の頭から離れない。
『あの日、勤務中だった安井さん(タクシー運転手)の携帯に妻は自宅から電話をかけてきて、「お父さん、怖い。どうしたらいい?」と叫んだ。咄嗟に「しばらくじっとしていろ」と答え、電話を切った。地震は強烈だったが、「海岸から離れた我が家には、絶対に津波は来ない。外に出るとかえって危ない」と信じたからだ。けれども、そのやりとりが最後になってしまった。「なんで、”逃げろ”といわなかったのか、悔やんでも悔やみきれない・・・」』
先日読んだ本に「三陸海岸 大津波」がある。この本の中には、明治29年や昭和8年も、今回と全く同じような地震で大津波が発生し、目の前で家族や友人を失った人の声がおさめられていたが、その悲劇が、また同じように繰り返された・・・ことを思うと、本当にやりきれない気持ちで一杯だ。避けようがなかったのか。
■潤い、最後に落とされた福島県双葉町の”原発難民” 葉上太郎
今号読んだ中で最も印象に残った記事だ。いつだったかどこぞのラジオで「地震国で原発を建設するなど、悪魔と契約したも同じだ」発言をしたアメリカの政治家がいると聞いた。最初は「何を言っているんだ!?」と思ったものだ。だが、私のこの記事を読んでの感想は、まさにこの政治家が発言した「原発の建設は悪魔との契約」という表現以外に思いつかなかった。
福島第一原発がある場所は、双葉町という町だ。原発を受け入れる見返りとして、国から多額のお金(電源交付金と呼ぶらしい)をもらうことができる。加えて、原発が稼働すれば、この交付金のほかに、固定資産税や法人町民税が入る。大きなリスクを背負っての受け入れだ。これによって得られた収入は半端じゃない額(税収だけでもピーク時には23億円に上ったそうだ)だ。事実、双葉町は、こうした資金を数百に及ぶ町の事業の原資にあてたという。しかし、ここに落とし穴がある。こうした大きなお金の見返りは、いつまでも続くわけではない。原発が古くなると(会計上償却が進むため)税収がどんどん減ってくる。しかし、双葉町は支出を減らさなかった(減らさなかったのではなくて、減らせなかったのかどうかは分からないが)。
双葉町は財政が苦しくなっていった。どうしたのか・・・。なんと解決策として打ち出したのが「原発の増設」だったそうだ。
紆余曲折あったものの、結果、町には2007年度から4年間、毎年9億8000万円が交付された。更に、双葉町が幸運?だったのは、交付金を全額もらうことができたことだ。この交付金は、本来、県や県を通じて周辺市町村に配分される分もあるらしいのだが、前知事が原発に対して疑問を呈していた県は、拒否の姿勢を示して申請しなかったため、双葉町が総額40億円にものぼる交付金を丸々もらったそうである。葉上氏の記事から、このように町が原発にどんどんと傾倒していく経緯が理解できた。
思うに、原発が恐ろしいのは人間を死に至らしめる目に見えない”放射線”を出すことだけではないのだろう。原発は、人の命を支配するだけではなく、人の心をも支配してしまうシロモノだ。
一見、甘い蜜で人々を誘惑するが、猛毒を持つ・・・そう、それはまるで麻薬と言うべきか・・・。「原発の建設は悪魔との契約」であるとの表現は、ぴったりである。悪魔との契約は世界各地で結ばれている。人類の破滅をもたらす契約にならないことを切に願う。
==========2011年4月25日(追記)============
2011年4月25日号の日経ビジネス「東電の罪と罰」の中で、「原発交付金は麻薬」という記事が掲載されていた。この記事では、東京電力柏崎刈羽原発の建設について、地元柏崎市と刈羽市の苦悩を書いている。この記事によれば、「もう2基原発の増設を!」と、柏崎市の市議会議員である丸山敏彦氏が東電に求めたそうだ。理由は、上記、双葉町と全く同じである。事の深刻さを改めて伺わせる内容だと思う。
==========2011年9月14日(追記)============
2011年9月12日号の日経ビジネス「未来都市フクシマ 舞い降りる救世主」の記事に、福島県民同士にも対立が起きていることが指摘されていた。
『(避難した人が)昼間からパチンコ店に入り浸り、酒を飲んで暴れて、「もっときれいな宿に移せ」とごねる人もいる。そもそも浜通りの人々は原発の給付金で裕福な人も多かったでしょう」。ある会津若松市の旅館関係者は眉をひそめる』
何かが歪んでしまっている気がしてならない。恩恵を受ける立場でありながら、何気に”人事”ですませてきた我々”国民全員のツケ”なのかもしれない。
■佐藤優の新・帝国主義の時代「大震災と大和心のをゝしさ」
佐藤氏は記事中で「東京電力、原子力安全・保安院、首相官邸を含め日本の官庁や大企業は完璧な危機管理マニュアルを持っているはず」と断言している。完璧であるにもかかわらず、それが機能していない理由として”日本人の思想問題”を挙げている。なんとなく言わんとしていることは分かるが、私は頭がそこまで良くないので、その部分の理解はパス(笑)。ただし、彼の以下の発言には私も同意したいと思った。
『読者の反発を覚悟してあえて言うが、東電と関連会社の社員に刑事免責を与えた上で、真相を語る仕組みを政治主導で作って欲しい。本件は、国民の不満を解消し、時代のけじめをつけるための国策捜査の対象になりやすい。しかし、国策捜査になると関係者が真実を語らない。それでは国益が既存される。』
事は「単に東電が悪い」という一組織に責任を押しつける次元の事象ではないと思う。東電、原発ムラと呼ばれる組織の構成員、原子力がもたらす経済効果とひきかえに原発を受け入れた市民、他県にリスクを転嫁した首都圏の人々、内閣、内閣を選んだ国会、国会を構成する国会議員、国会議員を選んだ国民、原子力の安全性に聞く耳もたずで・・・目をつぶって利便性に安穏としてきた国民・・・。この悲劇を繰り返さないために全身全霊、全力を尽くすことが必要だと思う。
■再生など望めるのか 東北の慟哭 菊池正憲
ジャーナリスト菊池氏が、被災11日後の3月22日に被災地域を訪れ取材を敢行した際の記録だ。現地で利用したタクシー運転手から聞いた話が紹介されているが、これが衝撃的で今もって私の頭から離れない。
『あの日、勤務中だった安井さん(タクシー運転手)の携帯に妻は自宅から電話をかけてきて、「お父さん、怖い。どうしたらいい?」と叫んだ。咄嗟に「しばらくじっとしていろ」と答え、電話を切った。地震は強烈だったが、「海岸から離れた我が家には、絶対に津波は来ない。外に出るとかえって危ない」と信じたからだ。けれども、そのやりとりが最後になってしまった。「なんで、”逃げろ”といわなかったのか、悔やんでも悔やみきれない・・・」』
先日読んだ本に「三陸海岸 大津波」がある。この本の中には、明治29年や昭和8年も、今回と全く同じような地震で大津波が発生し、目の前で家族や友人を失った人の声がおさめられていたが、その悲劇が、また同じように繰り返された・・・ことを思うと、本当にやりきれない気持ちで一杯だ。避けようがなかったのか。
■潤い、最後に落とされた福島県双葉町の”原発難民” 葉上太郎
今号読んだ中で最も印象に残った記事だ。いつだったかどこぞのラジオで「地震国で原発を建設するなど、悪魔と契約したも同じだ」発言をしたアメリカの政治家がいると聞いた。最初は「何を言っているんだ!?」と思ったものだ。だが、私のこの記事を読んでの感想は、まさにこの政治家が発言した「原発の建設は悪魔との契約」という表現以外に思いつかなかった。
福島第一原発がある場所は、双葉町という町だ。原発を受け入れる見返りとして、国から多額のお金(電源交付金と呼ぶらしい)をもらうことができる。加えて、原発が稼働すれば、この交付金のほかに、固定資産税や法人町民税が入る。大きなリスクを背負っての受け入れだ。これによって得られた収入は半端じゃない額(税収だけでもピーク時には23億円に上ったそうだ)だ。事実、双葉町は、こうした資金を数百に及ぶ町の事業の原資にあてたという。しかし、ここに落とし穴がある。こうした大きなお金の見返りは、いつまでも続くわけではない。原発が古くなると(会計上償却が進むため)税収がどんどん減ってくる。しかし、双葉町は支出を減らさなかった(減らさなかったのではなくて、減らせなかったのかどうかは分からないが)。
双葉町は財政が苦しくなっていった。どうしたのか・・・。なんと解決策として打ち出したのが「原発の増設」だったそうだ。
紆余曲折あったものの、結果、町には2007年度から4年間、毎年9億8000万円が交付された。更に、双葉町が幸運?だったのは、交付金を全額もらうことができたことだ。この交付金は、本来、県や県を通じて周辺市町村に配分される分もあるらしいのだが、前知事が原発に対して疑問を呈していた県は、拒否の姿勢を示して申請しなかったため、双葉町が総額40億円にものぼる交付金を丸々もらったそうである。葉上氏の記事から、このように町が原発にどんどんと傾倒していく経緯が理解できた。
思うに、原発が恐ろしいのは人間を死に至らしめる目に見えない”放射線”を出すことだけではないのだろう。原発は、人の命を支配するだけではなく、人の心をも支配してしまうシロモノだ。
一見、甘い蜜で人々を誘惑するが、猛毒を持つ・・・そう、それはまるで麻薬と言うべきか・・・。「原発の建設は悪魔との契約」であるとの表現は、ぴったりである。悪魔との契約は世界各地で結ばれている。人類の破滅をもたらす契約にならないことを切に願う。
==========2011年4月25日(追記)============
2011年4月25日号の日経ビジネス「東電の罪と罰」の中で、「原発交付金は麻薬」という記事が掲載されていた。この記事では、東京電力柏崎刈羽原発の建設について、地元柏崎市と刈羽市の苦悩を書いている。この記事によれば、「もう2基原発の増設を!」と、柏崎市の市議会議員である丸山敏彦氏が東電に求めたそうだ。理由は、上記、双葉町と全く同じである。事の深刻さを改めて伺わせる内容だと思う。
==========2011年9月14日(追記)============
2011年9月12日号の日経ビジネス「未来都市フクシマ 舞い降りる救世主」の記事に、福島県民同士にも対立が起きていることが指摘されていた。
『(避難した人が)昼間からパチンコ店に入り浸り、酒を飲んで暴れて、「もっときれいな宿に移せ」とごねる人もいる。そもそも浜通りの人々は原発の給付金で裕福な人も多かったでしょう」。ある会津若松市の旅館関係者は眉をひそめる』
何かが歪んでしまっている気がしてならない。恩恵を受ける立場でありながら、何気に”人事”ですませてきた我々”国民全員のツケ”なのかもしれない。
2011年4月14日木曜日
ご飯事件
HBR 2011年3月号 How to Make it To the Top
ハーバードビジネスレビュー2011年3月号”How to Make it To the Top”を読んだ。
今回の号で割と目についたのが、個人の能力をどう高めるか、自分のブランドをどう高めるか、というテーマ。自分は雇われることを考えていないので、あまり興味がわかずパス。
一方、特に気になって読んだのが以下の記事(注意:和訳は私の主観が入った意訳)。
