「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」と2008年から訴えてきたのは平田武市議。その努力の甲斐あって、橋は昨年12月に設置されたが、平田さん本人は東日本大震災の9日前に亡くなったとのこと。
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3月11日の震災直後、71人の児童全員は、この非常通路から崖の上に出て高台に向かうことができたそうだ。津波に飲み込まれた後の現場の写真を見ると「この通路がいかに命をつなぐ大切な橋だったか」ということは明らかだ。
この記事に触れて、TBSラジオで3月31日にラジオパーソナリティーの小島慶子氏が「用心深さ(を貫くこと)は勇気だ、と思う」と発言されていたのが妙に印象に残っている。
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