■The Short Life of Online Sales Leads
(オンラインで獲得したセールスリードがいかに短命か)
この記事では、いまや当たり前ともなっているWEBサイトを介しての問い合わせ・・・この問い合わせに対して、企業がどれだけ早くレスを返しているか、そして、そのレスポンススピードの違いで、どれだけ結果に違いが出ているのか、といったリサーチ結果が紹介されている。ある実験では1時間以内にレスを返した企業と、それよりも長い時間が経ってからレスを返した企業との間で、受注率に7倍の差があったとか・・・。
WEB問い合わせの数、販売している製品・サービスの種類によって、このあたりは見解がかわってくるだろうが、学ぶべき点はある。なかなか参考になった。
■In Praise of The Handshake
(”握手”を褒め称えて)
欧米は契約社会と良く言われる。日本はどうだろうか。この記事の言葉を借りるなら、”握手”社会と言えるかもしれない。そう、何から何まで具体的な数字や文言を持って契約で縛る関係がいいのか、そうではなく、必要最低限の部分だけを契約で縛り、後は、暗黙の了解を持って臨む関係がいいのか・・・この疑問に対してスポットライトを当てた記事だ。記事は、契約重視の姿勢をとった際の失敗事例を挙げつつ、契約重視に進みつつある社会に警告を出している。曖昧さが作る関係もいいものだと・・・。
思うに”具体的な数字や文言を持って契約をすること”は決して悪くないことだろうが、そこで定める数字や文言自体、そもそも公平性や完璧性を持って規定できるものではないはずなので、全てにおいて、そういったものを拠り所にした関係は、当然、いい結果を得られないのだろうと思う。
■Capitalism for the Long Term
(長期的視野の資本主義)
先日読んだ大前健一氏の「大前健一の新しい資本主義の論点」でまとめられた論文に、一貫してでてきたテーマの1つに「これからは株主資本主義ではなく、ステークホルダー資本主義が台頭する」というものがあったが、この記事もその類だ。つまり、短期的な利益を追求する株主が幸せになることだけを考えて企業活動を行うべきではなく、より広範なステークホルダー(たとえば従業員や地域社会など)の幸せを考えて企業活動を行うべきだというわけだ。
こういった長期的視野を持つことの大切さは何も企業に限った話ではなく、国家レベルの活動にも当てはまるものだと思う。記事中の「韓国のミョンバク大統領が、マッキンゼー社に向こう60年の韓国の展望についてアイデアを出してくれてと依頼してきた」という事例が印象に残った。日本は、とてもとても60年という長期的な展望を持った戦略的な動きは全くできていないように思うが、どうなんだろうか。
■How a CEO's Injury Helped Him Revitalize His Young Firm
(CEOの怪我がどのようにして彼の若い会社をよみがえらせたか)
この記事は実は結構ありがちな話ではある。成長する可能性が十分に秘めた会社であったにも関わらず、それをとりしきるワンマン若手社長がいた。権限委譲を渋り、仕事を一人でかかえる傾向があったため、会社は成長するどころか、社長の身に何かあれば、つぶれるリスクを多分に持っていた。そんなある日、不運?にも社長が交通事故にあい、まわりに頼って仕事をせざるをえない事態に直面。この経験を通じて、社長は人に頼ることを覚え、会社は成長し始めた・・・そんな話である。
「他人の振り見て我がふり直せ」とは良く言ったもの。自分にもマネジメントとして、十分に社員に仕事を振れてない部分があると思っている。自戒の意味も込めて、この記事をここにとりあげた。
今回の号で割と目についたのが、個人の能力をどう高めるか、自分のブランドをどう高めるか、というテーマ。自分は雇われることを考えていないので、あまり興味がわかずパス。
一方、特に気になって読んだのが以下の記事(注意:和訳は私の主観が入った意訳)。
- The Short Life of Online Sales Leads(オンラインで獲得したセールスリードがいかに短命か)
- In Praise of The Handshake(”握手”を褒め称えて)
- Capitalism for the Long Term(長期的視野の資本主義)
- How eBay Developed a Culture of Experimentation(eBayはどのようにチャレンジ旺盛な文化を醸成したか)
- How a CEO's Injury Helped Him Revitalize His Young Firm(CEOの怪我がどのようにして彼の若い会社をよみがえらせたか)
■The Short Life of Online Sales Leads
(オンラインで獲得したセールスリードがいかに短命か)
この記事では、いまや当たり前ともなっているWEBサイトを介しての問い合わせ・・・この問い合わせに対して、企業がどれだけ早くレスを返しているか、そして、そのレスポンススピードの違いで、どれだけ結果に違いが出ているのか、といったリサーチ結果が紹介されている。ある実験では1時間以内にレスを返した企業と、それよりも長い時間が経ってからレスを返した企業との間で、受注率に7倍の差があったとか・・・。
WEB問い合わせの数、販売している製品・サービスの種類によって、このあたりは見解がかわってくるだろうが、学ぶべき点はある。なかなか参考になった。
■In Praise of The Handshake
(”握手”を褒め称えて)
欧米は契約社会と良く言われる。日本はどうだろうか。この記事の言葉を借りるなら、”握手”社会と言えるかもしれない。そう、何から何まで具体的な数字や文言を持って契約で縛る関係がいいのか、そうではなく、必要最低限の部分だけを契約で縛り、後は、暗黙の了解を持って臨む関係がいいのか・・・この疑問に対してスポットライトを当てた記事だ。記事は、契約重視の姿勢をとった際の失敗事例を挙げつつ、契約重視に進みつつある社会に警告を出している。曖昧さが作る関係もいいものだと・・・。
思うに”具体的な数字や文言を持って契約をすること”は決して悪くないことだろうが、そこで定める数字や文言自体、そもそも公平性や完璧性を持って規定できるものではないはずなので、全てにおいて、そういったものを拠り所にした関係は、当然、いい結果を得られないのだろうと思う。
■Capitalism for the Long Term
(長期的視野の資本主義)
先日読んだ大前健一氏の「大前健一の新しい資本主義の論点」でまとめられた論文に、一貫してでてきたテーマの1つに「これからは株主資本主義ではなく、ステークホルダー資本主義が台頭する」というものがあったが、この記事もその類だ。つまり、短期的な利益を追求する株主が幸せになることだけを考えて企業活動を行うべきではなく、より広範なステークホルダー(たとえば従業員や地域社会など)の幸せを考えて企業活動を行うべきだというわけだ。
こういった長期的視野を持つことの大切さは何も企業に限った話ではなく、国家レベルの活動にも当てはまるものだと思う。記事中の「韓国のミョンバク大統領が、マッキンゼー社に向こう60年の韓国の展望についてアイデアを出してくれてと依頼してきた」という事例が印象に残った。日本は、とてもとても60年という長期的な展望を持った戦略的な動きは全くできていないように思うが、どうなんだろうか。
■How a CEO's Injury Helped Him Revitalize His Young Firm
(CEOの怪我がどのようにして彼の若い会社をよみがえらせたか)
この記事は実は結構ありがちな話ではある。成長する可能性が十分に秘めた会社であったにも関わらず、それをとりしきるワンマン若手社長がいた。権限委譲を渋り、仕事を一人でかかえる傾向があったため、会社は成長するどころか、社長の身に何かあれば、つぶれるリスクを多分に持っていた。そんなある日、不運?にも社長が交通事故にあい、まわりに頼って仕事をせざるをえない事態に直面。この経験を通じて、社長は人に頼ることを覚え、会社は成長し始めた・・・そんな話である。
「他人の振り見て我がふり直せ」とは良く言ったもの。自分にもマネジメントとして、十分に社員に仕事を振れてない部分があると思っている。自戒の意味も込めて、この記事をここにとりあげた。
2011年4月12日火曜日
日経ビジネス4月11日号 「3・11 不屈の国」
日経ビジネス4月11日号「3・11 不屈の国」を読んだ。思わず勢いで定期購読を始めたはいいが、週刊の購読はちょっと多かったかも・・・とすでに息切れ気味(笑)。
さて、当雑誌だが、これまではどちらかというと「被災」を中心にとりあげられた記事が多かったが、今回は、そのタイトル(「不屈の国」)からも読み取れる通り「再生」をテーマにスポットライトがあてられている。復興に向けて、どんな取り組みが始まっているか、どんな支援が差し伸べられているか、といった記事が多い。
中でも今回、個人的に興味がわいたのは、次の3つだ。
■ガス復旧に全国27社が集結
社会インフラの中でも、ガスはとりわけ復旧に時間がかかるものだ。ガスの場合は復旧に完璧さが要求されるからだ。電気であれば、多少、地中の中でケーブルのどこかが裂けていたとしても各家庭や工場に電力を届ける上であまり大きな支障はない。が、ガスの場合はガス管のどこかに少しでも穴があればガス漏れがおき、大きな二次災害につながりかねない。ガス漏れ箇所は特定するのに時間がかかる上、修復にもそれなりに時間を要する。そんなわけで、災害時にはいくら人の手があっても足りないわけだ。
この記事では、全国のガス会社が被災地に集合し、被災地のためにみんなが協力し合ってがんばっている姿が取り上げられている。天災は1社だけが良ければいいというものでもないし、1社だけで対応できるものでもない。こういった”共助”は、防災・事業継続を考えるうえで、極めて大事なことだと思う。
■”憧れの街”を取り戻す
この記事では、松崎浦安市長が今回の地震について、そして政府の対応について、激白している。浦安は、東日本大震災で液状化被害(埋立地のような地盤のゆるい土地が地震の影響で、あたかも液体であるかのような状態に変化し、建物や地中のパイプが支えを失い大きな被害を受ける被害のこと)が目立った地域だ。
とりわけ、液状化問題を事前に十分に認識しておきながら、とってあった対策が十分に機能しなかった、という話は興味深かった。市長は記事で次のように述べている。
『もともと、液状化を事前に止めることはまず不可能と考えていましたので、浦安市としてはライフラインの復旧に全力を挙げるというところに意識を置いて対策を講じてきました。そのための上水タンクも完備していたんです。(中略)・・・正直言って、このタンクは浦安市の自慢でしたが、(3基中)2基が液状化でだめになりました。』
何事も完璧な予想などあり得ない。はずれて当然・・・大事なのは失敗から学ぶこと・・・と個人的には思いたい
■中国でも原発推進に逆風
タイトルは「原発推進に逆風」とあるが、私が驚いたのは中国にある稼働中ないし建設中の原発の数だ(「NUCLEAR TECHNOLOGY REVIEW 2010」データによれば、中国で建設中の原子炉は31基とあるが、日経ビジネスのデータ(77基)のほうが新しいと思われる)。
- 現在稼働中の原子炉・・・13基
- 建設中及び計画中の原子炉・・・77基
- 地方政府が建設の意向を表明しているものが144基
仮にもし中国で全て原子炉が建設されれば、第一位のアメリカ(104基)を超える数だ。
ところで日本は?というとデータによれば54基。福島第一原発の事故で1号機から4号機までの4基の話題だけで世界の注目を集めている現状を考えると54基という数は「えっ!?そんなにもあるの!?」と驚いてしまう数だ。
福島原発事故のニュースを受けて、中国政府は原子炉建設の一時中止を宣言しているらしいが、それにしても注目すべきは、その数。そしてその数もさることながら、その建設場所だ。基本的に原子力は燃料棒を常に冷却する必要があることから大量の水が必要とされる。そういう意味で、その多くが中国の東海岸沿いに建設されている。どんなに信頼性が高かろうが、数が増えれば事故が起きる確率も高くなるわけで・・・。今は福島県にみんなの目が向いているが、もう少し高いところから俯瞰的に日本列島を見てみると、中国をはじめ隣国の原子力発電所は気になって仕方がない(もちろん、彼ら隣国は、逆に日本の原発事故が気になって仕方がないのだとは思うが・・・)
いずれにせよ、日本の原発だけではなく、もう少し広い視野でアンテナをはっておく必要があるのは間違いなさそうである。
====2011年4月27日(追記)====
日経ビジネス2011年4月25日号「東電の罪と罰」に「中国で多発する放射線事故」という記事が掲載されていた。そこには、中国では88年から98年までの10年間に332件の放射線事故が発生し、966人が被曝したというデータが載っていた。事故発生率は米国の40倍だともあった。いよいよ怖い・・・。
====2011年5月9日(追記)====
日経ビジネス2011年5月9日号「不動産ショック」で、≪編集長インタビュー≫ 小林喜光氏(三菱ケミカルホーディングス社長)「総合」だから危機に強い で小林社長が次のように述べていた。
『中国やインドはかつて日本がやってきたことを、これからやります。中国の沿岸部に ある原発の安全にも日本の教訓をいかさなければなりません。そうでなければ、日本が原発を止めたところで、中国で事故が起きれば、偏西風に乗って、放射性物質が来るかもしれない。グローバルな見方で、原発を人類の一種の宝と捉えて安全対策を進めるべきです』
2011年4月11日月曜日
日経ビジネス「広がる波紋」
4月4日号のタイトルは「広がる波紋」。当然のことながら、震災に絡んだ記事が多いが、もちろん、それ以外のものもある。この号で特に個人的に面白く読めたのはのは、「三菱重工」の”誤算の研究”という記事。
三菱重工が、新日本製鉄や日立製作所など競合に比べ、いかに成長しておらず、また、社内で立てた計画がどれだけ未達を繰り返しているのか、そして、こういった問題に対してどのように立ち向かおうとしているのかが、具体的に紹介されている。
三菱重工といえば、競争力のある素晴らしい会社というイメージがある。国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)はなかなかのものだし、とにかく他社が簡単に入ってこれない参入障壁の高いエリアで、その強さを満喫している企業だと思っていた(単なる私の勉強不足の部分もあるが・・・)。
記事を見ると、どうもそんなことはないらしい。
事業計画は毎年未達の嵐、財務はどんぶり勘定、成長は長年停滞、行う事業は失敗続き・・・それでも、売り上げが急降下していないだけすごいと思うが、さすがに、「うわっ、この会社はすごい!これからどんどん伸びるぞ!」と思えるような会社には見えない。(左図は、三菱重工のHPから持ってきた「三菱重工の受注高・売上高」)
もちろん、手遅れになる前になんとか大ナタをふるおうとしている姿勢があるからこそ、日経ビジネスのインタビューにも応じてくれたのだろう。どう立ち向かっていくか、この組織の向こう2~3年の動向を注目したい。
中には、三菱重工のように大企業病にかかりながら、まったく危機感を持っていない組織もあるだろう。今後、ますます「大企業だからつぶれない・・・」なんていう論理は通用しなくなる。
2011年4月9日土曜日
書評: 大前研一の新しい資本主義の論点
先週読んだのはこの本だ。
「大前研一の新しい資本主義の論点」
~世界の何がどう変わったか、新しい現実を知る必要がある~
編者:大前研一、ダイヤモンド社 1,600円
100年に1度の経済危機とまでうたわれた2008年のいわゆる”リーマンショック”。2011年の東日本大震災は日本の大陸を3メートル東に動かしたというが、この経済危機は何を動かしたのか?どうやら、変化したのは、単に企業の売上げだけではなく、プレーヤーが競争を繰り広げるバトルフィールド(市場構造)自体が大きく変化したようである。
「では具体的に何がどう変化したのか?」
大前研一氏が、この問いに1つの方向性を指し示すべく、様々な専門家が意見を寄せるグローバルマネジメント雑誌”ハーバードビジネスレビュー誌”の中から28の論文を厳選し、また、これに彼自身の論文を加え、まとめたものが、この本である。
危機後の様々な変化によって生まれた状態は何か
”(リーマンショックのような)危機後の様々な変化によって生まれた状態”のことをニューノーマルと呼ぶらしい。このニューノーマルについて29の論文に目を通すと、なるほどいくつかのヒントが見えてくる。勿論、中身を全て紹介することはできない(し、するつもりもない)が、その論点は、大きく以下の3つのテーマに集約できる。
・資本主義における前提条件の変化
・主役の交代
・新しい技術の登場
「資本主義における前提条件の変化」とは、簡単に言えば、これまで”正しい”と思い込んできた2つの法則が実は違っていた・・・ないし変わりつつあるということである。その2つのこととは「どうやら人は必ずしも予測できる行動をとる動物ではない、ということ」、そして「企業は株主さえ見ていればいいわけではらしい」ということである。本では、専門的な言葉で前者を「行動経済学」、後者を「ステークホルダー資本主義」(または「マルチ・ステークホルダー・アプローチ」)などと呼んでいる。
「主役の交代」とは、世界経済を牽引する主役が、先進国から新興国へ移りつつある、ということだ。リーマンショックは世界同時不況と言われることもあるが、実は、この不況下でも大きな経済成長を続けている国々がある。それが中国やインドのような新興国である、というわけだ。大前氏はさらに考えを前進させ「人口が5千万人以上で、平均年齢が20代後半、国民の教育レベルが高く、政治が安定している国」が、今後、キープレーヤーになると主張する。しかるに、BRICs(ブリックス:ブラジル、ロシア、インド、中国)やVISTA(ヴィスタ:ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)に目を向けるべきであるというわけだ。
大前研一氏をはじめ、他の28の論者の多くが、実はこの”主役の交代”を通じて、我々はどういったことを考慮するべきか?について言及している。「新興国によるM&A」「新興国の環境分野への進出」「ホームレスマネーの行方」「グローカリズム」「意志決定のアウトソーシング」・・・などなど。
そして最後に「新しい技術の登場」では、今後、企業が依存するインフラを大きく変える可能性のある技術をいくつか紹介している。セマンティックウェブ(インターネット上にある無数のホームページをより有効活用できるようにするための技術)やナノスケールセンサー(文字通り、極めて小さいながら各種センサーとしての機能を果たすもの)、DSSC(色素増感太陽電池)など、それほど世間で知られていないキーワードがいくつも取り上げられている。
経営戦略を考える立場の人に・・・
大前氏は、”まえがき”で、次のように述べている。
『私の考えと異なるものもあるが、新時代に対する彼ら(各国の政治指導者やグローバル企業のアドバイザー、もしくは経済的リーダー達)のアイデアからは、現状分析と戦略策定に関わる思考のヒントが得られるはずだ。リーダーたる者、一度は読むべき論考である。』
自分たちの戦場(市場)を理解した上で、企業は「経営リソースをどこに投入すべきか?」「何に意識した組織体制作りを行うべきか?」「製品・サービスをどうすべきか?」「カントリーリスクをどう管理すべきか」など、経営目標や戦略、リスクマネジメントのあり方などを、今一度、練り直す必要がある。その意味で、企業選びに迷っている人、企業の経営者や経営企画に携わる人、部長職以上の人は呼んでおきたい本かもしれない。
大前研一流・・・二次利用モデルにも学ぶ
この「大前研一の新しい資本主義の論点」を読み終えて、ふと、板橋 悟氏が「ビジネスモデルを見える化する ピクト図解」という著書の中で「既にある情報を再加工して付加価値をつけて、販売するビジネスモデルを”二次利用モデル”と呼ぶ」と言っていたことを思い出した。これは雑誌社が良く採用するモデルで、たとえば、週刊雑誌に連載した漫画を、単行本の形に再編集して販売するというビジネスモデルのことだ。そう、大前研一氏も、良くこのモデルをよく使う。そして、この本もそれに近いものだ。
この本のために、氏が新たに書き下ろした文章は”まえがき”だけである。それ以外は、氏が選定した28論文をダイヤモンド社が日本語に翻訳し、それを氏が整理・分類した本である。実際、私自身2年前からハーバードビジネスレビュー誌をとりよせているが、ここに選定された論文の半分以上は、私が読んだ記憶のあるものだ。
勘違いしないでもらいたいのは、「だから、この本の価値は低いのだ」とか「大前研一氏は最低である」とかそんなことを言いたいのではない。
既読のものでありながら、あらためて氏によって取捨選択、整理・分類された形で読んで見ると、今までそれほど意味を持って頭に入ってこなかったものが、明確な意味を持って、頭の中にスラスラと入ってきた(日本語のせいもあるかもしれない:笑)。
今回、この本を読んで、改めて、整理・分類された情報が、それを提供する側にとっても、提供される側にとっても重要な付加価値になるものか、ということをも思い知らされた・・・私にとっては、そんな点でも、価値のあった一冊となった。
「大前研一の新しい資本主義の論点」
~世界の何がどう変わったか、新しい現実を知る必要がある~
編者:大前研一、ダイヤモンド社 1,600円
100年に1度の経済危機とまでうたわれた2008年のいわゆる”リーマンショック”。2011年の東日本大震災は日本の大陸を3メートル東に動かしたというが、この経済危機は何を動かしたのか?どうやら、変化したのは、単に企業の売上げだけではなく、プレーヤーが競争を繰り広げるバトルフィールド(市場構造)自体が大きく変化したようである。
「では具体的に何がどう変化したのか?」
大前研一氏が、この問いに1つの方向性を指し示すべく、様々な専門家が意見を寄せるグローバルマネジメント雑誌”ハーバードビジネスレビュー誌”の中から28の論文を厳選し、また、これに彼自身の論文を加え、まとめたものが、この本である。
危機後の様々な変化によって生まれた状態は何か
”(リーマンショックのような)危機後の様々な変化によって生まれた状態”のことをニューノーマルと呼ぶらしい。このニューノーマルについて29の論文に目を通すと、なるほどいくつかのヒントが見えてくる。勿論、中身を全て紹介することはできない(し、するつもりもない)が、その論点は、大きく以下の3つのテーマに集約できる。
・資本主義における前提条件の変化
・主役の交代
・新しい技術の登場
「資本主義における前提条件の変化」とは、簡単に言えば、これまで”正しい”と思い込んできた2つの法則が実は違っていた・・・ないし変わりつつあるということである。その2つのこととは「どうやら人は必ずしも予測できる行動をとる動物ではない、ということ」、そして「企業は株主さえ見ていればいいわけではらしい」ということである。本では、専門的な言葉で前者を「行動経済学」、後者を「ステークホルダー資本主義」(または「マルチ・ステークホルダー・アプローチ」)などと呼んでいる。
「主役の交代」とは、世界経済を牽引する主役が、先進国から新興国へ移りつつある、ということだ。リーマンショックは世界同時不況と言われることもあるが、実は、この不況下でも大きな経済成長を続けている国々がある。それが中国やインドのような新興国である、というわけだ。大前氏はさらに考えを前進させ「人口が5千万人以上で、平均年齢が20代後半、国民の教育レベルが高く、政治が安定している国」が、今後、キープレーヤーになると主張する。しかるに、BRICs(ブリックス:ブラジル、ロシア、インド、中国)やVISTA(ヴィスタ:ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)に目を向けるべきであるというわけだ。
大前研一氏をはじめ、他の28の論者の多くが、実はこの”主役の交代”を通じて、我々はどういったことを考慮するべきか?について言及している。「新興国によるM&A」「新興国の環境分野への進出」「ホームレスマネーの行方」「グローカリズム」「意志決定のアウトソーシング」・・・などなど。
そして最後に「新しい技術の登場」では、今後、企業が依存するインフラを大きく変える可能性のある技術をいくつか紹介している。セマンティックウェブ(インターネット上にある無数のホームページをより有効活用できるようにするための技術)やナノスケールセンサー(文字通り、極めて小さいながら各種センサーとしての機能を果たすもの)、DSSC(色素増感太陽電池)など、それほど世間で知られていないキーワードがいくつも取り上げられている。
経営戦略を考える立場の人に・・・
大前氏は、”まえがき”で、次のように述べている。
『私の考えと異なるものもあるが、新時代に対する彼ら(各国の政治指導者やグローバル企業のアドバイザー、もしくは経済的リーダー達)のアイデアからは、現状分析と戦略策定に関わる思考のヒントが得られるはずだ。リーダーたる者、一度は読むべき論考である。』
自分たちの戦場(市場)を理解した上で、企業は「経営リソースをどこに投入すべきか?」「何に意識した組織体制作りを行うべきか?」「製品・サービスをどうすべきか?」「カントリーリスクをどう管理すべきか」など、経営目標や戦略、リスクマネジメントのあり方などを、今一度、練り直す必要がある。その意味で、企業選びに迷っている人、企業の経営者や経営企画に携わる人、部長職以上の人は呼んでおきたい本かもしれない。
大前研一流・・・二次利用モデルにも学ぶ
この「大前研一の新しい資本主義の論点」を読み終えて、ふと、板橋 悟氏が「ビジネスモデルを見える化する ピクト図解」という著書の中で「既にある情報を再加工して付加価値をつけて、販売するビジネスモデルを”二次利用モデル”と呼ぶ」と言っていたことを思い出した。これは雑誌社が良く採用するモデルで、たとえば、週刊雑誌に連載した漫画を、単行本の形に再編集して販売するというビジネスモデルのことだ。そう、大前研一氏も、良くこのモデルをよく使う。そして、この本もそれに近いものだ。
この本のために、氏が新たに書き下ろした文章は”まえがき”だけである。それ以外は、氏が選定した28論文をダイヤモンド社が日本語に翻訳し、それを氏が整理・分類した本である。実際、私自身2年前からハーバードビジネスレビュー誌をとりよせているが、ここに選定された論文の半分以上は、私が読んだ記憶のあるものだ。
勘違いしないでもらいたいのは、「だから、この本の価値は低いのだ」とか「大前研一氏は最低である」とかそんなことを言いたいのではない。
既読のものでありながら、あらためて氏によって取捨選択、整理・分類された形で読んで見ると、今までそれほど意味を持って頭に入ってこなかったものが、明確な意味を持って、頭の中にスラスラと入ってきた(日本語のせいもあるかもしれない:笑)。
今回、この本を読んで、改めて、整理・分類された情報が、それを提供する側にとっても、提供される側にとっても重要な付加価値になるものか、ということをも思い知らされた・・・私にとっては、そんな点でも、価値のあった一冊となった。
2011年4月7日木曜日
怒りが収まらない・・・Eman Al-Obeidyに祈りを
なぜか、日本ではあまり報道されていないようだが、とても気になっていることがある。ここ数日間、CNNのリビア報道を追っていてどうしても許せないニュースがあったので触れておきたい。
Eman al-Obeidy(イーマン・アルオベイディ)という女性が注目されている。彼女は、先月(3月)、ジャーナリストがおしかけるリビアのホテルに突然入ってきて、叫び始めた。
「私を見て、カダフィーに忠誠を誓う軍の人間に何をされたのかを!」
あたりは騒然。彼女の顔にはアザがあった。詳しく聞くと、歩いているところを拉致され、殴られ、15人に集団レイプされたのだと言うではないか。
彼女はどうやら衝撃の事実を語っている・・・今、とんでもない現場に自分たちは居合わせている・・・何十人ものジャーナリスト達がそう気づくのに時間はかからなかった。ところが・・・さらに驚くべき事が起こった。
まわりにいたホテルの従業員がかけより彼女に布をかぶせ、連れ去ろうとしたのである。
当然、ジャーナリスト達はそれを妨害すべく立ちふさがる。しかし、複数の従業員は近寄るジャーナリストを殴りつけ「おまえは狂ってる。連れて行く。」とEmanに言いながら連れ去っていった。ホテルの従業員もカダフィーに忠誠を誓う人間達が扮していたのだ。
現代において、こんなことがあっていいのだろうか?
目の前に助けを求めている人間がいる・・・助けたいと思う人たちが、手をさしのべられる距離にいる人たちが、目の前に大勢いる。
にも関わらず、彼女は連れ去られた。
後日、リビア政府は「彼女は、酔っていた」とか「彼女は、娼婦だった」とか「精神異常者だ」などと二転三転する主張を展開。その後、国営テレビでは(まともそうな)ニュースキャスターの女性が「娼婦ですら愛国心があるはずなのに、Emanにはそれすらない」とさげすんだ報道を行った。
全世界に報道され注目されたためだろう。カダフィー側もさすがに彼女を殺害する・・・という愚かな手段には訴えなかったようだ。その後CNNが解放後の彼女を発見。政府は彼女が余計なことをしゃべらないよう、当然一般の電話回線を切っている。しかしまわりの助けを借りて衛星電話を手配して、なんとかCNNが再インタビューに成功した。
そのインタビューの中で分かったことだが、Emanが誘拐されとらわれていた時、同じ場所に別の女の子(16歳くらい)が、やはりとらわれていたそうだ。その少女はもう怖くて逃げることをあきらめていたとのこと。逃げ出す恐れがないということで、その少女は縄で縛られていなかった。怖がる少女に必死に頼みこんで自分の縄をほどいてもらい、Emanは逃げ出すことに成功した・・・ジャーナリストがいるホテルにいたる道中なんども検問でひっかかったが、そのたびに「ホテルの従業員です」と嘘をついて切り抜けたそうだ・・・(Emanを助けてくれた少女の身がとても案じられるが・・・)。
インタビューに答えた彼女は、もちろん監視下にあり、今はトリポリの友達の家に身をよせているそうだが、当然、アパートの住人にも気を許せない状態だ。今回の事件について、裁判が行われることになったようだが、法廷に手続きに向かおうとしたところ、外に一歩足を踏み出せば銃を持った人間がつめよってきて「殺すぞ」と脅されて、裁判所にでむくことができない・・・というのが実態のようだ。もうむちゃくちゃである。人権もへったくれもあったものではない。
CNNのアンカーはこう言っている。「彼女の主張を100%証明できる客観的な証拠はない。が、彼女がものすごい危険な状態におかれているのは間違いのないことだ。我々はこれを伝える義務がある。」と。
全世界が注目している。彼女の無事を・・・そして彼女と似たような境遇にいる人々に心から祈りを捧げたい。
====追記(2011年5月9日)====
2011年5月8日付けのCNNニュースによると、アルオベイディさんは、5月5日(木)にリビアを脱出し、チュニジアへ入国することができたそうだ。今後のことは全く白紙だそうだが、とりあえずは一段落といったところか。
Tunis, Tunisia (CNN) -- Eman al-Obeidy, who garnered worldwide attention for her vocal rape allegations against the regime of Moammar Gadhafi, says she has fled Libya, fearing for her safety.
Eman al-Obeidy(イーマン・アルオベイディ)という女性が注目されている。彼女は、先月(3月)、ジャーナリストがおしかけるリビアのホテルに突然入ってきて、叫び始めた。
「私を見て、カダフィーに忠誠を誓う軍の人間に何をされたのかを!」
あたりは騒然。彼女の顔にはアザがあった。詳しく聞くと、歩いているところを拉致され、殴られ、15人に集団レイプされたのだと言うではないか。
彼女はどうやら衝撃の事実を語っている・・・今、とんでもない現場に自分たちは居合わせている・・・何十人ものジャーナリスト達がそう気づくのに時間はかからなかった。ところが・・・さらに驚くべき事が起こった。
まわりにいたホテルの従業員がかけより彼女に布をかぶせ、連れ去ろうとしたのである。
当然、ジャーナリスト達はそれを妨害すべく立ちふさがる。しかし、複数の従業員は近寄るジャーナリストを殴りつけ「おまえは狂ってる。連れて行く。」とEmanに言いながら連れ去っていった。ホテルの従業員もカダフィーに忠誠を誓う人間達が扮していたのだ。
現代において、こんなことがあっていいのだろうか?
目の前に助けを求めている人間がいる・・・助けたいと思う人たちが、手をさしのべられる距離にいる人たちが、目の前に大勢いる。
にも関わらず、彼女は連れ去られた。
後日、リビア政府は「彼女は、酔っていた」とか「彼女は、娼婦だった」とか「精神異常者だ」などと二転三転する主張を展開。その後、国営テレビでは(まともそうな)ニュースキャスターの女性が「娼婦ですら愛国心があるはずなのに、Emanにはそれすらない」とさげすんだ報道を行った。
全世界に報道され注目されたためだろう。カダフィー側もさすがに彼女を殺害する・・・という愚かな手段には訴えなかったようだ。その後CNNが解放後の彼女を発見。政府は彼女が余計なことをしゃべらないよう、当然一般の電話回線を切っている。しかしまわりの助けを借りて衛星電話を手配して、なんとかCNNが再インタビューに成功した。
そのインタビューの中で分かったことだが、Emanが誘拐されとらわれていた時、同じ場所に別の女の子(16歳くらい)が、やはりとらわれていたそうだ。その少女はもう怖くて逃げることをあきらめていたとのこと。逃げ出す恐れがないということで、その少女は縄で縛られていなかった。怖がる少女に必死に頼みこんで自分の縄をほどいてもらい、Emanは逃げ出すことに成功した・・・ジャーナリストがいるホテルにいたる道中なんども検問でひっかかったが、そのたびに「ホテルの従業員です」と嘘をついて切り抜けたそうだ・・・(Emanを助けてくれた少女の身がとても案じられるが・・・)。
インタビューに答えた彼女は、もちろん監視下にあり、今はトリポリの友達の家に身をよせているそうだが、当然、アパートの住人にも気を許せない状態だ。今回の事件について、裁判が行われることになったようだが、法廷に手続きに向かおうとしたところ、外に一歩足を踏み出せば銃を持った人間がつめよってきて「殺すぞ」と脅されて、裁判所にでむくことができない・・・というのが実態のようだ。もうむちゃくちゃである。人権もへったくれもあったものではない。
CNNのアンカーはこう言っている。「彼女の主張を100%証明できる客観的な証拠はない。が、彼女がものすごい危険な状態におかれているのは間違いのないことだ。我々はこれを伝える義務がある。」と。
全世界が注目している。彼女の無事を・・・そして彼女と似たような境遇にいる人々に心から祈りを捧げたい。
====追記(2011年5月9日)====
2011年5月8日付けのCNNニュースによると、アルオベイディさんは、5月5日(木)にリビアを脱出し、チュニジアへ入国することができたそうだ。今後のことは全く白紙だそうだが、とりあえずは一段落といったところか。
Tunis, Tunisia (CNN) -- Eman al-Obeidy, who garnered worldwide attention for her vocal rape allegations against the regime of Moammar Gadhafi, says she has fled Libya, fearing for her safety.
2011年4月6日水曜日
週刊現代4月6日号・・・想定される最悪の事態
週刊現代・・・実は、はじめて買って読んだ。最近、偏見を持たず色々なメディアに目を通して情報収集の量と質を高めようと努力している最中・・・(それにしたって読むメディアをもっと慎重に選べ・・・という声が聞こえてきそうだが)。
今回、読んで個人的に心に残ったのは、以下の2つ。
■福島第一原発は欠陥品です
実際に福島原発で使用されているMARK-Iというタイプのプラントの設計技師が、問題を指摘している。実際に使われている原発の設計技師・・・というだけでも信憑性が高いが、この記事では、様々な専門家の声に聞いた「最悪の事態」について言及している。
一つ、共通性として見えてくるのは”最悪の事態”を想定した場合20Km・・・という数字は、不十分であるということか。
ここからは私見だが、リスクマネジメントの基本は、まず”最悪の事態”を把握すること。その上で対策を講じる。こういう”危機”の際に、危ないなと良く日頃から感じるのは「それは可能性は極めて低いので・・・」という発言。結果的にそういった言動が「想定外だった・・・」という事後発言を生むことになる。
世の中に、絶対はない。可能性が低いので・・・ではなく「可能性はあるので」という言葉使いを持ってしての対応を考えることが重要ではないかと考える。
※この図の著作権は週刊現代に帰属します。皆が知っておいたほうが思いダメを承知で掲載。
■原発ムラの科学者達は現場に行け
タイトルはなんとなく過激だが、要するに東電、原子力安全・保安員や原子力安全委員会・・・など、今メディアで良く聞く組織の相関関係を描いて、体制の問題点を指摘している記事だ。我々のようなシロウトでも、誰がどういった組織を代表しているのか、どういう立場で代表しているのか、どういうなれ合いの可能性があるのか、がよく分かる。
個人的に、一番気になったのは記事中でも指摘されているように、監視する立場にある組織の独立性の薄さ。原子力安全・保安員は、その代表格だが、この組織は”外局”という位置付けの組織にあたるそうだ。「なに、外局って?」とシロウトさながらに、インターネット上を調べて回ったが、Wikipediaによれば「ある程度独立した機関として設置されている」とある。「”ある程度”ってどの程度やねん!?」と思わずつっこみたくなるが、結局は、原発を推進する経済産業省の下部組織の域を出ないことは間違いないようだ。
ところで、それにしても改めても思うのは、その財団法人や社団法人・・・など組織の多さである。いつも思うのだが、こういったインフラ事業は、関与する組織が多すぎて誰が何をやっているのかなかなか分かりづらいものがある。今回、未曾有とも言える大災害を通じて、こういった曖昧さや問題が指摘されているが、きっと他の分野にも似たような構図は一杯あるのだろうと推測する。
他人事とせず他山の石とする心がけも大事だ。
今回、読んで個人的に心に残ったのは、以下の2つ。
■福島第一原発は欠陥品です
実際に福島原発で使用されているMARK-Iというタイプのプラントの設計技師が、問題を指摘している。実際に使われている原発の設計技師・・・というだけでも信憑性が高いが、この記事では、様々な専門家の声に聞いた「最悪の事態」について言及している。
一つ、共通性として見えてくるのは”最悪の事態”を想定した場合20Km・・・という数字は、不十分であるということか。
ここからは私見だが、リスクマネジメントの基本は、まず”最悪の事態”を把握すること。その上で対策を講じる。こういう”危機”の際に、危ないなと良く日頃から感じるのは「それは可能性は極めて低いので・・・」という発言。結果的にそういった言動が「想定外だった・・・」という事後発言を生むことになる。
世の中に、絶対はない。可能性が低いので・・・ではなく「可能性はあるので」という言葉使いを持ってしての対応を考えることが重要ではないかと考える。
■原発ムラの科学者達は現場に行け
タイトルはなんとなく過激だが、要するに東電、原子力安全・保安員や原子力安全委員会・・・など、今メディアで良く聞く組織の相関関係を描いて、体制の問題点を指摘している記事だ。我々のようなシロウトでも、誰がどういった組織を代表しているのか、どういう立場で代表しているのか、どういうなれ合いの可能性があるのか、がよく分かる。
個人的に、一番気になったのは記事中でも指摘されているように、監視する立場にある組織の独立性の薄さ。原子力安全・保安員は、その代表格だが、この組織は”外局”という位置付けの組織にあたるそうだ。「なに、外局って?」とシロウトさながらに、インターネット上を調べて回ったが、Wikipediaによれば「ある程度独立した機関として設置されている」とある。「”ある程度”ってどの程度やねん!?」と思わずつっこみたくなるが、結局は、原発を推進する経済産業省の下部組織の域を出ないことは間違いないようだ。
ところで、それにしても改めても思うのは、その財団法人や社団法人・・・など組織の多さである。いつも思うのだが、こういったインフラ事業は、関与する組織が多すぎて誰が何をやっているのかなかなか分かりづらいものがある。今回、未曾有とも言える大災害を通じて、こういった曖昧さや問題が指摘されているが、きっと他の分野にも似たような構図は一杯あるのだろうと推測する。
他人事とせず他山の石とする心がけも大事だ。
児童71人の命をつないだ橋
以下は、ASAHI.com(2011年3月29日版)からの記事・・・。
「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」と2008年から訴えてきたのは平田武市議。その努力の甲斐あって、橋は昨年12月に設置されたが、平田さん本人は東日本大震災の9日前に亡くなったとのこと。
http://bit.ly/grMkXa
3月11日の震災直後、71人の児童全員は、この非常通路から崖の上に出て高台に向かうことができたそうだ。津波に飲み込まれた後の現場の写真を見ると「この通路がいかに命をつなぐ大切な橋だったか」ということは明らかだ。
この記事に触れて、TBSラジオで3月31日にラジオパーソナリティーの小島慶子氏が「用心深さ(を貫くこと)は勇気だ、と思う」と発言されていたのが妙に印象に残っている。
【小学校・・・津波の爪痕】
「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」と2008年から訴えてきたのは平田武市議。その努力の甲斐あって、橋は昨年12月に設置されたが、平田さん本人は東日本大震災の9日前に亡くなったとのこと。
http://bit.ly/grMkXa
3月11日の震災直後、71人の児童全員は、この非常通路から崖の上に出て高台に向かうことができたそうだ。津波に飲み込まれた後の現場の写真を見ると「この通路がいかに命をつなぐ大切な橋だったか」ということは明らかだ。
この記事に触れて、TBSラジオで3月31日にラジオパーソナリティーの小島慶子氏が「用心深さ(を貫くこと)は勇気だ、と思う」と発言されていたのが妙に印象に残っている。
2011年4月3日日曜日
書評: 「東京を経営する」と「日本改革宣言」
2011年4月10日に東京都知事選が行われる。4月3日現在で出馬表明をしている人は、11人。
・石原慎太郎氏(無所属)
・渡邊(わたなべ)美樹氏(無所属)
・東国原英夫氏(無所属)
・小池晃氏(無所属)
・ドクター中松(無所属)
・谷山裕二朗氏(無所属)
・マック赤坂(スマイル党)
・古川圭吾氏(無所属)
・姫治けんじ氏(平和党核兵器廃絶平和運動)
・雄上統氏(東京維新の会)
・杉田健氏(新しい日本)
とりわけメディアでとりあげられているのは石原氏、渡邊氏、東国原氏の3人。やはり、都知事選は知名度や圧倒的な実績がモノを言うからだろう。この3者のうち、渡邊氏と東国原氏は、本当にここつい最近、本を出している。もちろん、政治活動を意識してのものだ。
【渡邊 美樹氏】
「東京を経営する」 ~私なら東京をこう変える~
サンマーク出版 1,300円
【東国原 英夫氏】
「日本改革宣言」 この国はこのままでいいはずがない!
アントレックス出版 630円
というわけで先週、(読書の遅れを取り戻すためもあって)この2冊を同時に読んだ。
「東京を経営する」(渡邊 美樹氏)
渡邊氏は、郁文館夢学園(いくぶんかんゆめがくえん)という学校経営や、ワタミの介護株式会社という老人介護ホームの経営を行ってきた。神奈川県教育委員会教育委員を努めた。
「東京を経営する」で氏は、自分の生い立ちや、経営者の立場から現在感じている行政への不満、自分ならこうするという意思表明を行っている。氏の”生い立ち”については、高杉良氏の「青年社長」で良く知られているところだが、何度読んでも「揺るぎない強い意志を持つ心温かい経営者」という印象は変わらない。氏の施策は、最大多数の人の幸せを狙いとした(特に)「教育」と「介護」への取組み。その強い意志を示すかのように、本には「高齢者が安心して暮らせる社会」、そして「子供が夢を描ける社会」という章が設けられている。
こうした「教育」や「介護」に対して氏が思いをはせる原動力は何だろうか?それはやはり、経営者・教育委員会教育委員として携わってきたときにぶつかった”どうにもならない”政治的な壁だろう。たとえば、氏は大きな不満の一つとして「公私間協議」を取りあげている。「公私間協議」とは、公立学校と私立学校とが、それぞれの受け入れる生徒数を決めるための協議のことだ。この協議で「子供第一」ではなく「経営第一」というスタンスで、経営の苦しい私立のために公立で生徒を受け入れる生徒数を減らしてくれ、というやりとりが行われていたそうだ。
この本の中で氏が持つ格言がいくつか紹介されている。私が個人的に気に入った発言を一つ挙げておく。
「困難から逃げてはいけない。楽な道と苦しい道と二つあれば、苦しい道を選べ。それが自ら成長させる正しい道である。」
ちなみに、この本はハードカバーで200ページ弱・・・1,300円。ちょっと手を出しにくいといった印象。
「日本改革宣言」(東国原 英夫氏)
東国原氏は、お笑いタレント”そのまんま東”から転身、早稲田大学第二文学部へ入学。卒業後も同学政治経済学部に再入学して地方自治を専攻。宮崎県知事として約4年間活動してきた。
「日本改革宣言」で氏は、渡邊氏同様、自身の生い立ちをはじめ、宮崎県知事として活動してきた際の実績、その際にぶつかった壁、どうしても取り除けない壁など、について触れている。タイトルにも現れているとおり”東京”というよりも”日本”を意識していることが伺えてとれる。事実、本の中で氏は向こう10年~15年を国家存亡の危機の分かれ目と位置付け、フォーカスすべきテーマとして次の3つを挙げている。
・少子高齢化の打破
・国と地方の財政難の打破
・経済の低迷の打破
ちなみに、氏の東京都知事選への出馬表明は3月24日である。他の後者に比べても著しく遅かったことから、ぎりぎりまで国政へ打って出るべきかどうか、迷っていたことをうかがい知ることができる。都政が持つ影響力も魅力的なはずであり、そういった意味で今回、知事選へ出ることを意志決定したのだろう。
やはり地方の政治をこなしてきただけあって、彼が本の中で述べる実績や考え方を「都でもぜひその力をフルに発揮していただきたい」と思いたくなるものである。奇しくも、今、日本は東日本大震災という未曾有の危機を迎え、強力なリーダーシップ力が求められる時期にある。鳥インフルエンザや口蹄疫(こうていえき)の危機管理対応で前線に立って闘った氏の話は、彼のリーダーシップ力を顕著に物語っており、頼もしくうつる。
この本の中で私が、個人的に気に入った彼の”格言”を一つ挙げておく。
「真摯な姿勢、硬い岩をも穿つ」
都政を担うリーダーの意志をしっかり知っておくために読むべき
都政・・・というと、「東京都民にしか関係ない」と一瞬思ってしまうかもしれないが、そんなことはない。日本で一番ステークホルダーの多い街だ。昼間人口は、1,500万人。文化、法規制、ビジネス・・・色々なものが東京を中心に動いている。渡邊氏も著書の中で触れているが、1999年に石原都知事が提起したディーゼル規制(「環境確保条例」)が都政の力を示している良い例だ。「環境確保条例」は、埼玉県、千葉県、神奈川県が続き、最終的には環境庁も、これにおされる形で法改正を行った。
それだけの影響力を持つポジションに、次は誰が立つのか知っておきたい、いや、知っておくべきだろう(気持ち的には、昼間人口を担う我々にも投票権を与えて欲しいくらいだが・・・)。
もちろん、リーダーが誰になるか分かってから読むのでも遅くはない。
都政にワクワクしたい・・・
さて、書評から少し離れるが、今回の都知事選は面白そうだ。未曾有の大危機の最中ということもあり、先に挙げた三候補者とも重点施策に災害対策を含めているが、それぞれ特徴がある。
現職であること、そして、危機管理対応の最中に行われる都知事選になるということもあり、最も有利なのは石原慎太郎氏だろう。新銀行東京など色々な問題などとりざたされることもあるが、それを超える実績を多く残していると思う。政見放送では、政府が東京都の財布からもぎとって行く3000億円を奪い返して、災害対策に振り分けると言っている。頼もしい。
渡邊美樹氏は、不景気にあっても、経営者として数々の雇用を生み出してきた。「介護」「教育」というテーマで、高齢者や子供を抱える親といった多くの有権者層へアピール。氏の実行能力に疑いの余地はない。真の”有言実行”が当てはまる人だ。
東国原英夫氏、先述したように宮崎県で見せた鳥インフル対応や口蹄疫対応での強力なリーダーシップ力には定評がある。日本のセールスマンとして物怖じしない彼が世界でどんな活躍をできるか、それも見物である。
この誰が次の都知事になっても大きな問題はないだろう。少なくとも、今の菅内閣よりは日本に良い意味での大きな影響をもたらしてくれるはずだ。ただし、個人的には渡邊美樹氏を応援したい。石原慎太郎氏は三期を務めた。石原都知事がどんなに素晴らしくても、目の届いていない場所がたくさんあるはずだ。そこを違う人による違う視点で補う時期に来ているのではなかろうか。
わがままを言わせてもらうならば、渡邊美樹氏が都知事で、東国原英夫氏が副知事・・・こんな組み合わせなんてどうだろうか。
都政にワクワクする・・・そうなれば、こんなに素敵なことはない。
※「日本改革宣言」がオンライン書店で見つからなかったため、ここには貼り付けてません。見つかれば貼り付けるようにします。
・石原慎太郎氏(無所属)
・渡邊(わたなべ)美樹氏(無所属)
・東国原英夫氏(無所属)
・小池晃氏(無所属)
・ドクター中松(無所属)
・谷山裕二朗氏(無所属)
・マック赤坂(スマイル党)
・古川圭吾氏(無所属)
・姫治けんじ氏(平和党核兵器廃絶平和運動)
・雄上統氏(東京維新の会)
・杉田健氏(新しい日本)
とりわけメディアでとりあげられているのは石原氏、渡邊氏、東国原氏の3人。やはり、都知事選は知名度や圧倒的な実績がモノを言うからだろう。この3者のうち、渡邊氏と東国原氏は、本当にここつい最近、本を出している。もちろん、政治活動を意識してのものだ。
【渡邊 美樹氏】
「東京を経営する」 ~私なら東京をこう変える~
サンマーク出版 1,300円
【東国原 英夫氏】
「日本改革宣言」 この国はこのままでいいはずがない!
アントレックス出版 630円
というわけで先週、(読書の遅れを取り戻すためもあって)この2冊を同時に読んだ。
「東京を経営する」(渡邊 美樹氏)
渡邊氏は、郁文館夢学園(いくぶんかんゆめがくえん)という学校経営や、ワタミの介護株式会社という老人介護ホームの経営を行ってきた。神奈川県教育委員会教育委員を努めた。
「東京を経営する」で氏は、自分の生い立ちや、経営者の立場から現在感じている行政への不満、自分ならこうするという意思表明を行っている。氏の”生い立ち”については、高杉良氏の「青年社長」で良く知られているところだが、何度読んでも「揺るぎない強い意志を持つ心温かい経営者」という印象は変わらない。氏の施策は、最大多数の人の幸せを狙いとした(特に)「教育」と「介護」への取組み。その強い意志を示すかのように、本には「高齢者が安心して暮らせる社会」、そして「子供が夢を描ける社会」という章が設けられている。
こうした「教育」や「介護」に対して氏が思いをはせる原動力は何だろうか?それはやはり、経営者・教育委員会教育委員として携わってきたときにぶつかった”どうにもならない”政治的な壁だろう。たとえば、氏は大きな不満の一つとして「公私間協議」を取りあげている。「公私間協議」とは、公立学校と私立学校とが、それぞれの受け入れる生徒数を決めるための協議のことだ。この協議で「子供第一」ではなく「経営第一」というスタンスで、経営の苦しい私立のために公立で生徒を受け入れる生徒数を減らしてくれ、というやりとりが行われていたそうだ。
この本の中で氏が持つ格言がいくつか紹介されている。私が個人的に気に入った発言を一つ挙げておく。
「困難から逃げてはいけない。楽な道と苦しい道と二つあれば、苦しい道を選べ。それが自ら成長させる正しい道である。」
ちなみに、この本はハードカバーで200ページ弱・・・1,300円。ちょっと手を出しにくいといった印象。
「日本改革宣言」(東国原 英夫氏)
東国原氏は、お笑いタレント”そのまんま東”から転身、早稲田大学第二文学部へ入学。卒業後も同学政治経済学部に再入学して地方自治を専攻。宮崎県知事として約4年間活動してきた。
「日本改革宣言」で氏は、渡邊氏同様、自身の生い立ちをはじめ、宮崎県知事として活動してきた際の実績、その際にぶつかった壁、どうしても取り除けない壁など、について触れている。タイトルにも現れているとおり”東京”というよりも”日本”を意識していることが伺えてとれる。事実、本の中で氏は向こう10年~15年を国家存亡の危機の分かれ目と位置付け、フォーカスすべきテーマとして次の3つを挙げている。
・少子高齢化の打破
・国と地方の財政難の打破
・経済の低迷の打破
ちなみに、氏の東京都知事選への出馬表明は3月24日である。他の後者に比べても著しく遅かったことから、ぎりぎりまで国政へ打って出るべきかどうか、迷っていたことをうかがい知ることができる。都政が持つ影響力も魅力的なはずであり、そういった意味で今回、知事選へ出ることを意志決定したのだろう。
やはり地方の政治をこなしてきただけあって、彼が本の中で述べる実績や考え方を「都でもぜひその力をフルに発揮していただきたい」と思いたくなるものである。奇しくも、今、日本は東日本大震災という未曾有の危機を迎え、強力なリーダーシップ力が求められる時期にある。鳥インフルエンザや口蹄疫(こうていえき)の危機管理対応で前線に立って闘った氏の話は、彼のリーダーシップ力を顕著に物語っており、頼もしくうつる。
この本の中で私が、個人的に気に入った彼の”格言”を一つ挙げておく。
「真摯な姿勢、硬い岩をも穿つ」
都政を担うリーダーの意志をしっかり知っておくために読むべき
都政・・・というと、「東京都民にしか関係ない」と一瞬思ってしまうかもしれないが、そんなことはない。日本で一番ステークホルダーの多い街だ。昼間人口は、1,500万人。文化、法規制、ビジネス・・・色々なものが東京を中心に動いている。渡邊氏も著書の中で触れているが、1999年に石原都知事が提起したディーゼル規制(「環境確保条例」)が都政の力を示している良い例だ。「環境確保条例」は、埼玉県、千葉県、神奈川県が続き、最終的には環境庁も、これにおされる形で法改正を行った。
それだけの影響力を持つポジションに、次は誰が立つのか知っておきたい、いや、知っておくべきだろう(気持ち的には、昼間人口を担う我々にも投票権を与えて欲しいくらいだが・・・)。
もちろん、リーダーが誰になるか分かってから読むのでも遅くはない。
都政にワクワクしたい・・・
さて、書評から少し離れるが、今回の都知事選は面白そうだ。未曾有の大危機の最中ということもあり、先に挙げた三候補者とも重点施策に災害対策を含めているが、それぞれ特徴がある。
現職であること、そして、危機管理対応の最中に行われる都知事選になるということもあり、最も有利なのは石原慎太郎氏だろう。新銀行東京など色々な問題などとりざたされることもあるが、それを超える実績を多く残していると思う。政見放送では、政府が東京都の財布からもぎとって行く3000億円を奪い返して、災害対策に振り分けると言っている。頼もしい。
渡邊美樹氏は、不景気にあっても、経営者として数々の雇用を生み出してきた。「介護」「教育」というテーマで、高齢者や子供を抱える親といった多くの有権者層へアピール。氏の実行能力に疑いの余地はない。真の”有言実行”が当てはまる人だ。
東国原英夫氏、先述したように宮崎県で見せた鳥インフル対応や口蹄疫対応での強力なリーダーシップ力には定評がある。日本のセールスマンとして物怖じしない彼が世界でどんな活躍をできるか、それも見物である。
この誰が次の都知事になっても大きな問題はないだろう。少なくとも、今の菅内閣よりは日本に良い意味での大きな影響をもたらしてくれるはずだ。ただし、個人的には渡邊美樹氏を応援したい。石原慎太郎氏は三期を務めた。石原都知事がどんなに素晴らしくても、目の届いていない場所がたくさんあるはずだ。そこを違う人による違う視点で補う時期に来ているのではなかろうか。
わがままを言わせてもらうならば、渡邊美樹氏が都知事で、東国原英夫氏が副知事・・・こんな組み合わせなんてどうだろうか。
都政にワクワクする・・・そうなれば、こんなに素敵なことはない。
※「日本改革宣言」がオンライン書店で見つからなかったため、ここには貼り付けてません。見つかれば貼り付けるようにします。
2011年4月2日土曜日
買い占めや不買、まずは自分たちが襟をただすべき
TBSのラジオDig、3月30日の放送では「農産物などの放射線量の基準値は妥当?」というテーマで議論が交わされていた。ラジオパーソナリティを含め、番組に出演されていた方ほぼ全員の間で
「政府の指示が曖昧だから」
「政府よもっとしっかりしろ」
「政府の発表の仕方が悪い」
「だから消費者による買い占めがおこったり、福島県産の不買が起こるんだ」
といった主張が目立っていたように思う。
もちろん、政府の対応の改善すべき点はものすごくたくさんあるだろう、しかも早急に。しかし、政府もきっとこう思っているのではないか?
「消費者が混乱しているのは、メディアが煽って消費者に伝えているせいもある」と。
実際に一部ジャーナリストの間では、メディアの報道の仕方にも問題がある・・・との指摘があがっている。
では、消費者心理はどうか?
「どこまで政府を信頼していいのか、分からないから・・・」
「メディアで凄い数値が出てるという報道が良くされているから・・・」
「放射線量の人体に与える影響が、本当に研究者によって解明されているとは思えないから・・・」
と思っているのかもしれない。
私は、今回の原発事故に伴う混乱は○○が悪い!と一方的に決めつけてしまうこと自体が問題だと思う。メディアも消費者も政府も反省すべき点があるのではなかろうか。だから、一方的にメディアが「政府が悪い」と主張するのを聞くと、「ん?本当にそうか?」とつい思ってしまう。
たとえば、メディアは良く「基準値の○○倍が検出された」という報道をしている。この報道で取り扱われる数値は”事実”ではあろうが、重要な情報が欠落している。このため、結果的に消費者心理を煽ることにつながっているのではないか。ここで私が言う欠落している「重要な情報」とは何か? 以下は、ウェブで拾ってきたニュースの一部だが、これを見て何か気づかないだろうか。
===========
放射性ヨウ素、放水口近くで基準値の4385倍
経済産業省原子力安全・保安院は31日、東京電力福島第一原子力発電所の南放水口近くで30日午後に採取した海水から、基準値の4385倍となる濃度の放射性ヨウ素131を検出したと発表した。同じ場所では29日午後、海水の放射性物質濃度としては最高となる基準の3355倍を記録していたが、これを上回った。放射性物質が継続して海に流出している可能性について、経産省の西山英彦大臣官房審議官は「可能性はあると思う。それを突き止めなければならない」と認めた。この場所の放射性ヨウ素131は30日午前、基準の800倍に一時低下していた。
(2011年3月31日14時01分 読売新聞)
ヨウ素検出、ハウスも5倍、基準値27倍のホウレンソウ
【社会ニュース】 2011/03/20(日) 19:00
茨城県は20日、県北部に位置する日立市で採取した露地栽培のホウレンソウから1キロ当たり5万4千ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたと明らかにした。食品衛生法の暫定基準値(2千ベクレル)の27倍。放射性セシウムも暫定基準値(500ベクレル)を上回る1931ベクレルだった。また、福島県境の北茨城市で露地のホウレンソウから基準値の12倍の2万4千ベクレルの放射性ヨウ素を検出。高萩市ではハウス栽培のホウレンソウから1万1千ベクレルと5倍の放射性ヨウ素を測定した。
(情報提供:共同通信社)
放射性ヨウ素、放水口近くで基準値の4385倍
(読売新聞) 2011年03月31日 14時01分
経済産業省原子力安全・保安院は31日、東京電力福島第一原子力発電所の南放水口近くで30日午後に採取した海水から、基準値の4385倍となる濃度の放射性ヨウ素131を検出したと発表した。同じ場所では29日午後、海水の放射性物質濃度としては最高となる基準の3355倍を記録していたが、これを上回った。放射性物質が継続して海に流出している可能性について、経産省の西山英彦大臣官房審議官は「可能性はあると思う。それを突き止めなければならない」と認めた。この場所の放射性ヨウ素131は30日午前、基準の800倍に一時低下していた。
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いずれも、ニュースヘッダは「基準値の○○倍」と書かれている。人の目を惹きつけたいのだろうし事実だろうからそれは仕方がないことなのだとしても、これを見た消費者はどう思うか? そして、気になってニュースヘッダをクリックして、記事の内容を見ても、その○○倍にもなる基準値が、結局「人体にどういった影響を与えることになるのか」といったことについては一切触れられていない。そう、一番重要な「○○倍だから、人体にはどういった影響になる」という結論がないのだ(もちろん、Digのように専門家を招いて伝えようとしているメディアがたくさんあることも事実ではある)。メディアは客観性が大事であり、事実だけを伝えることが重要なのだ・・・だから、消費者に数値だけを伝えるから、後は自己判断して・・・ということなのかもしれないが。頭だけ触れてお尻を伝えないのは煽っている、といわれても仕方が無いのではないか。AERA(アエラ)は「放射能がくる」というタイトルを雑誌につけて世間の批判を買ったが、上記のような報道の仕方も50歩100歩だと思う。そもそも消費者がそこまで情報リテラシーが高くないことをメディアは知っているはずだ。これを見た消費者は、「○○倍」という数字だけが頭に残り、怖い・・・やっぱり買うのは止めよう・・・そう思うのは当然ではないか。
そもそも「○○倍」という表現方法は総量が見えないので、情報を歪めて伝える可能性があり、非常に危険だ。たとえば「100万人に1人に影響がある」とされたものが、「100万人に10人に影響がある」ことがわかった・・・とされるだけでも、それは「10倍になった」ことになる。これが「1億人に1人に影響がある」とされたものが「1億人に10人に影響がある」とされたとしても、それだけで「10倍になった」と言える。この両者・・・10倍という数字は同じだが、実質的なインパクトは全然異なる。総量が見えないと、正確な情報も伝わらない。ちなみに余談だが、このように自分が考えられるようになったのは「リスクリテラシーが身につく統計的思考法」を読んだおかげではある。
と、メディアの伝え方を責めてばかりいるが、もちろん、メディア自体が指摘しているように政府の対応にも問題はある。消費者も数字に踊らされないように情報リテラシー(もしくはリスクリテラシー)を上げていく努力をする責任があると思う。この3者が3者とも反省し、改善しようとしていかなければ”風評被害はそう簡単にはおさまらない”。そう思う。
TBSラジオの番組があまりにも一方的な”政府たたき”になっていたので「それは違うんじゃない?」と思わず感じて、ブログに思いを吐露してしまった。
=========追記(4月7日)==========
上記ブログを書いた4日後の4月5日(火)、TBSラジオ番組小島慶子さんの”キラキラ”にゲスト出演されていた八代嘉美教授(慶応大学医学部特別研究助教授)の発言が興味深かった。わたしが考えていたこととちょうど似たようなことをおっしゃっていたからだ(もちろん八代先生の方が遙か昔から、そのようなことは主張されていたのだろうと思うが・・・)。私は3者が・・・と書いたが、先生は発言の中で「東電、政府、国民、そして科学者・・・この4者が自分の立場を認識して適切な情報発信・解釈をしなければならない」と述べられていた。
いずれにしても非常に興味がわくようになった。Twitterもされているようなので、早速フォロワーに・・・。
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「政府の指示が曖昧だから」
「政府よもっとしっかりしろ」
「政府の発表の仕方が悪い」
「だから消費者による買い占めがおこったり、福島県産の不買が起こるんだ」
といった主張が目立っていたように思う。
もちろん、政府の対応の改善すべき点はものすごくたくさんあるだろう、しかも早急に。しかし、政府もきっとこう思っているのではないか?
「消費者が混乱しているのは、メディアが煽って消費者に伝えているせいもある」と。
実際に一部ジャーナリストの間では、メディアの報道の仕方にも問題がある・・・との指摘があがっている。
では、消費者心理はどうか?
「どこまで政府を信頼していいのか、分からないから・・・」
「メディアで凄い数値が出てるという報道が良くされているから・・・」
「放射線量の人体に与える影響が、本当に研究者によって解明されているとは思えないから・・・」
と思っているのかもしれない。
私は、今回の原発事故に伴う混乱は○○が悪い!と一方的に決めつけてしまうこと自体が問題だと思う。メディアも消費者も政府も反省すべき点があるのではなかろうか。だから、一方的にメディアが「政府が悪い」と主張するのを聞くと、「ん?本当にそうか?」とつい思ってしまう。
たとえば、メディアは良く「基準値の○○倍が検出された」という報道をしている。この報道で取り扱われる数値は”事実”ではあろうが、重要な情報が欠落している。このため、結果的に消費者心理を煽ることにつながっているのではないか。ここで私が言う欠落している「重要な情報」とは何か? 以下は、ウェブで拾ってきたニュースの一部だが、これを見て何か気づかないだろうか。
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放射性ヨウ素、放水口近くで基準値の4385倍
経済産業省原子力安全・保安院は31日、東京電力福島第一原子力発電所の南放水口近くで30日午後に採取した海水から、基準値の4385倍となる濃度の放射性ヨウ素131を検出したと発表した。同じ場所では29日午後、海水の放射性物質濃度としては最高となる基準の3355倍を記録していたが、これを上回った。放射性物質が継続して海に流出している可能性について、経産省の西山英彦大臣官房審議官は「可能性はあると思う。それを突き止めなければならない」と認めた。この場所の放射性ヨウ素131は30日午前、基準の800倍に一時低下していた。
(2011年3月31日14時01分 読売新聞)
ヨウ素検出、ハウスも5倍、基準値27倍のホウレンソウ
【社会ニュース】 2011/03/20(日) 19:00
茨城県は20日、県北部に位置する日立市で採取した露地栽培のホウレンソウから1キロ当たり5万4千ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたと明らかにした。食品衛生法の暫定基準値(2千ベクレル)の27倍。放射性セシウムも暫定基準値(500ベクレル)を上回る1931ベクレルだった。また、福島県境の北茨城市で露地のホウレンソウから基準値の12倍の2万4千ベクレルの放射性ヨウ素を検出。高萩市ではハウス栽培のホウレンソウから1万1千ベクレルと5倍の放射性ヨウ素を測定した。
(情報提供:共同通信社)
放射性ヨウ素、放水口近くで基準値の4385倍
(読売新聞) 2011年03月31日 14時01分
経済産業省原子力安全・保安院は31日、東京電力福島第一原子力発電所の南放水口近くで30日午後に採取した海水から、基準値の4385倍となる濃度の放射性ヨウ素131を検出したと発表した。同じ場所では29日午後、海水の放射性物質濃度としては最高となる基準の3355倍を記録していたが、これを上回った。放射性物質が継続して海に流出している可能性について、経産省の西山英彦大臣官房審議官は「可能性はあると思う。それを突き止めなければならない」と認めた。この場所の放射性ヨウ素131は30日午前、基準の800倍に一時低下していた。
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いずれも、ニュースヘッダは「基準値の○○倍」と書かれている。人の目を惹きつけたいのだろうし事実だろうからそれは仕方がないことなのだとしても、これを見た消費者はどう思うか? そして、気になってニュースヘッダをクリックして、記事の内容を見ても、その○○倍にもなる基準値が、結局「人体にどういった影響を与えることになるのか」といったことについては一切触れられていない。そう、一番重要な「○○倍だから、人体にはどういった影響になる」という結論がないのだ(もちろん、Digのように専門家を招いて伝えようとしているメディアがたくさんあることも事実ではある)。メディアは客観性が大事であり、事実だけを伝えることが重要なのだ・・・だから、消費者に数値だけを伝えるから、後は自己判断して・・・ということなのかもしれないが。頭だけ触れてお尻を伝えないのは煽っている、といわれても仕方が無いのではないか。AERA(アエラ)は「放射能がくる」というタイトルを雑誌につけて世間の批判を買ったが、上記のような報道の仕方も50歩100歩だと思う。そもそも消費者がそこまで情報リテラシーが高くないことをメディアは知っているはずだ。これを見た消費者は、「○○倍」という数字だけが頭に残り、怖い・・・やっぱり買うのは止めよう・・・そう思うのは当然ではないか。
そもそも「○○倍」という表現方法は総量が見えないので、情報を歪めて伝える可能性があり、非常に危険だ。たとえば「100万人に1人に影響がある」とされたものが、「100万人に10人に影響がある」ことがわかった・・・とされるだけでも、それは「10倍になった」ことになる。これが「1億人に1人に影響がある」とされたものが「1億人に10人に影響がある」とされたとしても、それだけで「10倍になった」と言える。この両者・・・10倍という数字は同じだが、実質的なインパクトは全然異なる。総量が見えないと、正確な情報も伝わらない。ちなみに余談だが、このように自分が考えられるようになったのは「リスクリテラシーが身につく統計的思考法」を読んだおかげではある。
と、メディアの伝え方を責めてばかりいるが、もちろん、メディア自体が指摘しているように政府の対応にも問題はある。消費者も数字に踊らされないように情報リテラシー(もしくはリスクリテラシー)を上げていく努力をする責任があると思う。この3者が3者とも反省し、改善しようとしていかなければ”風評被害はそう簡単にはおさまらない”。そう思う。
TBSラジオの番組があまりにも一方的な”政府たたき”になっていたので「それは違うんじゃない?」と思わず感じて、ブログに思いを吐露してしまった。
=========追記(4月7日)==========
上記ブログを書いた4日後の4月5日(火)、TBSラジオ番組小島慶子さんの”キラキラ”にゲスト出演されていた八代嘉美教授(慶応大学医学部特別研究助教授)の発言が興味深かった。わたしが考えていたこととちょうど似たようなことをおっしゃっていたからだ(もちろん八代先生の方が遙か昔から、そのようなことは主張されていたのだろうと思うが・・・)。私は3者が・・・と書いたが、先生は発言の中で「東電、政府、国民、そして科学者・・・この4者が自分の立場を認識して適切な情報発信・解釈をしなければならない」と述べられていた。
いずれにしても非常に興味がわくようになった。Twitterもされているようなので、早速フォロワーに・・・。
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週刊ダイヤモンド「負けるな!日本」を読んで
以前は、ほぼ毎週のように買っていた「週刊ダイヤモンド」。でも”週刊”であるための限界か、内容が薄く役に立たない、と思うことが少なくなかった。そんなわけで最近は買うのを止めていた。
東日本震災後に出された2011年4月2日号の週刊ダイヤモンド・・・タイトルは「負けるな! 日本」。響きがいい。思わず買ってしまった。内容も”週刊”のわりに内容が濃くて、ためになる記事が多かった。
特に興味深かった記事を2つだけ挙げておくと・・・
1.”自前”発電プラントで東電に助け船を出した森ビル
日経新聞などで「東日本大震災の影響を軽減するため、六本木ヒルズが自家発電機をつかって生んで余った電力を東京電力に逆に供給している」という話は聞いていた。が、そもそもヒルズでは電力については日頃から自家発電を使って自給自足をしていた・・・という事実は初めて知った。ヒルズでは、普段は自家発電を使い、この自家発電に何か起こった際に東電の電力を代替供給手段として使う、という一般的な企業とは全く逆の仕組みを導入していたのだ。これまでエコの観点から、ヒルズビルははき出す二酸化炭素の量が多い・・・と、世間で非難されることが少なくなかったが、こんなところで役に立ったわけだ。夏の計画停電に向け、テナントになりたい!と思う企業が殺到しているかもしれない・・・。
2. 被害甚大のJR東最終赤字は回避か・・・
JR東日本では、大震災の影響で新幹線が被災から3週間経つ今もまだ完全復旧にいたっていない。収入は激減し、大変だろう・・・そう思うのが普通だ。ところが、復旧費用845億円のうち最大710億円の地震保険契約を結んでいるため、おもったほど影響はない・・・と見られているそうだ。そういえば「JR東日本は地震被害にかかわらず震度○○以上の地震が○○で起きたら即座に○○円請求できる」というリスクファイナンスをやっていたことで有名だが、それが活用できた結果なのだろうか・・・。オリエンタルランドもリスクファイナンスに入っていた、というもっぱらの噂だ。どんな保険に加入していて、それが今回の震災でどこまで役に立ったのかたたなかったのか、知りたいところだ。
そういえば、我が家の地震保険は大丈夫だろうか・・・(笑)
東日本震災後に出された2011年4月2日号の週刊ダイヤモンド・・・タイトルは「負けるな! 日本」。響きがいい。思わず買ってしまった。内容も”週刊”のわりに内容が濃くて、ためになる記事が多かった。
特に興味深かった記事を2つだけ挙げておくと・・・
1.”自前”発電プラントで東電に助け船を出した森ビル
日経新聞などで「東日本大震災の影響を軽減するため、六本木ヒルズが自家発電機をつかって生んで余った電力を東京電力に逆に供給している」という話は聞いていた。が、そもそもヒルズでは電力については日頃から自家発電を使って自給自足をしていた・・・という事実は初めて知った。ヒルズでは、普段は自家発電を使い、この自家発電に何か起こった際に東電の電力を代替供給手段として使う、という一般的な企業とは全く逆の仕組みを導入していたのだ。これまでエコの観点から、ヒルズビルははき出す二酸化炭素の量が多い・・・と、世間で非難されることが少なくなかったが、こんなところで役に立ったわけだ。夏の計画停電に向け、テナントになりたい!と思う企業が殺到しているかもしれない・・・。
2. 被害甚大のJR東最終赤字は回避か・・・
JR東日本では、大震災の影響で新幹線が被災から3週間経つ今もまだ完全復旧にいたっていない。収入は激減し、大変だろう・・・そう思うのが普通だ。ところが、復旧費用845億円のうち最大710億円の地震保険契約を結んでいるため、おもったほど影響はない・・・と見られているそうだ。そういえば「JR東日本は地震被害にかかわらず震度○○以上の地震が○○で起きたら即座に○○円請求できる」というリスクファイナンスをやっていたことで有名だが、それが活用できた結果なのだろうか・・・。オリエンタルランドもリスクファイナンスに入っていた、というもっぱらの噂だ。どんな保険に加入していて、それが今回の震災でどこまで役に立ったのかたたなかったのか、知りたいところだ。
そういえば、我が家の地震保険は大丈夫だろうか・・・(笑)
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